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要介護者は、「社会参加」の前に「生活参加」を考えた方が良いと思う。

その人にとって大事なのは、どのような社会へのどのような参加なのだろうか?

一般的に介護から卒業することや、介護状態の予防の取り組みにおいて、受け皿となる通いの場が必要と言われることが多いが、これでは不十分だと思っています。

地域づくりによる介護予防を推進するための手引き

もちろん、自宅の外に、週に何回、誰と、何をするのか、という社会参加は重要であり、社会的孤立自体の現状や予防は極めて重要です。

健康指標との関連からみた高齢者の社会的孤立基準の検討 10年間の AGES コホートより

同居者以外との対面・非対面交流をあわせて週に 1 回未満という状態までがその後の要介護状態や認知症と関連し,月 1 回未満になると早期死亡とも密接に関連する交流の乏しさであることから,これらが社会的孤立の妥当な操作的定義であることが示唆された。

一方で、自宅から外に出るという、把握しやすい情報に固執し、それをどう増やしていくかという視点は大きな落とし穴になると感じています。

生活への参加という視点

では、どんな視点が大事なのか。
それが、「生活への参加」という視点。
例えば、Bathel Index(BI)やFunctional Independence Measure(FIM)では、拾いきれない小さな暮らしの状況で、その人にとって重要な役割や生きがい。

例えば、外出はしないけど、夫の汁物を作るのだけは毎日欠かさず行なっているという役割を担っており、食器洗いや洗濯はしていない80代の女性。

またある方は、外出はしないが、自分の田んぼや牛の世話をする70代の男性。

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何らかの理由で、こういう方の生活機能が低下すると、少しづつ家族の中での役割が喪失していきます。
そして、介護保険サービスの利用につながっていきます。

介護保険サービスを利用開始し、りぷらすの場合、利用開始時から3ヶ月後には70~80%の方は下肢の筋力が改善していきます。

しかし、それらの機能と生活の実際には誤差が生じています。

それは、役割の喪失によって、本人は自信を失い自宅で不活動のままであったり、家族が良かれと思って、役割を引き受けたままになっているからです。

このような状況で、身体機能は向上しているのに、家庭内での役割が喪失し、社会参加として通いの場にいく機会が増えていくと、さらに自宅での役割の喪失を招く危険性もあります。
もちろん良い面もあるが、何を行うにも、両面を考えておくのは重要です。

介護保険と社会参加

同様に、介護サービスからの卒業のために通いの場への移行が必須なのではないと思っています。

特に、地方においては、社会的役割として家族内での役割が多いと感じています。都市部であれば、食料を購入するが、地方であれば自分で作っている人が多い。食事も外食より、自炊が多い。これら一つ一つの生活への参加が大事です。

重要なのは「社会参加」の前に「生活参加」だと思います。
BIやFIMように画一的に評価するだけではなく、その人の生活の重要な役割の状況を複合的に評価するです。

その人が「生きる」上での尊厳は何か?
大切な「役割」は何か?
今の言葉の裏側にある想いは何か?
言葉にならない想いは何か?

その人ごとにイメージしながら、多々ある生活の役割の変化を教えてもらいながら、適切な支援を行なっていきます。

その人にとって、生活の参加に何が必要なのか?
人によって違うので、生活に再び参加しないと答えは分かりません。
だからこそ、面白いし、やりがいがあるし、いつまでも飽きない仕事です。

その人らしい当たり前の生活を最後まで送れる仕事をしていきたいです。

社会の最小構成単位は、家族。
家族への参加は、実は社会参加。

社会参加は、ミクロ(生活)とマクロで意識していきたいです。




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