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結構 27

藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.36-38。)

森本哲郎という評論家が、日本語の中で面白いのは「結構」という言葉だと言っています。

「あの店の料理はどうですかね」
「結構いけるよ」

結構とはどのくらいなのか、ハッキリしないのですが、結構分かったような気になるので、結構な言葉であるという訳です。

ここで「結構」というのは、予想以上というニュアンスがあります。その予想を越えていたから、結構いけるので、それ以下の場合は「いまいち」とか「そこそこ」「まあまあ」となるのです。

元来日本人は、悲観論者で、失望しないために目標を低く設定し、そこで思ったより良い場合、結構だった、と満足するのです。
その日本人好みの代表的表現として、「結構です。結構でした」というのですが、何となく、寂しい様な気もします。

ところで、聖書には

「私たちのうちに働く力によって、私たちが求め、また思うところの一切を、遥かに超えて叶えて下さることができる方」

(日本聖書協会口語訳聖書 エフェソ書3.20)

が、神であると記されています。

求め、思うところを遥かに越えてかなえて下さる神様とは、何と大きなお方でしょうか。低めの目標で、何とかなって結構だった、と自分を満足させるよりは、もっともっと大きく求めて行く魂の力、心の強さを持ちたいものです。

人生は夢を実現するチャンスがたくさんあるのです。敢えて小さく、自分を閉じ込めることも要りません。

「できるならというのか、信じる者には、何でもできる」

(日本聖書協会口語訳聖書 マルコ伝9.23)

と言い切って行動された、イエスの厳しさは、私たちには、強く響くかも知れませんが、結構必要なことでしょう。 

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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月26日、56歳で召天。この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり、3分間テレフォン・メッセージとして書き溜めたもの。


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