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ワレワレのモロモロ名古屋編の感想

 メニコンシアターAoiで『ワレワレのモロモロ名古屋編』を観てきました。

構成・演出・岩井秀人(ハイバイ)
台本と出演、宮璃アリ、寺田華佳、野崎詩乃、水谷悟子。
出演・板垣雄亮、川面千晶、朝倉真琴、飯嶋光春、重美紗果、土屋康平、中川大喜、みきを、森夏音。


 なぜ僕はわざわざ名古屋まで行ったのか?

 メニコンシアターAoiという素晴らしい劇場で芝居が上演されているのを観たかったからです。

 今年2023年にオープンされたこの劇場は、客席は300ほどの小劇場にもかかわらず舞台にセリがあったり、オーケストラピットまであるという豪華さなのです。
 一階にはおしゃれなロビーとカフェがある素敵空間が広がってます。
 本社ビルにこんな劇場を作ってしまうなんて、僕は一気にメニコンという会社が好きになってしまいました。

 その劇場がオープニングイヤー企画の一本として、ハイバイのワレワレのモロモロ(以下ワレモロ)をやるというのは、センス良すぎでしょう。

 などとワレモロに詳しいみたいに書きましたが、実はワレモロを観るのは初めてです。

 構成演出の岩井さんとは、もう20年来の付き合いになるんですが、このワレモロの企画はなぜか見ていなかったのでした。

 ワレモノというタイトルになる前、岩井さんが劇団員たちに台本を書かせて、それを試演会のような形でやっていたのは覚えているので、この企画の萌芽はずいぶん前からあったわけですね。

 オーディションで選ばれた俳優たちの身におきた酷いエピソードを台本化して、それを舞台での上演まで持っていくというのは、かなりの熱量が必要だと思います。
 それを10年も続けて来たというのはすごいことです。

 この私小説にも通じる脚本創作の手法は、もともと岩井秀人作品のそれと同じです。

 岩井さんの処女作の『ヒッキー・カンクーン・トルネード』は彼自身の体験を演劇にしたものでした。
 それ以来、自分の身におきた酷いことを演劇にして、自らそれを演じるということを岩井さんは自らやってきていました。
 そしてその演劇的効果を体験してきたわけです。
 奇しくも彼の二作目のタイトルには『演劇療法』というワードが付けられていました。

 演劇をやることにも、それを観ることにも治癒的効果があるということを、彼は体験的に捉えていたのでしょう。

 そして自分が身をもって編み出した演劇創作の方法を、他の俳優たちにも体験させようというのが、このワレモロという企画なのだろうと思います。

 今までの演劇史にこのようなものはあったでしょうか?
 僕が知っている限りではないような気がします。

 もちろんあらゆる脚本家にとって作品は個人的なものだし、どこかに私小説的なものを含んでいるとは思います。
 しかしそれを自分で演じるということは、滅多にありません。

 エピソードを語った本人の前で、それを即興で演じるという形式のものは、プレイバックシアターと呼ばれているものがあります。
 これが精神科の治療の一環として行われているということは知っていました。

 トラウマを抱えた人などが、自分に起きたことを客観的に見ることで、それを乗り越えていくことの力になるということのようです。
 まさに演劇療法ですね。

 この手法の危険性はプレイバックシアターの方達もわかっていて、ファシリテーターの人が非常にデリケートに進行していくとのことでした。

 どういう危険性かというと、人によっては押さえていたトラウマが突発的に出現してパニック症状などを引き起こしてしまったりすることもあったりするのです。

 ワレモロの場合はひどい体験をした当事者である俳優自身が脚本を書き、それを自ら演じるのですからそういう危険性もはらんでいます。

 ワレモロのオーディションでも、参加者の感情が溢れて泣き出したりすることがあったと岩井さんも言っていました。

 おそらくオーディションからして時間もかかるだろうし、それを一つ一つ精査しなければならない演出は途方もないエネルギーを要するであろうことは、想像に難くないです。

 選ばれた『ひどい話』を俳優に脚本化してもらい、それを一本30分の上演可能な物にしていくのにも膨大なエネルギーが必要です。

 僕は脚本を書くことを仕事にしている人間なので、他人の脚本に対して修正を加えることの大変さも良くわかっています。
 良さを引き出しながら、無駄なところを削いでいくことになります。

 相手が素人の場合は、その大変さは倍増どころではありません。

 岩井さんは、この作業を6回くらいのメールのやり取りでやっていると言っていました。
 もう10年もこれをやっていて慣れているとはいえ、これは大変な作業だろうと思います。

 名古屋から東京に向かう新幹線の中で観てきた感想を書くはずが、前置きばっかりになってしまいました。

 ここからが感想です。

 一本目
『再々々々々々』

 6回も離婚と再婚を繰り返したDV父親に幼い頃から振り回された娘の話。

 本当にムチャクチャな父親が登場します。
 この男を演じているのが、当事者でこの脚本を書いた宮璃アリさんでした。
 自分を虐待していた当人を演じるというのは、いったいどんな気分でしょうか。
 まるで韓国ドラマに出てくる暴力親父です。
 殴る蹴るは当たり前、逃げた妻と子供をどこまでも追いかけてきて、子供をさらったりします。
 それでも暴力被害を受けた妻は再婚したりするわけです。
 娘であったアリさんは、当時の自分を父親になって殴りつけるのでした。

 あまりにも凄惨な家族の被害状況なのですが、それを観客が見続けることができたのは、被害者であるアリさんが、加害者を演じていて、しかもなんとなく優しそうな女優さんであるからでした。
 ちょっと過剰な演技もコミカルに見えてくるのです。

