夜間の冒険 〜18キロのインターバル〜

 私は現在中野区に住んでいる。社会人になった今でも、習慣として2日1回5〜8キロを走り込む。休日に野球をやっているので足腰が衰えなくて良いというのと、汗を流す爽快さが癖になっているからだ。毎週日曜日に試合を組んでいるが、私のいるチームはもう負けてしまい、秋まで試合がない。日曜日は資格勉強以外にすることがない為か、脚が遠方を求める。自分の脚でどこか遠くに行きたいとふと思った私は、22:30に部屋を出てノープランで荻窪駅を目指した。

◯部屋を出る

 ジャージに着替えて私は部屋を出た。ポケットには飲み物代の600円と部屋の鍵だけ。流石に22:30、周囲はもう真っ暗だ。しかし、昼間と違い夜間はその視界の悪さ故に距離感が狂う。目の前が見えないことが功を奏し、何も考えないまま、瞬間的な感覚で方南町に着いた。ここまでで約2.5キロ。このまま環七通りを北上したいが信号が赤の為、止まるしか無かった。そのときに高校時代の記憶がふと頭を過る。

「(高校時代の自分ならこの距離を7〜8分で走るのか……)」

 作新学院硬式野球部時代の記憶。練習がキツいのは甲子園を目指すから当たり前であるが、その中でもタイムトライアル式の走り込みが身体に堪えた。400mの距離を70秒で走るものなのだが、それを数十本こなすのだ。この走り込みの後は疲れのあまり元気が無いし、そのまま死んでしまうのかなと思うことは何度もあり、夕空に走馬灯が見えていた。高校時代の自分ならここまでの2.5キロの距離を10分足らずで走る。今のチンタラと走る自分ではとても信じられないことである。

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◯環七通り、北上

 歩行者用信号が青になり、横断歩道を駆け出す。そのまま北へ北へと走って行く。

「先週は阿佐ヶ谷まで行ったから、今度は荻窪まで行く!」

先週は阿佐ヶ谷まで行ったが、思ってたより物足りなかったので次は荻窪駅まで行くという目標を立てるが殆どノープランである。Google Mapで確認したルート、記憶だけを頼りにして荻窪駅を目指す。まさに計画性など微塵にも感じられないノープラン走行だ。荻窪駅を目指す以外のことを考えていなかった為、高円寺陸橋下まではあっという間である。しかし高円寺陸橋下に着く直前に、ここで私は自分で立てた目標に逆らうことを考えてしまった。

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「(ここを右に行けば中野区に戻れるよな……、真っ直ぐに行けば練馬区まで行けるな……、なんか荻窪まで行くのが面倒臭くなってきた……、戻ろうかな……)」

邪念である。邪念が私を襲った。確かにこのまま右に曲がれば中野区にすぐに帰ることができる。真っ直ぐ行けば練馬駅を2年ぶりに拝むことができる。しかし、自分に甘えはしなかったが目標に逆らうことになる。そんなことを考えているうちに高円寺陸橋下の信号まではもうすぐそこというところにまで迫っていた。即決でこれからどうするか選択しなければならない。甘えたくはない、しかし練馬駅を拝みたい。でも荻窪駅に自分の脚で行くという目標を立てている。さあどうする。

◯タバコルート、そして第2の邪念

 ルート選択の誘惑に襲われた。目標に背くのは自分のことを自分で裏切る行為と同じである。その一瞬で悩んだ結果、私は高円寺陸橋下の信号を左折した。結果として誘惑に打ち勝つことができた。

 信号を左折して青梅街道を西へ西へと駆けて行く。高円寺周辺の青梅街道には居酒屋が立ち並ぶ。それ故に問題点もあった。なんとこの道路、路上喫煙者が多いのだ。路上で喫煙をする中年と何度出くわしたことか。中野区でも路上喫煙者は散見されるが、杉並区高円寺周辺は居酒屋が立ち並ぶせいか、路上喫煙者の数も尋常ではなかったのが衝撃的だった。

 先週は阿佐ヶ谷駅に行ったが、阿佐ヶ谷駅〜高円寺駅間は線路の下に居酒屋が立ち並んでおり、1つ前の時代に戻ったかのような雰囲気を楽しむことができるが、やはり店が店なので喫煙者が多い。酒を楽しんで盛り上がれるのは良いことではあるが路上喫煙者が多い文化は本当に宜しくないと昨晩改めて実感した。特に小さな子供も23時頃なら当たり前のように外出していたりするのでこういった配慮はすべきではないだろうか。私の頭には阿佐ヶ谷と高円寺は臭いという悪いイメージが染み付いた。本当に良くない。

