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柏木陽介             (鈴木啓太チャンネルの感想)

元浦和レッズ 鈴木啓太さんのYouTubeチャンネルのまとめ・視聴感想を投稿します。

『鈴木啓太チャンネル』は主に引退されたサッカー選手や監督をゲストに招き、鈴木啓太さんがインタビューする。
内容としてはゲストのサッカー人生を振り返り、サッカー観を紐解き、これからの人生目標を聞いていく形である。

鈴木啓太さんは話の「聞き方」や、ゲストの感情の「引き出し方」がとてもうまく、視聴者として話が「すっと」入ってくる。
また年下のゲストであっても、リスペクトしながら話を進めていくので嫌な気持ちが全くない。
人によっては先輩だからと言って、上から目線で話す人もいる。
その点、鈴木啓太さんはそれがないので、とても好感持てる。
私が1番尊敬できる、真似したいところは自分の話を最小限にし、聞き出すことを重視しているところである。
これほど絶妙なバランスのとれたインタビューアーはYouTube上にいないと私は思う。

このYouTubeチャンネルを多くの人に見ていただきたいと思い、「note」に投稿しよう決心しました。

さて本題です。
今回はサンフレッチェ広島、浦和レッズ、FC岐阜で活躍された元日本代表の柏木陽介さんがゲストで出演。



#1【最強】柏木陽介が語るサンフレッチェ広島ユース黄金期時代

小学生時代
柏木さんは兵庫県生まれで地元のサッカーチームに入団される。
チーム内でも特出して上手かったと自負していた。
→日本代表になる選手は子供の頃から別格なんだと感じた。
小学生の時代が一番モテていたと。
ラブレターをたくさんもらっていた。

中学生時代
中学生は地元の中学校サッカー部に所属していたので、有名な選手ではなかった。
ただ、『プロになることを諦めたことない』と思っていたと。
→中学生でこの気持ちも持ち続けること、言葉にできることを尊敬する。

高校生時代
高校はセレクションでサンフレッチェ広島ユースに入団する。
サンフレッチェ広島ユースは全員レベルが高かった。
この時代の広島ユースはカップ戦タイトルを取るなど最強世代だった。
→私も同世代であるため、最強世代だった記憶がある。

プロ昇格
その後、トップチームに昇格する。
『プロに絶対になると思っていた』
→ここまではっきり言えるのは人一倍努力してきたからなのだろう。

『プロになることが目標ではなかった』
→シンプルにかっこいい発言!


#2【運命】柏木陽介が語る調子乗り世代&恩師・ミシャ&北京五輪落選

ミシャとの出会い
柏木さんはミシャ監督を『愛のあふれた監督』
と表現していた。
ミシャ監督になって試合に出れるようになった。

調子乗り世代の話
当時のU-20日本代表を調子乗り世代と言われていた。
鈴木啓太さんも当時はよく思っていなかったと。
ただサッカーやゴールパフォーマンスでサポーター楽しませてくれた。

J2降格
J2に降格したが、ミシャ監督の引き留めもあり残留。
→漢気があり、チーム愛が溢れている選手だと思った。

J2で圧倒し、1年でJ1に昇格。昇格初年度4位という偉業を達成。
これもミシャサッカーの熟練度が挙がり、全員が自信もって戦っていた結果であると。


#3【最強】柏木陽介が語る浦和レッズの盟友・興梠慎三の魅力

浦和レッズに移籍
移籍してきたとき、浦和レッズの選手はバラバラだった。
→組織がうまくいっていないときは個がバラバラなことが多い気がする。

平川選手
当時、平川選手からよく怒られたと。「あの人がいなきゃ自分がいない」と思うくらい尊敬できる選手だったと。
→大事な時に怒れる人は尊敬できる。

ミシャが浦和レッズの監督なる
柏木さんは浦和レッズが必ず強くなると思っていた。
選手の個の能力も高く、ミシャサッカーを熟知している柏木・槙野がいたおかげでミシャ初年度で3位という結果であった。
→監督(会社では上司)のやりたいことを理解し、実行できれば強くなる

アシスト王になる。
パスの出し方を育ててくれたストライカー
佐藤寿人→エゴイスト
田中達也→気を遣って動きだしてくれる
興梠慎三→最強!
こんなにも気持ちよく動き出してくれる選手はいない!

ミシャ監督が解任されて、嗚咽するほど泣き、体調も崩した。
→これほど人を信頼、尊敬できる人と出会えたことはとても幸せなことだと思った。


#4【激白】柏木陽介が語る規律違反での浦和退団についての本音

規律違反
コロナ禍、2度の規律違反によって退団
→これらの真相知らないときは、なんて自分勝手な行動をする選手なんだろうと思っていた。ただ、本人の口から当時の気持ちや反省を聞き、とても素直で、真っ直ぐな人なんだと感じた。今ではポジティブに変えることができているので、メンタルも強い人だと思った。

FC岐阜に移籍
FC岐阜の社長が退団後すぐに声をかけてくれた。
FC岐阜に行って、人として大きくなった。イライラしなくなり、伝え方が上手になった。

引退の決め手
身体が追いつかない。
フルでサッカーができない。
現代サッカーが面白くない。

サッカーを続けえることができた理由
サッカーが好きだった。
自分自身に対して満足したことがなかった。
もっと上手くなりたい。
ネガティブから入っている。
妥協したプレーをしたことはない。

これからの人生
FC岐阜のために、岐阜県を盛り上げる。
世の中のために必要なことを仕事にしたい。
岐阜ならではの自然を生かしたことができるのではないかと考えている。


#5 まとめ

柏木さんのサッカー史や考え方を知ることができて、とても面白かった。
この動画を観るまではチャラチャラしていて、サッカーをなめている印象だった。
ところが、その印象は完全に逆転した。

まず、話し方がスマート。回りくどい言い方もなく、とても聞きやすい。
そして素直。小学生時代、『チーム内で抜群にうまかった』や鈴木啓太に対して『サッカースキルはあまり上手ではなかった』の発言が嫌味なくできるのがうらやましいと思った。
最後にこれからの人生、故郷ではない『岐阜を盛り上げることをする』ということを明確に言えることがFC岐阜に助けられたことも物語っているのかなと感じた。
これからも柏木さんを応援していきたい。

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