摩天楼

 昨日、突然彼女に振られた。風邪の日にキスをしてくれるひとだった。春のカーテンのようにやさしいひとだった。僕のような余所者と付き合ってくれた、ただそれだけで彼女が聖者だという証明になる。東京に来てからかれこれ3年になる。ちょうど18の頃、大学1年のときに彼女と出会った。図書館でドス・パソスの『USA』という小説を探しているときに出会った。僕から声をかけたと思う。彼女は僕より人見知りだし、なにより彼女はあまり喋るのが得意ではない。だが彼女には文才があり、小説家志望だ。すごいのは、あのとき、大学1年の時点で有名な作家の登竜門的なコンペで最終選考に残っていたのだ。周りからチヤホヤされるそんなことを彼女は微塵も自慢せず、常に自然体で、存在していた。「今にも消えそうな人が好き」とあるとき彼女は言っていた。だから僕のことが好きらしいのだ。と言うことは僕はいつか消えるのかもしれない。そう終末論的に僕は僕の存在が消えることに怯えていた。ブルブルとまるで真冬のチワワみたいに。僕には文才がない。そんなのわかっていた。でも、彼女と出会って自分の凡庸さにはっきりと気づいた。彼女のような人間のことをきっと人は天才というのだろう。だから彼女と出会ってから僕は作家志望という無茶な考えは捨てて、潔く普通のサラリーマンになろうとした。できれば大手会社の、そしてホワイトな。一方彼女は作家志望だった。だんだんと僕は彼女との将来を考えるようになり、彼女の才能を潰さない献身的な恋人でいたいと思っていた。そんな矢先だった。彼女から突然別れを告げられたのだ。小説に専念したいという理由ではなく、他に好きな人ができたというありきたりな理由だった。彼女らしくないなと僕は戸惑っていた。別れを告げられた日、僕はコンビニでビールを大量に買い、飲み続けた。酒が忘れてくれるだろう、でも無理だった。卑屈になっていた。彼女を恨んだり、彼女が好きになった人を恨んだりはしていない。ただ、こんなにも別れというのは辛いんだなと僕は思った。古いフィルム映画のように僕と彼女の記憶にジリジリと亀裂が走っていく。スマホに保存された彼女の写真を見てみるが、虚しくなるだけだった。そんな暗い夜を馬鹿なビールで洗おうとしているのだ。何度も何度も号泣した。夜の帳が下りる頃には僕は僕でなくなっているだろう。

 そして、僕は大学をやめた。生きる意味も失った。僕は故郷に帰ることにした。少なくとも彼女は小説家として成功するだろうな。

 数年後、ふとテレビをつけると、新進気鋭の作家として彼女を特集したドキュメンタリー番組が放送されていた。ただ、それだけだった。彼女の本を買った。自伝のようなそのデビュー作には僕が登場していた。
「彼は風邪の日にキスをしてくれる人だった」
そんな一行を読み、また僕は僕を取り戻そうとしていた。

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