 理不尽な父親は、80歳を過ぎて認知症も入って孤独になってしまいます。
 そして現実にはアリさんの物語はまだ続いているのですが、舞台は終わります。

 僕はこれを書いたアリさんが、父親をどうにか理解しようとして、やっぱりできないという、突き抜けた思いを感じました。
 もしかしたらアリさんの中では、このお父さんの物語はすでに解決していたものだったのかもしれません。
 だから見ていて、嫌な気持ちにはならなかったのでしょう。

 終演後に演出の岩井さんから、アリさん自身が父親を演じるのが決まったのは初日の2日前だったいうことを聞きました。
 それまでは父親役は板垣さんで稽古を進めていたとのこと。

 僕は開いた口が閉まりませんでした。

 2日前の役交代。
 そんな状況で迎えた初日だったとは。

 岩井さんとしては、この作品で被害者が被害者を演じると、観客にとっては凄惨になりすぎると判断したとのことでした。

 僕が感じたことは、演出の狙い通りだったというわけです。

 それに対応した俳優というか、アリさんの実力は大したものだと思います。


 二本目
『晴れ舞台』

 妻帯者に独身だと偽られて付き合っていたら、彼の妻からいきなり訴えるというDMが来て震え上がり、精神的にも追い詰められていく女優の話。

 まぁ、本当に可哀想な話しなんですけど、それを当事者の女優さん(寺田華佳)が脚本書いて演じています。

 この女優さんは、追い詰められて舞台を直前で降板することになったりもするわけですが、この舞台が2年ぶりの復帰作ですとのセリフで終わります。

 つまり目の前にいる人が、ようやく2年ぶりに復活できて良かったねとなるわけです。

 僕が興味深かったのは、この女優さんが懸命に自分を追いこんで来る相手の裏アカとかを特定したりするところでした。
 なんかスゲーってなって、背筋が冷たくなりました。

 目の前で演劇している可愛い女優さんの中に、そんな部分もあることを見せつけられてしまったからです。
 リアリティを超えたリアルだと思いました。

 そして自分を追い詰めた当人と、最後は一緒に花見に行ったりもします。

 僕には理解不能の行動でした。
 でもこれがリアルなのだと思うしかありません。
 だって嘘は書いてないはずだから。

 脚本を書くための取材だったということならば、アリだとは思いますけど。

 いろんなことを考えさせられる作品でした。


 三本目
『身体よ、動け』

 幼い頃から両親によるコントロールを受けて医者を目指していた女の子が、演劇と出会って、そのコントロールから抜け出す話。

 この子(野崎詩乃)の最も悲惨な時期は高校生の時で、精神的に病んで身体が動かなくなって部屋に引きこもってしまいます。
 その後、なんとか両親のコントロールから脱出しようとして、進路も変えて一人暮らしをするようになるのですが、高校の時に一週間引きこもっていたという記憶は、本当は一年間だったのを無意識に書き換えていたということがわかります。

 いかに親からの精神の支配は強烈だということがわかるエピソードでした。

 それを抜け出せた人(本人)はラッキーでした。

 これはある種の成功体験なわけですが、こういう作品は誰に向けて書かれるべきかというのを考えると、同じような悩みの渦中にある人だろうと思います。

 そういう人が、この物語を観ることで、なんらかの救いになることもあるはずです。

 まさに岩井秀人が自分の作品で、多くの人たちの共感を得てきた理由はここにあります。


 四本目は
『失恋から始めるわたしのはじめかた』

 美人で良い子でずっと相手に合わせて生きてきた女性が、浮気されて恋人と別れたことから、自己分析をするようになったら、自分の性格は子供の時に母親に叩かれて言うことを聞かされていて、いつの間にか相手に気に入られるようにして自分を抑えて生きてきたことに気づいて、心理学を学び始め、すっきりする話。

 クライマックスは、彼女(水谷悟子)が両親に今までのことを謝ってくれと迫るところ。

 はたから見たら、そこまでせんでもと思ったりもするけど、そういうことを本当にやっちゃったんだな、この人はという感じで観ることができました。


 四本の感想を書いて思ったこと。

 いやぁ、大変でした。

 東京に帰る新幹線の中で着くまでに書こうと思っていたのですが、それぞれのエピソードに重さというか、質量があって、それを見てない人にもわかるように書こうとしていたら、かなり長くなってしまいました。

 ここまで読んでくれた皆さんには、感謝します。
 あと少しで終わりますから、もうちょっとお付き合いください。

 冒頭にも書いたとおりワレモロは本当にあったエピソードを脚本にして、それを当人が演じるというものです。

 観客も、そういうことだと理解して舞台を観ます。
 しかし脚本家の立場からすると、全部が本当でなければならないということはないのではないかと思います。
 この企画を否定するわけではなく、多少フィクション、演出が入っていても許容できるのではないかということです。

 観客の立場からしたら、これらの作品が本当であることよりも、その芝居を観て、自分の中に起きる感情の動きや、一瞬の楽しさの方が大事なのではないでしょうか。

 それこそが演劇を観る楽しさなのですから。

 脚本家としては、素人の俳優が書いたものが、こんなに面白くなってしまうのは、とても困ります。
 プロの立場がないじゃないですか。

 しかしこうも思いました。
 ここに出てくる『ひどい話』は、それを言えるようになった人の体験談であります。
 世の中にはひどい目にあったり、ひどい状況の中にいる人で、自分のエピソードとしてはとても書いたりできないというような方達が、もっとたくさんいらっしゃるはずです。

 ワレワレ脚本家は、そういう人たちのためのワレモロを書くことかもしれにと。

 まだまだワレワレのモロモロは広がる余地があると思いました。

 今回、招待券で見させてもらった借りは、この感想文で返したということにしてください。(笑)
 

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