トラウマフーズ

 高校野球引退後のとある休日、朝起きて布団から出た私は、階段を降りて1階のリビングへ顔を出した。窓を見ると、両親の車が無い。仕事や買い物にでも行ってしまったのだろう。食卓の方を見ると、妹2人がパンとサラダを食べている。朝ご飯を後回しにしてTVを点けたそのときだった。

「なんか、変なニオイがするぞ」

「あ、お兄チャンはこれ嫌いなんだったっけ」

「嫌いだけど……、食わなきゃ良いだけだから」

何てことない会話。嗅ぎ覚えのあるニオイ。もう1度妹達が座っている食卓を見ると、卓上には市販のヨーグルトがある。朝の食卓に食パンと野菜とヨーグルト、日差しが差し込んだ明るい空間。写真にすると映えそうだった。そしてこのヨーグルト。ヨーグルト特有のツンとくるようなゴワとくるような、変なニオイだが嫌いなニオイではない。ニオイに関しては克服できたが、ベチョとした見た目は今でも苦手だ。もうヨーグルトは絶対に食べたくない食べ物である。何故ならば、ヨーグルトは自分にとってトラウマフーズだからだ。

 それは、幼少期のことであった。私の通っていた保育園では15時のおやつでヨーグルトが出てくることがある。15時のおやつを食べ終えれば、両親が迎えにくるまでそのまま自由時間となる。食べ終えた順から先に外に出ても、中で遊んで自由にしてて良い。しかし、これは厄介なルールでもあった。何故ならば、出されたおやつは食べ切らないとそれまで自由に遊ぶことができないというものだったからだ。今はその保育園でどのようなルールが適用されているのか私は知らない。当時の先生達はもう辞めてしまっているかもしれない。ただ、当時のままであれば、問題にされても全然おかしくない。そんなルールがあった中、私は15時のおやつで出されたヨーグルトが大の苦手だったのだ。保育園で出されたヨーグルトは酸味の主張が強すぎた。ニオイだけでも酸味が嫌という程主張されている。しかも半固形なのでベチョベチョである。このベチョとした見た目も嫌で仕方が無かった。周囲の友達は何の抵抗も無くヨーグルトを口に運んで行く。それどころか会話を弾ませながら楽しそうに食べている。私はこの味とニオイと見た目のせいで1口食べるのにかなり時間を掛けていた。ヨーグルトがあまりにも嫌なので友達と話す余裕が全く無い。悪戦苦闘していると、ヨーグルトを食べ終えた友達が次々と外へ駆け出して行くのでヨーグルトを食べる度に焦りを感じていた。教室の中にいる子供が数人となった時点で10分も経っておらず、私は容器に入ったヨーグルトを半分も食べられていない。焦っているのにヨーグルトを口に運んで飲み込むまでに時間が掛かりすぎていたのがこれまたもどかしい。

「勿体ないから誰かにあげたい」

ただそれだけを考えながら私は椅子に座ってヨーグルトと睨めっこしていた。勿論、これを先生に訴えたが、食べろの一点張りだったので食べるしかなかった。アレルギーで無ければ例外は認められない悲しさもあったので、もう、地獄だった。自分にもこういうアレルギーがあればヨーグルトを食べずに済んだのだろうか。しかし、私は乳アレルギー持ちではないのでどうにかして食べ切らないと自由は無い。自由を手にするため、私はヨーグルトが15時のおやつで出される度に泣きそうになりながら食べていた。結局、小さな容器なのに、ヨーグルトを食べ切るのに毎回30分以上かかってしまっていた。楽しく美味しいはずの15時のおやつで、私とヨーグルトで壮絶なバトルが繰り広げられていたのだ。そう、これはバトルである。ハッキリ言ってしまえば苦行以外の何でもない、ただのバトル。ヨーグルトが出た日は毎回皆より遊ぶ時間が3~40分程短かった。ただひたすら不味くて苦しかったおやつの時間だった。

 幼少期の30分と23歳となった今の30分は同じくらい貴重な時間なはずだ。15時のおやつで30分以上かけていたということは、すぐに食べ終えた友達と比べると当然3~40分遊ぶ時間が短くなる。保育園では17時半になると両親が次々と迎えにくるので実質的に私は1時間半かそれより短い時間しか友達と遊べなかったのはかなり痛い。しかも園児は基本的に20〜21時には寝かせられてしまう。このときからゲームボーイのテリーのワンダーランドでモンスター同士の配合を楽しんでいたとき等、使える時間が思っていたよりも短いことは痛感していた。ヨーグルトに時間を潰されたと思うと今この記事を書いていても嫌な気持ちになってくる。勿論、卒園後以降は1度もヨーグルトを食べていない。

 しかし、卒園から17年経った今となってはそれも懐かしい思い出である。相変わらずヨーグルトは食べられないままだが、話の引き出しを増やしてくれたという意味ではヨーグルトに感謝している。ヨーグルトに潰された30分が万人に語る為のネタに変わっていったのである。これを読んでくれている皆にも、幼少期の嫌な食べ物があったのだろうか。皆は昔はどんな食べ物を嫌っていて、今は克服できたのか、それとも克服できずにいるのか、とても興味深いところである。

 


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