10年目の命日

これがわたし。
これがわたしというフィクション。
わたしはあなたの身体に宿りたい。
あなたの口によって更に他者に語り継がれたい。
伊藤計劃『人という物語』

3月20日は伊藤計劃氏の命日です。

死者はわたしたちを縛ると言います。
現在を生きるわたしたちは日々精一杯ギリギリのギリで過ごし、未来への漠然とした不安をやっつけているのに、この世界から解き放たれて、最もプライベートな点に到達した死者たち。
刹那的に、死者を思い出して色々考えても、わたしたちから彼らに届くものはなく、一方通行なクソ重片思いとなる。プレイボーイってどころじゃないわよ!

ボンクラティズムの始祖たる計劃氏。二度も三度も五度も言いますが、わたしは伊藤計劃が好きです。
計劃氏の寄稿したエッセイのひとつに、『人という物語』があります。(伊藤計劃記録:Ⅱに収録)
今回はこれを紐解いていければいいなあと。

だいぶ前から考えていたことがある。人は何故子供を作るのかということだ。
かわいいから、というのはよほど楽天的な人の答だろう。かわいい時期なんてものは一瞬だ。いまはお父さん似お母さん似などと、赤ん坊特有の誰にでも似ていると言えば似ているぼんやり曖昧な顔を、自分の自尊心が満足するように解釈して喜んではいても、そんな愛くるしく曖昧な時期はすぐに過ぎ去って、早晩パンツを一緒に洗わないでだの金をもっと寄越せだの言い始めるに決まっているのだ。━━伊藤計劃『人という物語』

開幕ボンクラ・ロジック(モテない人間特有の論理)が炸裂。お前は伊藤計劃を貶しているのか褒め称えているのかどっちなんだ
子を持つベネフィットとコストを天秤にかけた場合、明らかに子を持つデメリットは大きく、便益には見合わない。さて、人はなぜそこまでして子を残すのか?

人は自らの物語を残すため、子を育てる。
というより、人間は物語としてしか子に自らを遺すことはできない。何故なら、人間は物語で出来ているからだ。━━伊藤計劃『人という物語』

MG4のノベライズでも、オタコンが「物語ること」についての話が出てきたりしているので、計劃氏はこの「物語る」ことが結構気になるというか、主軸というか、頭のなかにあったのでは?と穿ち過ぎな考察と的はずれな感想がチャームポイントのわたしは考えます。
思考や想いが言葉によって可視化され、こうやってnoteに紡がれたり、はたまた、音声になってあなたのうずまき管を滑り落ちたり。物語はあらゆる場面あらゆる場所に存在しています。

計劃氏は物語として記憶された現実は、当人の生のみならず、他者の生にも波及し、影響を及ぼしていく、と述べています。そして、人間は物語として他者に宿ることができる。とも。

現にわたしには計劃氏の物語が宿り、一つのイデオロギーを形成して、19年来共にした肉体に存在している。もちろん計劃氏だけではない、家族、幼なじみ、おきにいりのバンドの歌詞、様々な物語がわたしに存在し、もしその物語ったひとやものが死んでも、わたしのなかに居る。

なんて重い、重いんだろう。ヤンデレでもこんな重いことは思い付かない。あんたが手繋いでる彼にはわたしという物語が存在してるのよ。あれ百合?

こうやって計劃氏のことを綴った記事が、物語として、読んでいるあなたに残るかもしれない。もちろんこの記事だけじゃなくて、小話とか、雑記とか、Twitterの140字とか、そんな小さな物語が、わたしからあなたに届くかもしれない。

本当上手く言えませんけど、ありがとうございます。終わりです。

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ここまで読んでいただきありがとうございます。
2

大輔

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