昭和の小学生、ネパールに行く(3)_Nepal in 1979 ポカラへ
ぼくが1979年、小学2年生の時に母とネパール旅行した時の話です。
3日目は12/30。この日はカトマンズからポカラに行くことになっている。カトマンズにまず2日程度滞在してからポカラに行く、なんていうのは今でも定番のコースなんじゃないかと思う。
ポカラはカトマンズよりもヒマラヤに近くてのどかな観光地で、ネパール旅行をする人にはとても人気の町だ。
ただ、1979年当時は今とは多少事情も違っていて、何しろ交通機関がまともに予定通り動かない。今でもまぁ日本に比べたらそうだろうが、当時はその比じゃないくらい全くあてにならなかった。
この日も、飛行機が全然飛ばないので途方に暮れた人たちでごった返していた。何しろぼくたちのポカラ行きのフライトのチケットも、事前には全く手配できず、前の日の晩になってやっとOKの返事をもらったのだ。
さらに帰りのフライトが取れるかどうかも、取れたとしても飛ぶかどうかも、その時になってみないと全くわからない。そもそも、飛ばないことに「強風だから」とか「雪だから」とか明確な理由があるわけでは別にないのだ。だから事前に「今日は飛ばないらしいな」などといった情報を集めて備えることすら不可能で、ただ空港に行って「あなたの飛行機が今から飛びます」と言われるのを待つ以外にどうすることもできない。ゲームで言ったら完全にランダム要素というか、運ゲーである。
飛行機が飛ばなかったり乗れなかったりした場合はどうなるかというと、バスに乗ることになる。この日も、ルクラという街に行けなかった人が、バスでポカラに来ることになっていた。といってもバスは今でも比較的メジャーなポカラへの行き方で、結構利用者も多い。時間がかかることだけが難点で、だいたい七時間くらいかかるが、飛行機よりも格段に安いし、ゆっくり途中の街道筋の街も見学できるし、別段悪い選択肢というわけではない。
この日ぼくたちは十時の飛行機に乗るために飛行場に行った。天気が良くなるのを待って、幸運なことに十時五十分に飛行機は飛んだ。五十分遅れだろうがなんだろうが飛行機が飛んだのだから幸運である。この飛行機の窓からはヒマラヤがよく見える。四十分ほどでポカラに到着した。カトマンズの空港だってだいぶ小さかったが、ポカラの飛行場はいわばただの原っぱという感じで、田舎という次元じゃないくらいに素朴であった。
この飛行場から歩いてすぐのところに、今回宿泊するアンナプルナホテルがあった。
これは母の日記から抜粋した、約40年前の当時の街の様子だが、いかにものどかな様子が窺える描写だと思う。おそらく、今はだいぶ雰囲気が違うはずだ。ぼくが最近YouTubeで見たポカラ旅行動画で見たポカラの街は、もっと普通に人も建物も車も多く、多くの観光客で賑わっていた。
ポカラの街からは、雪を頂いたヒマラヤの山々をごく普通の風景の中で見ることができる。アンナプルナとマチャプチャレだ。その姿を見ると、理屈抜きでほっとする。ホテルの部屋から山を見ながら「ああいいところだ。やっと落ち着いた」と母と話していたそうだ。
このアンナプルナホテルは、調べてみたけれど残念ながら現存はしていないようだ。
実は、この小学2年生のときの約15年後、社会人2年目か3年目の時にぼくは再びネパールを訪れており、この時ポカラでは同じアンナプルナホテルに宿泊した。1979年の時と全く同じ構図で写真を撮ったりした。
ポカラの街の中でも、15年前と同じ場所で写真を撮ったりしました。
そのほか、この1997年ごろに行ったときのポカラ街の写真を何枚か紹介します。79年の15年前よりも、ちょっとだけ賑やかになってるような気がしますね。今はさらに、もっと都会なんだと思います。
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