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中東の知られざる世界(ラマダン編)×固定概念やイメージを破壊することが成長だと言うこと。


僕は中東の文化がすごく好きだ。

モスクの荘厳な雰囲気。幾何学模様のように整えられたデザインが美しい聖書コーラン。圧倒的な信仰と膨大なエネルギーが集まる聖地メッカ。

どれも僕ら日本人には持ち合わせていない信仰心と宗教観が魅せる景色だ。

僕がそんな世界に魅せられたのは、留学時代に仲良くなったサウジアラビアの友人達。

そして、毎日欠かさず連絡を取り合う、同じくサウジアラビアに住むペンパルの影響だった。

彼女とはインターネットを通じて知り合い、もう3年以上メッセージが途切れたことはない。イスラムの習慣やイベントなどは彼女から教えてもらっていて、今日の話も彼女の話がベースとなっている。

このnoteを読んで少しでも中東の世界や文化に興味を持ってもらえたら嬉しいし、

自分の知らない国や街のことを知った時の喜び、自分にはない常識や価値観、哲学を持っている人たちに出会えた時の面白さに、価値を見いだせる人が一人でも多く増えて欲しい。

そんな願いを込めてこのnoteを書いていこうと思う。

※いつも彼女が使っているというコーラン(イスラム教の聖書)

断食って苦行じゃないんだよ。

あまりイスラムの文化に馴染みがない僕らでもイスラム教ではラマダンという断食をする期間があることは耳にしたことがあるかもしれない。

期間はイスラム歴の9月、太陽暦を元に決まるため毎年異なるのだが、約1ヶ月間断食が行われる(2018年は5月16から6月14日 )

ラマダン中は日が出ている間は、食べ物を口にすることはできないし、水も一切飲むことができない。

そう聞くと、僕ら日本人の感覚なら地獄でしかないように感じる。

夏ならば、熱中症に気をつけるようにと注意喚起が促され、水分を多くとることが推奨されている日本とは全く逆の試みをしているわけだ。

サウジアラビアの夏は長い。

5月に入れば日中の気温が30度を超える日が多く続くこの国で、断食を行うなんて狂気の沙汰だと思うかもしれない。

でも彼らはラマダンを楽しんでいる。

僕の友人たちはみんなラマダンを楽しみにしてるし、修行とか苦行のような感覚は全く持っていない。

神聖な儀式として、習慣として、楽しみとして。彼らムスリムのライフスタイルの一環としてラマダンがある。

ムスリムの人ってどうやって断食してるの?

さて、彼らがどうやって断食をしているのかをちょっとご紹介したい。

これは僕の狭い友人関係の中の話でイスラム諸国全般に当てはまらないこともあるので、そこはご了承いただきたいのだけど、

まず、イスラム諸国というのはイスラムの教えの元に国家が成り立っている。

つまりラマダン期間中はラマダンに取り組みやすいような社会のシステムが構築されているわけだ。

簡単に言えば日中は仕事をしない。

仕事は朝9時から12時ごろには切り上げる場合がほとんどで、僕のUAEに住んでいる友人は9時から1時半というスケジュールで仕事をしていた。

学校も基本的にはお昼で終わり。彼女が大学生の頃は朝8時半に起きて、帰宅するのは午後3時ごろだったみたいだ。

このスケジュールだと日本の学生と変わらない活動量なのだけど、彼女曰く、疲れたこともないし、むしろエネルギーがみなぎっていたとのこと。

レストランやカフェなどのお店が開くのは日没後から。

まあラマダン中は日中何も口にできないので、飲食店をあける意味は全くないのだけど、大きなショッピングセンターなどのテナントはオープンしてるお店もある。

食事のサイクルは、日没後にはイフタール(ifter)という朝食をとる。断食を終えて最初の食事で、ムスリムにとっては神聖で特別なものだ。

日没後なら普通は「夕食」となるはずなのに、「朝食」という名前がついているところがオシャレだと思った。

(※ifterはアラビア語で朝食という意味)

