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これからもっともっと疲れる社会になると思う

平成から、令和にかけて、もうありとあらゆるものが民主化されてきた。

令和一発目で、無名な大学生がいきなりツイッターフォロワー8万人になって大物経営者に呼ばれてイベントに出たり。

こんなこと、昔はなかったと思うのよね。下積みがあって、ライブハウスで必死こいてバンドやって、たまにライブハウスにくるプロデューサーに才能を見出されて、その結果やっとメジャーデビューするわけで。

でも、インターネットは評価を民主化してしまった。だから米津玄師みたいなニコニコ発の人間が紅白歌合戦に出れるようになってしまった。

社会学の有名な議論で「機会の不平等」と「結果の不平等」という議論がある。

「機会の不平等」は、生まれ持った性質の不平等だ。例えば、親の年収とか、親の学歴とか、生まれた地域とか、人種とか。生まれた時点で無理ゲーみたいな感じになるやつ。

「結果の不平等」とは、生まれた後の努力によって生まれた格差のことだ。平等化させようとすると、社会主義みたいな話になって、競争原理が働かず国家がうまくいかない。

だから社会正義を語る際、普通民主主義国家は「機会の不平等」をIssueとして、是正処置をとるのが一般的である。そして、平等なシステムの上で、正当な競争が行われれば、格差は正当化できる。Affirmative Actionとかがその例。

つまり民主化とは、結果の格差を正当化する人間の競争基盤を整える政治システムなわけだ。

もちろん、民主化って超いいこと。だってみんなが頑張った結果が認められやすい機会を与えられるから。

だけど、僕はこれは全員が「やればできる」という圧力にさらされることを意味していると思う。例えば、自分の身近な友達がツイッターのフォロワーを増やして、ツイッター転職して、有名になっているのをみたら疲れると思う。「君にはこんな機会があるのに、やってないんだよね。それって君の努力不足だよね?」なんて声がいろいろと聞こえてくる。「お前がダメなのは、努力やセンスが足りないから。もっとやれ」ってなると思う。

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