自己分析

自己分析なんて大層な言葉を使いたくないけど、この場を使って、自分のことを考えてみる。調べればいくらでもやり方とか出てくるだろう。でも今回は調べずに一人でしたい。自己分析するならば、まずは一人になりたい。

何から手をつけよう。分析って要するに、細かく分解して理解していくわけでしょう。自己を?どうすればいい?

まず腕を外して、足も付け根で切り離して、内蔵も一つひとつバラして、水洗いして。お酒を飲むから、肝臓の色は悪いかもしれない。ああひとつ分析できた。私はお酒が好きだ。

「お酒が好き」っていうことも、まだまだ分析できそうだ。ほんとにお酒が好きなのか?酔うことが好きなだけじゃないか。お酒ってのは何を指すんだ。アルコールか。それとも、お酒の席が好きなのか。

「お酒が好き」は、ほんとに自分の特徴なのか。考えてみれば、お酒の味はそれほど好きじゃない。別に美味いもんじゃないよ。お酒。

酔うのは好きだけど、多く飲むと次の日下痢する。一番確かな事実、間違いのない自己分析だろう。

「多く飲むと次の日下痢する」

これ以外のことは、どれも日によって、気分によって違う気がする。先週飲んだビールは美味かった。ビールなんて、味はべつに美味いもんじゃないのに。

「お酒が好き」っていう文から、「下痢」と「不確かな自分」が分析された。意味があるかはわからないけど、いいところをついた気もする。

「不確かな自分」
これがここ最近で一番スッキリと納得できる自己分析な気がする。分析ったって、今と明日の私は別人だよ。今はこんなに体調がいいのに、明日の朝にはまた頭痛で始まる。その時には全く別の考えを持っていて、別の自己分析をするだろう。

じゃあ何のために自己分析なんてやるんだろうね。不確かじゃなく、確かな自分を求める行為だと思う。

自分の少しの特徴を言語にして、そこにいろんな理由をつけて正当化して、自分はこう言うものなんだって自分に言い聞かせて、理想の自分であろうとする、そういったことが、自己分析?

「何者かでありたい」「何者かでなければならない」みたいな社会の重圧みたいなのを感じて、なんか嫌だな。生きづらいもんだ。

そういえば、考えてみると、またひとつ、自己分析ができた。
「鍋料理が好き」
僕を構成するかなり重要な要素の一つだろう。特に、しゃぶしゃぶが好き。大好き。

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