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お金が欲しい 31

藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.42−43。)

先日、ある伝道者が、その方は大きな働きをされた方ですが、こう言っておられました。

「ぼくは、お金が欲しいといつも思っている。お金があれば、あの人にこうしてあげたい、この人にもこうして上げたいと、願いは尽きない」

と。

この話を聞いて、ドキッとしました。
ある程度、私もそう思っているところがあるのを、ハッキリとおっしゃっているからです。誤解を恐れないでものを言うというのは、大したことですし、それなりの確信に基づいていなければ言えません。

最近の風潮は「お金、お金」でしょう。
若い人から年寄りに至るまで、お金を追いかけている人たちばかりです。
クリスチャンと言われている人でも、結構そういう生き方に流されている場合もあります。そういう若い人を見ると心配です。

特になんでもお金に換えて、「これはなんぼくらいの値打ちや?」なんて言っているのを聞くと、寂しい気がします。お金に換えてしまうと、その中にこもっている人の情け、真実、真心が見えなくなってしまうからです。

お金に換えられないものがあることを、まず第一に知らないといけないのです。

でも「ぼくはお金が欲しい」とおっしゃった伝道者の言葉。これは味わうべきです。

本当の信仰者というのは、一遍はこの世的なものを、すっかり捨てるのです。否定するのです。そして、それを超越した世界を知って、そこに生きるのですね。

そこからもう一度、この世的なものを扱う時、同じことを言っていても全く違うのです。清い人には、すべてのものが清いのです。清められた人の手にある金銭は、実に大きな働きをすることを知りましょう。

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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月26日、56歳で召天。この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり、3分間テレフォン・メッセージとして書き溜めたもの。


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