イフタールでは最初にデーツという果物を最初に食べる。

デーツは中東では最もポピュラーな果物で、カフェでもデーツが出てくるほど。最近ではデーツの栄養素が注目されたためか無印でもドライデーツを目にするようになった。

その後は午後9時ごろに夕食をとって、日の出前にもう一度sahoorという断食前の最後の食事をとって、日の出を迎えるというのがラマダン中の食事サイクルとなる。

・午後6時・・1回目の食事(iftar)

・午後9時・・2回目の食事

・日の出前・・3回目の食事(sahoor)

という感じ。

ちなみに病気や体調が悪い場合は断食を中断して、その中断した日数分だけラマダンが終わった後にエキストラで断食を行うようなシステムになっている。

(ラマダン中に3日間、断食しない日があればラマダン終了後に追加で3日分断食をする。)

ラマダンが終わったらイード(Eid)で盛大にお祝いしよう。

ラマダンが終わったらみんなでお祝いをするイード(Eid)というイベントがある。

このイードはラマダンが終わった直後と、その1ヶ月後の合計2回行われて、ラマダン直後がイード・アル=フィトル(Eid al Fitr)、二回目がイード・アル=アドハーEid Adhaと呼ばれている。

このようにお菓子を用意して家族でお祝いをする。

さらにイードでは貧しい人にお米を分け与えることが習慣になっていて、一般の家庭ではラマダン最後の日のためにお米を用意する。

僕の友人の家ではお米を12バッグ144人分のお米を用意していたというのだから驚きだ。

さらに小さい子供たちにはお菓子をあげたり、日本のお年玉のようにお金を包んであげたりと、イメージとしてはハロウィンとお正月がミックスされたイベントがこのイード。

※こちらがイスラムのお年玉。

そして2回目のイード(Eid)であるイード・アル=アドハー(Eid Adha)は羊を一頭買ってきて、各家庭で屠殺して食す風習がある。

最近はやらない家も多くなってきているみたいだけど、僕の友人のご自宅では毎年、羊を一頭買ってきてお兄さんがそれを解体するんだとか。

キリスト教では人間の代わりに血を流し、生贄となったイエス・キリストを讃える意味で、純粋無垢な家畜を殺して神に捧げることに大きな意味がある。

その典型的なエピソードが有名な「カインとアベル」というエピソードなんだけど、

キリスト教とイスラム教。元々は兄弟のような関係の宗教だけど、こういった風習でも繋がりが見えて面白いなと感じた。

(※子羊と玉ねぎ、唐辛子をクミンなどのスパイスで炒めた料理。新鮮なお肉は絶品。)

ちなみに、屠殺した羊はひとつの家族で食べきるのは無理なので親戚や貧しい人たちとシェアしたりする。

ここにもイスラムが持っているシェアの文化、助け合いの文化が色濃くでいている。

テロや過激派組織のイメージが強いイスラムだけど、本来は助け合いやシェアの文化が根付いていて平和を愛する宗教なんだ。

固定概念やイメージが覆されると、自分の世界が一気に広がる

イスラムの世界にはまだまだ僕らの知らない文化や価値観、哲学が眠っている。

今日ご紹介したラマダンだってその一部にすぎない。

おそらく「断食って超大変なのにそんなことして何なるの?」とか、場合よっては「バカなんじゃないか?」と思われる人もいたかもしれない。

でもそこには彼らの信仰心だではなくて、美学とか、楽しみとか、あるいは健康的なライフスタイルを送るためのトレーニングとか、様々な側面もあるのだ。

うん。「なんかそんな想いで断食してたんだな。新しい発見があった。」と思って今日の話を聞いてもらえたら嬉しいな。

そうやって自分の中で出来上がっていたイメージが覆されると、一気に自分の器が広がるし、この単一民族で島国という閉鎖的な日本で、一つでも多くのことを知ることが、国際感覚を養う第一歩なんじゃないかと感じる。

