朝食バイキング

 朝からひと勝負。

 朝食のバイキングにおいて、3×2のプレートの内容の芸術点を競う。

 僕は和食に舵を切った。

 小さく区切られたそのスペースは、小鉢の文化である和食でこそ活きる。おひたしに厚揚げ、明太子。ブリの醤油漬け。

 洋食や中華も捨てがたいが、芸術とは詰め込めばいいものではない。多方面に手を出しすぎると纏まりを失う。統一感を捨ててまで選ぶべきではない。

 米をお椀につぎ、一呼吸置いて、ゆっくりとプレートを見渡す。そして焦る。あと一枠が決まらない。

 食べたいものがないのではない。多すぎるのだ。

 店を歩き回ること3周。あることに気がつく。こうして最高の朝食を想像しながら店内を歩き回ること、それこそが、バイキングの楽しさの本質ではないだろうか。

 僕は悩むのをやめた。僕のこの幸福を、いたずらに浪費するのではなく、芸術作品として落とし込む。

 つまり、プレートの一箇所を空けたままにする。可能性を可能性として残しておく。これこそが、芸術。人間の想像力によって完成する、最高の朝ごはんの形である。

 自分の才能が怖い。バイキングの楽しさそのものを、1つのプレートの上に表現しきったのだ。

 ところが僕の自信は、対戦相手の作品によって粉々に打ち砕かれた。

 彼のプレートは、決して美しいとは言えない。

 乱雑に置かれた揚げ物の横には、さらに唐揚げ。小籠包に、ブリに、焼きそば。プレートの一マスに、一口カレー。

 好きな物を並べただけのプレートだ。だが、そこには愛があった。

 好きなものを全種食べ切るという、バイキングへの愛。

 自由があった。

 つまらない常識に囚われない、自由。

 意思があった。

 なにものにも染まらない、むしろ自らの色にプレートを染め上げるという、確固たる意思。

 まだ完全ではない。荒削りだ。

 だが、力強いそのプレートから、目が離せない。

 彼のバイキングのプレートは、規範からの逸脱なのだ。魂の反逆なのだ。囚われからの、脱獄なのだ。

 3×2の鉄格子でできた牢獄のなかで、最も凶悪なメンバーを揃え、つまらない常識にまみれた世界を脱獄すること。それこそ、彼の目指した美なのだ。

 再び僕のプレートに目を落とす。なにが芸術作品だ。なにが想像力だ。

 小手先だけのつまらないやり方で、何かをした気になっている。格好が悪い。美学がないのだ。

 人間だってそうだ。どれだけうわべを取り繕ったって、意味がない。芯が大事なんだ。それ以外は些細なことなんだ。

 彼のプレートを見よ。彼と同じで、一貫している。芯に己の価値を持っているのだ。人に認められることを必要としない、不変の価値を。

 結局、麺コーナーにあった博多とんこつラーメンが一番美味しかった。からし高菜をいれると格別にうまい。勝負の話は特になかった。勝負だと思ってたのは僕だけだったみたい。







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