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【書くことは、思考を言語化するということ】

自分の思いや意見、戸惑いや不安を言葉に出来るということは、人とコミュニケーションをとる上で、私生活でも仕事上でも最も重要な能力の一つではないかと思う。阿吽の呼吸という人は、ほとんどいない。いるとしても、そういう人とだけ生活、仕事をしていくのは不可能だ。書くという行為は、たとえ下手でもコミュニケーションにとても意味があると思っている。なぜなら、自分を知る、気づくことにつながっているから。


僕は、文章が下手で言葉の語彙や、話のジャンルも狭い。にも関わらず、結構長くブログのようなものを続けている。始まりは、mixiだと思う。今はどうなってるのかわからないが。

なぜ、下手にも関わらず続けているのか。それは、書くことで暮らしが変わり、豊かになると感じているからだと思う。

僕がブログを書く理由

⑴変化に気づくこと
日々、誰かの想いや変化、四季の移ろい、ニオイ、色彩など、多様な要素が絡まり、一期一会の機会がある。また、その時に感じたことや違和感、さらにはアドバイスなど、日々にヒントが沢山ある。
にも関わらず、日常の慌ただしさで流れてしまう。それを、書くという手段を通して意識することが出来る。子供の成長や、その日の仕事の場面など、1日の中での出来事。

⑵潜在意識を顕在化させること
言語化できず、なんとなく考えていることがある。それを、書くという手段を通して思考し、言語化することが出来る。これは、数週間〜数年間の期間、頭の中に眠ってる問いやアイデアなど。

⑶それらが誰かの役に立てばラッキー
blogはsnsと違って残る。自分にとっても、誰かにとっても調べやすい。上記の⑴、⑵の事が、誰かの役に立てばラッキー。

⑷他者からフィードバックを貰える
さらに、より良いフィードバックやブラッシュアップに繋がる。また、議論が発展し、自分を含め多くの人と学習できる。


これらを通して、振り返り、セルフフィードバック(っていうのかな?)をして、日々豊かに、仕事の精度を上げて、さらに学習に繋げている。

僕にとっては、あくまでも自身の暮らしや仕事を豊かにするためにblogを書いている。誰にどう思われようと、全く気にしない。でも、のちに振り返り精度の低さや視座の低さ、表現力の低さに嘆く時もあるけど、それは成長の証と思って割り切るしかない。なぜなら、変化するためには、日々の一瞬一瞬が大事だから。それに気づけるか気づけないかは、とても大きな違いだ。1日では変わらなくても、1年、5年経てば大きな変化になる。

実は、今日は体調不良で早退させてもらったのですが、赤ちゃん抱っこしながら寝れず、また思考が止まらず、こうやって書いています。書くことで、モヤモヤが晴れて落ち着くこともあります。

ブログに限らず、日記などで日々の暮らしを振り返る機会がある暮らしは、オススメです。また、人の目が気になる人は、ブログを非公開にしたり、手書きの日記をつければ問題ありません。

そして、純粋にブログを書くだけだったら、noteはオススメです。今まで、5〜6種類のブログ試しましたが、noteは余計なことに気を使わないで、書くことに集中出来ます。

皆さんは、どんな方法で日々の振り返りをしていますか?

サポート有難うございます。難病の治療や入院費に当てさせて頂きます。勇気頂き感謝です🙇‍♂️