先日僕が所属しているビジネスコミュニティで、「イスラエルって面白くて、今一番興味がある国なんです。」という話をしたら、

怖そう、危なそう、ヤバそう。

という意見があった。

確かにそういう地域もある。イスラエルは幾度となく戦争をしてきた国だし、ホロコーストという人類史上最も恐ろしい迫害を受けた民族が作り上げた国だ。

だから「やるならやってやるぞ!」というスタンスを崩すことはないだろう。

2018年9月にもイスラエルがシリアの首都ダマスカスを空爆したというニュースも流れていたばかりだし、実際にイスラエルはシリアに対してかなりの攻撃をしている。(シリアに対してというよりイランの軍事施設への攻撃がほとんどだが)

このような出来事をクローズアップすると物騒な国でしかない。

でもよく考えて欲しい。

今では融和ムードがあり非核化に向けて歩み始めた北朝鮮も少し前までは、日本に向けてミサイルを発射してきていた。

それも本州を超えて太平洋に着弾するという前代未聞の出来事まで起きている。

しかし、本当に危機感を持った人がどれだけいるだろうか?

ニュースが流れた瞬間は危機感を覚えたとしても、気がつけばまたいつもの日常に戻っている。

僕らの社会はそれほど大きく変化はせず、いつものように朝目覚め、朝食を食べ、電車に乗り、会社に行き仕事をする。

しまいにはどうせ着弾しないんだから、そんなことでいちいち電車を止めるなという意見まであるほどだった。

この一連の出来事だって他の国から見ればヤバい出来事でしかない。

何が言いたいかというと、

結局僕らは知らないものに対して恐怖や危機感を抱く。

そして、イメージだけで物事を判断しているということだ。

中東と聞けば、いつも戦争をしていて、テロも頻繁に起きて、危ないところというイメージがあるかも知れない。

でも実際は驚くほど治安が良かったり、中身を知れば面白い文化があったり、平和を望み、貧しい人たちには自分たちが持っている物資を分け与えるようなシェア文化が根付いている心優しい宗教の片鱗が見えてくる。

「ミサイル」というキーワードに注目しても、北朝鮮がぶっ放すミサイルにはそれほど危機感を感じない。

しかしイスラエルがミサイルを発射したと聞けば、危なそうな国で「危険」いう認識になる。


全てはイメージで成り立っている。

イメージ。全ては想像と無知からくる幻想だ。


でもそれが悪いことではない。そうやって僕らの現実は作られている。だから手にしているパレットに絵の具を継ぎ足していくように、新しい情報をどんどんインプットしていけばいい。

そしてそんな自分の中で作り上げていたイメージが覆された時、人は大きな感動と興味を掻き立てられる。

僕は留学時代初めてムスリムがお祈りするシーンを目の当たりにした。

「今からお祈りするから見ててよ」

そう言うとトイレに行き手や顔を洗って、靴を脱いで足まで洗って、お祈りの準備をしていてた。

その真剣な眼差し、彼を包むなんとも言い難い神聖な空気感。

彼がお祈りを始めた時、鳥肌がった。ゾワっと鳥肌がたった。そして僕の中にあった世界は大きく変化した。

今ままで持っていた固定概念やイメージを破壊していくことで人は成長するし、価値観が広がっていくものだ。

自分の中にある常識が覆された時の快感。
あのハッっとした瞬間をもっともっと多くの人に味わって欲しい。

meet upに参加したり、カフェで隣に座った外国人に話しかけてみたり、駅で困っている外国人観光客を助けてみたり、

何か一つ自分とは違う文化や習慣、哲学を持った人たちと関わるアクションを起こすことができれば、思いがけない知識や経験を吸収できる。

僕は自分が知らない街や国の名前を知った時、自分が知らない文化や価値観に触れた時、

一番ワクワクするしドキドキする。

僕はもっと世界のことを知りたいし、知らないことをたくさん知りたい。

だからこれからもアクティブに動いて、どんどん自分の常識を壊していきたい。

フラットな目線で物事を見えるようになると視野が広くなるし、この世界がもっと面白くなるはずだ。

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