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IT業界でときめく成功者が、子供時代に共通してやっていたたった1つのこと

子どもができると、今後どういう教育を子どもにしたらよいのか迷う方も多いと思います。英語を学ばせるべきなのか、いやプログラミングなのか。

東京大学の統計によると、東大生が子どもの頃に習っていた習い事ランキングの1位は「水泳」、2位「ピアノ」らしいです。

ニッセイが20代までの一般家庭の男女1155人に実施した「子どもの頃に通っていた習い事」のアンケートでは、1位「水泳」42.9%、2位「書道」32.3%、3位「学習塾」30.5%、4位「音楽教室」26.1%、5位「英会話」15.3%だったという。どれも昔から人気のある、定番の習い事だ。
一方、東大家庭教師友の会が東大生202人に実施したアンケートによると、「過去にしていた習い事」(ただし学習塾は除外)によると、1位は同じく「水泳」65.8%で、以下2位「ピアノ」56.4%、3位「英会話」32.2%、4位「習字」25.7%、5位「サッカー」19.3%…と続く。こちらも、どれも定番のものばかりだったが、特筆すべきは東大生の「ピアノ」が、一般家庭のピアノを含む楽器の「音楽教室」に比べて2倍以上だったことだという。

さて、何を学んだらよいのでしょう。気になってふと最近いろいろなIT業界の人(20~40代)の経歴を見ていたのですが、子どものころにHTML・CSSというプログラミング言語に触れていた経験が多いことに気が付きました。そしてツイートをしたらこのように反響が大きかったのです。

ということで、今回は幼少期にプログラミングに触れていた著名人を紹介したいと思います。

堀江貴文さん


ホリエモンですね。現在40代です。以下Wikipediaから引用

堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年10月29日 - )は、日本の実業家、著作家、投資家[1]、タレント。愛称はホリエモンだが、堀江本人があだ名やペンネームなどを名乗る際にはたかぽんを自称している。sns media&consulting株式会社ファウンダー、インターステラテクノロジズ株式会社ファウンダー[2]、株式会社7gogo取締役、日本ゴルフ改革会議委員[3]、Jリーグアドバイザー、大阪府の特別顧問(国際博覧会(万博)担当)[4][5][6]。元ライブドア代表取締役社長CEO。

彼の幼少期について書かれているページがありました。中学生のことからプログラミングを学んでいたようです。

https://pixls.jp/I0001740

私立の久留米大学附設中学校に進学した堀江貴文さんは、中学校の合格祝いにパソコンを買ってもらいます。これが後にIT業界のトップクラスとなる才能との出会いだったのかもしれません。
パソコンを買ってもらった堀江貴文さんはプログラミングの世界にのめり込んでいきます。
当時から既存のものではなく、自ら作り出すものが好きだった堀江貴文さんは中学二年生になる頃には、買ってもらったパソコンのスペックでは満足できないほどの技術をつけていました。
中学二年生にして、親に20万円の借金をして新しいパソコンを購入した堀江貴文さんは郵便配達のバイトをし、お金を返済しました。
中学生にして、塾講師からパソコンの仕事を頼まれるなど才能が溢れ出ていた堀江貴文さんですが、当時はインターネットが存在していなかったため、だんだんと興味も薄れて行ってしまいます。

ひろゆきさん

2chをつくったひろゆきさん。彼も40代です。

プロフィールをWikipediaから引用してみました。

西村 博之(にしむら ひろゆき、1976年11月16日 - )は、匿名掲示板・2ちゃんねるの開設者。東京プラス代表取締役、未来検索ブラジルの取締役。 『2ちゃんねる』とは、1999年5月にWeb上にてサービス提供を開始し、2000年代前半に日本最多の利用者数を記録した。愛称・ひろゆきは2ちゃんねるにて命名される。後に管理者権限を他者に譲渡し実業家に転身。主に日本のインターネット文化の形成に関する基盤を築いてきたことで知られる。血液型O型。パリ在住。

ひろゆきさんの子ども時代については以下の記事で解説されていました。

ひろゆきさんも小学生のころからプログラミングを学んでいたようですね。

おいらが小学生だった1980年代には、インターネットなどなく、おいらも最初はパソコン雑誌にテキストで載っているプログラムを見て、手で打ち込んでゲームをするという感じだったのですね。
 これをくり返し、しょうもないプログラムぐらいは書けるようになったのですが、ある日読んだMSXマガジン【※】という雑誌に載っていたプログラムを見て、「プログラマーとして自分は天才ではない」という自覚をしたのです。
そんなおいらですが、プログラムをMSX-BASIC【※1】ってので小学生時代にかじったせいで、インターネットとやらが始まったときにも、Perl【※2】でCGI【※3】のプログラムを書いてサイトを作るなどもすんなりいけたのですね。

塩谷舞さん

milieu編集長の塩谷さんのプロフィールはこちら。1988年生まれとのことなので、30代です。彼女のことを紹介している記事がありました。

milieu編集長。1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学 美術学部 総合芸術学科卒業。大学時代にアートマガジンSHAKE ART!を創刊、展覧会のキュレーションやメディア運営を行う。2012年CINRA入社、Webディレクター・PRを経て2015年からフリーランス。執筆・司会業などを行う。THE BAKE MAGAZINE編集長、DemoDay.Tokyoオーガナイザーなども兼任。


彼女も子ども時代、Windows95が出たときから、PCに触れていたそうです。その中の一説を引用します。

——小学校って、文化的であるより、運動できて面白いかが大事ですよね。
それでパッとしない子でしたね。ただ小学校4年生の時に、実家の座敷にWindows95がドーンと登場して、自由に使わせてもらえるようになったんです。父がパソコンオタクで、パソコンを買う前から2年くらいずっと、パソコン専門誌を購読してたんです。家にパソコンがないのに(笑)。当時のパソコンはいまと比べると超高額でしたが、やっと母の許しを得て、満を持して購入の運びになって。私もうれしかったです! 家にはTVゲームがなかったので、ゲームをする感覚でパソコンをはじめました。
電話回線でインターネットに接続して、小学生のためのポータルサイトでお絵かきを投稿したりしました。きっと、そのサイトに集まっている子たちって、私みたいに学校ではあまりパッとしない子が多かったのかもしれない(笑)。そこには絵や本が好きな子も多くて、共通の話題があり、すごく良い友達ができました。
——絵を描くのがお好きだったんですか?
好きですね。小さい頃から絵を描くのが少し得意で、運動ができなくていつもクラスメイトからは格下扱いなのに、絵を描くと「あれも描いて、これも描いて」とちょっと認めてもらえるんです。それがうれしくて。
ネットなら良いものをつくったら、誰かに取り上げてもらえる。小学生の頃から素材屋さんのようなサイトをつくってランキングに登録したら、どんどんアクセスが増えて楽しかったです。ランキング上位のかわいいサイトのHTMLをまねして、試行錯誤しながらサイトをかわいくしたりしていて。小学校から帰ったら、ピアノの練習をサボッて没頭していました。

えとみほさん

Jリーグ栃木SC、マーケティング戦略部長。

スマホで撮影した写真を売買できるアプリ「Snapmart(スナップマート)」開発者。Webメディア「kakeru」初代編集長。


ツイッターの引用リツイート見ると、昔パソコン使っていたみたいです。

最後に

たったサンプル4つかい!という突っ込みは置いておいて。子どものころから最新のテクノロジーに触れている環境は大事なのかもしれませんね。実際に僕自身もIT企業に入ると、子どもの時に親のPCをいじっていたりする人が多かったと思います。

事例があればその都度足していこうと思います。

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