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 路上喫煙者の空間から抜け出すと、今度は阿佐ヶ谷駅に向かう交差点に辿り着く。またしてもここで邪念が襲ってきた。

「(なんか面倒臭くなってきたな、この先上り坂だし阿佐ヶ谷駅を見て帰ればわざわざ荻窪に行かずに早く帰れるのだろうか?)」

最初の邪念程迷いは無かった。やはり距離が距離であり、阿佐ヶ谷駅を見て帰ったところで既に10キロ以上の走行が確定している。だったらもうより遠くにでも行ってしまおうかという気持ちが勝った。右折はせずにそのまま私は真っ直ぐに西へと駆けて行った。

◯目的地へ、そして絶望

 南阿佐ヶ谷駅の交差点を曲がらずそのまま真っ直ぐに走行した私は上り坂に直面した。信号を見ると天沼陸橋と表記されていた。そのとき、私の脳裏に僅かな希望が見えてきた。

「(もうすぐ荻窪じゃないか!?)」

陸橋を駆け上がると、下に線路が見えた。目標の荻窪駅はもうすぐそこである。ここまで約10キロ。ノープランの挑戦、達成感がここにある。ただなんとなく行きたかった場所なのに、自分の脚で来た事実に心躍る。荻窪駅の地下通路を抜けて南口へ出た。

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 心躍ったその気持ちのまま自分の部屋に戻りたい。しかし自分の脚で10キロを移動してしまった。近くに設置してあった地図を見て背筋が凍った。この距離を、今度は自分の脚で戻らなくてはならないのだ。目標を達成した喜びも束の間だった。今度はこの距離を戻らなくてはならない絶望感が押し寄せてくる。来た道をそのまま戻るべきか、環八通りから帰るべきか、選択を迫られた私は暫くの間、南口の道路を往復していた。そして、荻窪駅に来るまではただ目標を達成したい為か疲れを感じることは無かったのだが、ここにきて急に疲労感に襲われた。

「(この気力でずっと走っているのは難しい……、途中で歩いたり、インターバルで帰ろう)」

私は歩いたり走ったりを繰り返すインターバル方式に切り替えて、目標であった荻窪駅を後にした。 

◯環八通り、南下

 荻窪駅南口の通りを更に西へ、環八通りに出た。荻窪駅やその周辺は幾らか明るい場所であったのに対し、環八通りと交わる交差点はどこか暗い雰囲気だ。同じ駅周辺でもこんなに雰囲気が変わるのかと斬新な気持ちがあった。環八井の頭通りの交差点までの道のりは初めて通る道、もしかしたら何か面白いものが見つけられるかもしれないという気持ちが沸き上がってきた。疲れは残っているが、目標を達成した絶望に比べたらいくらか疲労は軽減した気持ちにはなれた。気持ちに疲労が左右されるのを改めて実感できたのも良かった。この気持ちでなんとか環八通りを走って南下することとなった。

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 帰り道は何とかして井の頭通りの交差点に出るのが目標となった。広い環八通りを南下する。距離があるのは重々承知していたが、その距離は自分の想定以上であり、中々目標の交差点に辿り着けない。行きは目標に対する気力があったので勢いだけで10キロを楽々走れたのだが、帰りは自分に残された体力との相談が自分の部屋に戻れるまでずっと続くのだ。少しでも帰り道を楽にする為に早くこの交差点に辿り着く必要があるので、どんどん気持ちに焦りが生じる。行きはよいよい帰りは怖いとはよくいったものである。

◯ボタンの掛け違い、そして恐怖

 環八通りをひたすらに南下し続ける。そうしている内に、陸橋が見えてきた。陸橋に表記された文字を読むと「高井戸北陸橋」とある。私は2年ぶりに「高井戸北陸橋」を訪れた。しかも以前は井の頭通りから来ていたので、違った角度から「高井戸北陸橋」を見ることができたのである。帰り道の1つの目標を達成したが、このことが私の帰宅ルートを狂わせることとなる。

