生野菜チャーハン考

 調理とは、智慧の深淵に触れる行為である。未知の味覚を求め続けない限り、料理の巧者はその名にふさわしい称号を保ち得ない。

「生野菜チャーハン」

 たまたま見かけたこの文字列は、料理人でも何でもない僕の脳みそに、偉大な架空の料理人の名言を浮かばせるのに充分な鮮烈さがあった。

 チャーハンと、生野菜。

 チャーハン。この世のすべてを一度はそのうちに取り込んだのではないかとさえ思える、無尽蔵のキャパシティーを持ったその料理は、しかしながらごく身近な食材を取りこぼしていた。

 それが、生野菜である。中国四千年の歴史において、チャーハンに生野菜が組み込まれたことは、一度たりともない。

 仕方のないことなのかもしれない。チャーハンは炒めることが前提の料理であり、生の野菜と未来を共にすることができないのだ。

 水と油。陽と陰。太陽と月。生と死。決して混じり合うことのないふたつの存在。それが、チャーハンと生野菜の関係であった。

 しかし、生野菜もチャーハンも、非常に懐の深い概念であり、その定義には多少のゆらぎが認められる。

 そのルールの隙間を突いて、生野菜チャーハンの可能性について2つほど記しておこうと思う。脱法生野菜チャーハンである。

 まずは、生野菜から。

 生野菜チャーハンの本質的な問題点は、チャーハンに入った時点で野菜が生でなくなるところにある。

 完成したチャーハンに刻んだ生野菜を混ぜ込む手法も考えた。しかし、出来立てアツアツのチャーハンに混ざったそれは、果たして生野菜と言えるだろうか。

 きっと、完成品は野菜に軽く火が通ったぬるいチャーハンになることだろう。そしてそれは、間違いなく美味しくない。

 チャーハンとしての完成度が担保されなければ、料理の意味がない。チャーハンと生野菜をそれぞれ食べればいいだけで、生野菜チャーハンにこだわる理由を失ってしまう。

 そこで目をつけたのは、材料とする野菜の種類である。
 
 チャーハンに合う野菜として、無意識に葉物野菜や玉ねぎなどを想定していたが、もっと適した野菜がある。

 それが、根菜だ。

 人参に大根。煮物などで定番の彼らは、火の通りの悪い野菜である。

 チャーハンと合わせて食べやすいよう、一センチ角に切り、完成直前のチャーハンに混ぜ込み軽く加熱して温める。

 火の通りが甘い、半生の野菜を用いることで、半生野菜チャーハンが完成する。

 もうお分かりだろう。

 チャーハンが半分ならば半チャーハン。ならば、半生野菜チャーハンを2倍盛れば生野菜チャーハンとなることは自明である。

 これにて、脱法生野菜チャーハンの出来上がり。

 味付けは好みだが、野菜スティックのようなものだと考えると、味噌ベースがいいかもしれない。少し濃い目がいいだろう。

 他にも、レンコンやゴボウなども一応生食が可能らしい。野性的な味を堪能したいならば検討してみてはいかがだろうか。

 根菜のザクザクとした小気味の良い歯ごたえが、チャーハンに新たな魅力を与えることを期待する。

 次に、チャーハンの可能性。

 「チャーハンなど法治国家では許されるべきではない!」と主張したアメリカの政治家は誰だっただろうか。どんなアレンジを加えても許される、料理界の無法地帯ことチャーハンである。

 何をやってもいいのであれば、生野菜チャーハンを作る糸口も簡単に見つけられそうだが、スラム街にはスラム街なりのルールがあるがごとく、チャーハンにも破ってはならないルールがある。

 チャーハン界における鉄の掟。それは米を炒めることだ。

 チャーハンがチャーハンたる所以は米を炒めるところにあり、いかなるアレンジを加えようとも、米を炒めることはチャーハンをチャーハンたらしめるために必要不可欠な行為である。

 だが、幸いというべきか、米の種類や量には指定がない。そこで、大胆な発想の転換を行う。

 米がメインでないチャーハンを作るのだ。

 最終的な姿のイメージから共有したい。このチャーハンのゴールは、サムギョプサルである。

 肉。分厚くて食べごたえのある油たっぷりの豚肉を、サンチュでつつみ、好みの野菜なんかも挟んで、辛味噌をつけて食べる。

 そこに、少量のご飯なんか一緒に頬張ったら、最高だ。一番美味しいに決まっている。

 それを、作る。それをチャーハナイズする。

 サンチュでくるんで食べるのに適したチャーハンの姿を模索する。

 ただし、単にサムギョプサルの下位互換になってはならない。

 サムギョプサルの魅力を追いながらも、チャーハンらしさを残すことで、この生野菜チャーハンは完成するのだ。

 では、サンチュで包むのに最も適したチャーハンとは、どういったものだろうか。

 結論を出すのは簡単ではないが、一例を示してみよう。

 メインは、鶏もも肉などどうだろう。鶏もも肉を炒めて軽くほぐす。

 チャーハンの肉といえば真っ先にチャーシューが思いつくが、パサパサとしたチャーシューはサンチュで包むのにあまり適さないと考える。

 米はタイ米を選んでみよう。少し硬さの残った歯ごたえがある米のほうが、おかずとして適度な主張を残すだろう。

 肉との比率は4対1。もちろん、米が1だ。

 そうして出来上がった、ほぼ焼き肉のチャーハンを、野菜とともに頬張る。野菜は冷たいままでいい。噛むたびにサンチュを破って現れる温かいチャーハンが、日々の単調な食事に驚きを与えてくれるのだ。

 味付けもいろいろ考えられる。

 たけのこや人参をチャーハンに加え、オイスターソースなどで味をつけると、さながら春巻きの具のような味わいにできる。

 ひき肉とトマトソースでサルサ風にしてタコスのようにしたり、魚介を使って巻きずしを表現したりと、創意工夫が試される部分だろう。

 おかずメインの具だくさんチャーハンを、生野菜で包んでたべる、これは先程に比べて正統派の生野菜チャーハンと言えるのではないだろうか。

 以上で生野菜チャーハンへの考察を一区切りとする。

 まだまだ十分とは言えない。なにせ、生野菜とチャーハンである。

 どちらも可能性は無限大、人生をかけてその組み合わせを模索する価値はある。

 願わくば、これを読んだあなたも、自分だけの生野菜チャーハンを探してみていただきたい。

 生野菜チャーハンについて考えたことがあるかどうかで、あなたの今後の人生は少し変わるだろう。
 
 その変化が、あなたにとって幸福であることを願っている。

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?