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一般通過視聴者のだいけです。この1ヶ月、大喜利勉強会やアニソン縛りカラオケなど大変面白い配信がありました。一発ネタだと、EDMたかみや音頭に腹筋を鍛えさせてもらった。

印象に残った、となると少ないですが、ジョー・力一による「夜歩く」は、バーチャルと相性の悪いエピソードトークのジャンル中で、絶品と特筆すべきものだったと思います。

もう一つ…なぜか心惹かれたのは、偶然リアタイできた久遠千歳さん誕生日配信での出来事でした。

久遠くんは、にじさんじの中でも新しいライバーです。単に新しく加入したというだけでなく、トーク・ゲーム・歌を活動範囲とするF-22みたいな、型からして新しいやつです。

マシュマロ読みを切り上げて、動画の30分過ぎから「VTuberといえば」と、ダンスロボットダンス*を歌います。筆者はここで謎のエモさを感じました。

理由に気が付いたのは数日後。Twitterで提起された「VTuberの定義」という論点を通してでした。要旨を掻い摘むと、個人VTuberさんが自らの活動を再定義したいために、用語に線引きすることを提案したのでした。

さて、筆者がこの歌から感得したのは「VTuber」の概念が複製され、更新される瞬間だったのです。その主体はもちろん担い手であるライバー本人で、この曲のMAD製作者の方や視聴者もそれに携わっていたのです。

文化も、言葉の定義も、Twitter上での問題提起だけでは変わりません。担い手の自己認識と行動、そしてそれを支える人によって更新され続けるということなのでしょう。

ただし、まだ疑問が残ります。何故その当たり前のことを唐突に想起したかです。同じ箱の剣持刀也さんをはじめとして、「視聴者だった自分」のストーリーをシェアしてくれたライバーはこれまでにもいたのですが…。

正直、テレビ番組なら「歌のもつ力」とか説明してココで終わるのですが、もう一歩踏み込まないとライバーに申し訳ない。

夏の早朝にセミの羽化を眺めた経験があります。ゆっくりと、しかし確実に変わってゆく様は驚嘆すべきスペクタクルです。生命は素晴らしいものですが、日常生活でそれを確認する機会はありません。この観察は、それを露わにしてくれました。

シェイクスピアに「天体の音楽**」というのがありますが、天体の運動という人からは止まってみえるものが、音楽という認識できるものに転嫁させる点でこれに似ています。

羽化にかかる時間は約4時間。これが直感を与えるのに必要な「遅さ」で、フル版で歌われたこの曲の3分ちょっとが、いま進行している概念の複製を理解するのに必要な長さだったのでしょう。

やっぱり歌の力でよかったんじゃないか。

どうぞ、聴きに行ってみてください。


* ナユタン星人さん作曲

** The music of the spheres、天動説の宇宙が回転するとき、人間には聴こえない妙なる調べが鳴っているというピタゴラス的な理想を、ベニスの商人やテンペストにおいて、人間の耳に聴こえるかたちで表現に利用した (突然の衒学要素)




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