 高井戸北陸橋の交差点を左折した私は、そのまま中野区に戻るべく東へ向かう。しかし、どこか違和感がある。この道路には電柱が無いのだ。

「(2年前に来たときは電柱があったのに、整備が進んだのかな???無電柱化すごいな!)」

建設業故の思考とはいえ、あまりにも呑気だ。電柱が無い道路をひたすら東に向かって走る。無電柱化が施された道路を走っているが、段々違和感が強くなって行く。更に途中から曲がり道により北上していることに気が付き、遂に私の脚がピタリと止まった。

「(あれ???おれはどこにいるんだ????明らかに北に向かっているし、また荻窪に戻っちゃうんじゃないのか????ここどこなんだよ〜!訳わかんね〜よ〜)」

しかし、道が正しい可能性もあるので(そんなことはないのだが)、来た道を戻るのも億劫だった私は、このままこの道を進むことにした。少し進むと交番が見える。行きたい場所に辿り着けない絶望感の中で見えた小さな希望だ。交番には「西成田」と表記されている。また、交番にある時計は0時を回ろうとしていた。最早自分のいる場所がよく解らなくなっていた私は迷いなく(思いっきり道には迷っているが)交番で道を訪ねることにした。

「あの〜すいません、西永福ってところに出たいんですが……どうしたらいいですか」

「それならこの道を真っ直ぐ行けばいいよ」

警察官が指した方向は、先程の無電柱化が施された綺麗な道ではなく、見通しが悪く先が見えない闇の空間が広がる小道だった。警察官は道を私に教えた後、巡回でもあるのか、自転車に股がりどこかに去ってしまった。

「ん?なんか神隠しにでも遭いそうな道路だな?」

本当に神隠しに遭う訳ではないが、どこか不気味な印象の道路であったことは脳裏に強く焼き付いている。不気味な道路を目の当たりにして私も恐怖を覚えたが、警察官はもうそこにはいない。警察官の言葉を信じるか。来た道を敢えて戻るか。それとも、違和感と戦い続けながらも来た道を進むか。3択だ。ゲームではないので同時選択はできない。

 私は警察官の言葉を信じて、神隠しに遭いそうな道路を行くことにした。案内された道を南下する。最初はこんな道で本当に西永福に出られるのかという不安を抱えていた。とはいえ、警察官は私なんかよりも地理には詳しいし、それなのに警察官の言葉を信じないというのはあまりにも失礼である。すぐにこの道で辿り着けるのかという不安は拭い去ることにした。知っている道に出ないと帰れないのだから、地理に詳しい人の話を聞いて、それを信じるのは当たり前である。そうしている内に井の頭通りに出てきた。何度か来たことがある、知っている道にやっと出られた。無電柱化が施されていない、知っている道路だ。ひとまず私は安堵した。井の頭通りに出られたということは、この通りは「高井戸北陸橋」に繋がっている。漸く先程の違和感の正体に気付くができた。

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この青丸が私が通過したルートである。道を間違えていた。交差点を1本、曲がるのが早かった。帰宅してから調べたら、この道は高円寺に繋がっていることが分かった。北上している感覚は正しくとも、しっかりと東に進んでいることまでは把握し切れていなかったので方向感覚を失っていたのである。距離感を感じにくいので自分のペースで走りやすいのは夜間ランニングの魅力だが、視界と見通しの悪さ故に方向感覚を失いやすいのは夜間ランニングの怖いところであると言えよう。

◯終わりに

 あとはもう知っている道なので迷いは無い。ひたすら道を駆け抜けるだけだった。道に迷った不安がないとはいえ、私は疲れ切っている。にも関わらず残りの力を振り絞って自分の部屋へと戻った。西永福に来た辺りから脚が痛くなっていた。でも迷いと不安から解放された喜びの方が大きかった。帰宅したのは1時を回ろうとしていた頃だった。途中少し歩いたりしたせいか、時間がかかりすぎてしまった。目標と誘惑、そして迷いと不安、充実の約2時間半と少しの旅はここで終わりを告げた。

 久しぶりの長距離夜間ランニングでは、目標を達成してもここで終わらない、しかもまだ先があり、長い距離を移動しないと帰れないことを億劫に感じる堕落的な気持ちを久しぶりに味わうことができた。これまでも堕落的な気持ちを持った自分とは何度も向き合ってきたが、これから先も何度もそんな気持ちと向き合うことになる。堕落的な気持ちの自分はいつでもすぐそこにいる。改めてそれを実感した、そんな18キロの長い夜の旅だった。

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