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犬のはなし1

今年3月、実家の犬が天に召された。17歳と数ヶ月。白い柴犬。大五郎という。

少しずつ、大五郎を思い出しても泣かないで済むようになってきたので、思い出を綴ろうと思う。思えば、ネタの多い犬であった。

出会い。それはまず先住犬のクマの死からはじまる。20歳くらいまで生きたクマが亡くなった時、母は一瞬たりとも犬の不在に耐えられなかった。「白い柴犬を迎えたい」と私に切望した。私は白い柴犬をネットで検索した。愛知県のブリーダーさんのサイトが見つかった。逆にいうとそこにしか「白い柴犬」はいなかった。ソフトバンクのお父さんがCMに出てくるだいぶ前のことだ。そこに電話をしてみたら、「その子はまだいますよ」とのこと。「白くて劣性遺伝で体が弱いかもしれないので、お値段まけておきますよ」とのことだった。

私たちは犬を「買う」のがはじめてだった。20年前はまだ普通にそのあたりに野良犬がいたし、庭にやってきた野良の子犬たちを飼っていたからだ。クマと一緒にあと2頭がいたこともある。そんなだから、私と母は、「犬って、今時は、買うんだね・・・」「しかもバーゲンだね、その子・・」って親子で戸惑いながら、買ったばかりの私の新車で、大阪から愛知まで迎えに行くことにしたのだった。だって「輸送」されるなんて、とてもかわいそうじゃないか。

まだ運転に慣れない私は午前中いっぱいかけて愛知県に辿り着いた。行きの車の中で母が名前を決めていた。「大五郎にするわ」「なんで」「子連れ狼好きやから」だろうね、と思いながら、特に反対もせず、名前は決まった。

辿り着いた先は、ブリーダーさんにしてはこじんまりとしたお宅だったように思う。数頭の柴犬と、たくさんの鶏を飼っていた。これから「大五郎」となる白い子犬が、めっちゃ尻尾を振って私たちを出迎えてくれた。子犬は大五郎ともう一頭しかいなかった。あとは売れたんだろうか。よく見ると大五郎の尻尾の先端が白くなくて、ピンクだった。「ああ、それ、お母さん犬が噛んじゃってね、毛が抜けちゃってて。しばらくしたら生えてくると思います」らしいのだが、ピンクなさきっぽがぷるぷると揺れていて、なかなか間抜けに見えた。察したのかブリーダーさんが「それもあるから一万円引きますわ」またディスカウントされてしまった。紹介されたお母さんは黒柴で人懐こく、お父さんは茶柴でシュッとしていて、「コンテストで賞をとった」らしいイケメンだった。それなのにあまりにディスカウントされたその子を、私たちが引き取らずしてどうする、という使命感にかられてしまい、私たちはかなり破格の値段になっていた大五郎を買った。そこからしばらくのあいだ、大五郎は悪さをするたび、母に「あんた、3万円のくせに」と怒られていた。

そして大五郎を連れて帰ろうとしたら、ブリーダーさんが「これ、お土産に」と、卵のパック(10個入り)をくれた。「うちの鶏が産んだので」とのこと。え、これから車で帰るのに、卵?と思ったが、ありがたく受け取る。

そこからまた車で数時間かけて家に帰ってきた。大五郎は新品の車に2回吐いた。「輸送」した方が大五郎ももしかして楽だったんじゃないの、って思った。私たちもフラフラだった。帰って、大五郎をとりあえず玄関に寝かせ、私たちもすぐに寝た。熟睡だった。

朝5時に私は飛び起きた。大音声で誰かが鳴いている。

慌てて階下に降りて、信じられないものをみた。

白い柴犬の子犬が、「コケコッコー!!」と鳴いていた。野太い声で。

母も呆然とみていた。「え、鶏?」「鶏やったね」

大五郎は2日間、朝に「コケコッコー!」と確かに鳴き、3日目でやめた。

今までは毎朝、まわりでたくさんの鶏が鳴いていたから、自分も鳴いてたけど、ここでは誰も鳴いていない、ことに、2日で気づいたようだった。

そのあと、しばらく無言だった大五郎、「犬の声で鳴くんやろうか?犬の言葉がわかるんやろうか」と心配した母は、真顔で、「あのな、おまえはな、「わん」って吠えるんやで」と大五郎に諭していた。すぐに鳴き始めたので、母はほっとしていた。「私が教えたからな」

この話はいまだに誰にしても「嘘やろ」と言われる。当時、動画を撮る習慣がなく、非常に残念だ。動画サイトにあげるだけでテレビに取り上げてもらえる自信がある、そのくらい立派な鳴き声だった。

余談。

もらった10個の卵を、母はいつものように料理に粗末に使った。母は卵料理が苦手で、いつもおかしなことになる。しかし、「あれ、なんか、この卵、おいしい?」と気づき、親子でいろんな記憶をたぐり寄せる。「なあ、あの鶏、ただの鶏じゃなかったで、なんて言ってたっけ?」「なんか、烏骨鶏とか、言ってなかったっけ?」烏骨鶏をネットで検索すると、めっちゃ高級な卵であることが判明した。そのころには卵はもう2つしか残っていなかった。慌てて卵かけごはんにした。めちゃくちゃおいしかった。

大五郎は晩年まで、卵料理が大好きだった。黄身だけ食べて白身を残す、贅沢な食べ方をしていたな、と今思い出している。うちの卵は普通の卵だったから、物足りなかったろうな。

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