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noteがオタクに優しい理由

ちょっと仕事の筆休み。あんまりがっつり書かずに独り言的な感じで書きます~。

個人的に、noteが好きな点が一個あって、オタクに優しいってところなんですよね。オタクに優しいというのは、

①オタクに経済的な豊かさを与える
②オタクがオタクに認められる経験を与えられる

ってことですね。

①オタクに経済的な豊かさを与える

最近本を出版したんですが、本の値段の決まり方って面白いな~と思って。

例えばマス向けのホリエモンの本とかって1000円未満で買えるじゃないですか、あれってやっぱりマス向けのコンテンツで、大量に売れるからあの値段で行けるんだと思うんですよね。

で、今回僕が出した技術書って、もっと限られるっていうか。例えばホリエモンの本を買う人が100万人いたとして、そういうヒトの中でプログラミングに手を出す人ってだいぶ限られると思うんですよね。全体の5%もいないだろうなぁと。

そう考えがえると、出版社側も大量に売れないので、客単価を上げる方法しかないと思うんです。だから専門書は高いんですよね。

※ちなみに先日あるAV男優のヒトと話していて、ゲイビデオが高いって情報を聞いたんですが、これも同じ理由かと。

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本を出版する条件って


①大量に売れるから客単低めで成立する本
②あんまり売れないけど一定数欲しいニッチ層がいるから成立する本
③ほとんど売れないし、相当少数のニッチ層はいるけど採算合わなくて売れない本

があると思っていて、①はホリエモンの本。②は技術書だとして、実は③が売れない仕組みになっているんです。なぜなら流通コストがでかすぎて、ニッチに届いて需要があったとしても採算が合わなくなるから。

noteが好きなのは、この③がシステムとして成り立つんですよね。なぜなら流通コストがかからないから。もちろんプラットフォーム側の回遊性や、コミュニティ資産などのメンテナンスに人件費等々かかっているとは思うんですが、それでも流通コストが低い。

流通コストを考えなくて済むから、好きなものを出版できる。売れるか売れないかわからなくても売れる。結果としてそれが売れればラッキー。というのができるのがすごいいいなぁと思います。

②オタクがオタクに認められる経験を与えられる

自分のオタクな部分がほかのヒトの需要を満たしてくれるかもしれないことがわかるのが、やっぱりnoteのいいところですよね。

僕もnoteなかったら、「ゼロからアプリを作るチュートリアルが日本で売れる」なんて確信持てず、出版できなかったわけで。

そういう、なんかよくわからないけど面白いものが売れるって経験って、新しい可能性に値段がつけられる経験って、結構ヒトを豊かにする気がしています。

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よく最近考えるテーマで、「自分が好きなことをするか」vs 「社会に求められていることをすべきか」があります。

これは平成までは、無意識に「社会に求められていることをすべき」というものが大きかったと思います。

でも、noteみたいな経済圏ができると、「自分が好きなことをする」という選択肢が選びやすくなると思っていて。今までは「社会に求められているもの」が巨大すぎたんですが、今はいろいろ小さなブルーオーシャンが分散している状態なんで。その小さなブルーオーシャンをみんなが見つけて、あんまり競争しなくてもゆる~と生きていける社会ができつつあるんじゃないかと思っています。

「自分が好きなことで生きる」方がいいというわけではないですが、それがしやすくなることはすごいいいことだなぁと思います。

終わり

追記)

そういえば、「良書は高い」みたいな意見を発見したけど、本の質と価格って相関しないと思っています。マーケットサイズに依存する話ですよね。だって技術書だってだいぶお粗末なものあるし、時間が過ぎたら情報価値はゼロになる、賞味期限が早いものなのにずっと高く売れるでしょう。

中途半端にニッチマーケットがあるものが高く売れる。そしてニッチマーケットの肩書(ジャンル)があれば。今は。

けど、流通の仕組みが壊れたらこれは崩壊するのかとか、そういうことを考えるのは面白いテーマだと思います。

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