見出し画像

育児雑感②

1年間結構頑張って育児してきたと思う。もちろん、妻とともに、という話だし親戚を含めた家族にも物理的・精神的問わず助けられている。また今は定期的に保育園にも通っている児童手当も支給されている。そういったもろもろの制度にも助けられてなんとか僕のような人間でもやっていけるもののようだ。


感想マインドセットを変えられなければ、精神病になる。


物騒な物言いだが、これは僕が感情面で感じた一番大きなものだ。

僕はこれまで、自分の時間は自分でコントロールできると思って生きてきた。もちろん全てではない。けれども、心の根っこの部分で、そう思っていたのだ。というか、そう思っていたことにすら気づかず、育児をするようになってこんなことに気付かされたという方が正しい。

当然だが、僕たち夫婦が育てているのは人間だ。しかも親の助けなしには生きることができない。この事実は、僕にとって非常に厳しい要求となって目の前に立ちはだかった。なぜなら、育児という行為は、時間の使い方に対する僕のこれまでの優先順位を強制的に変えさせるものだったからだ。

こんなことは当たり前のことで、何をガキみたいなことを言ってるんだ!と怒られそうだが、でもきっと同じ思いになった人はいるんじゃないだろうか。男性は特に。どんなことでもそうだが、成果を出すには時間がかかる。常にインプットをし続けなければならないし、研究職ならば論文を書き公刊するという形でしかほとんど成果を外部に示せない。とにかく、自分のために使える時間はあるに越したことはないし、それは実際あったのだ。自分のマインドセットは、時間は自分でコントロールできるという方向で固まってしまっていた。

でも、子育てが始まって直後から、現実の方が急激に変化した。

子供は僕や妻の都合など御構い無しだ。泣きたければ泣くし、新生児のころは昼夜問わず3時間おきに授乳が必要だし、オムツ交換、お風呂、あやし、掃除、今後の育児計画についての夫婦間会議、物品購入と予算の両にらみ、などなどあげればきりがないほどの業務(これも言葉が適切ではないかもしれないが、しっくりくる)がある。とても自分で自分の時間を自由に使うことなどできない。

わかってはいたのだ。

僕もこんなことがわからないほど馬鹿ではないつもり。子供が生まれたら今までのようには生活できないことなどわかってる、と思っていた。

でも、それは間違いだった。

間違いだったというか、ちゃんと腹をくくっていなかったのだと思う。頭も体も、どこかで覚悟が鈍かったのだと反省している。この急激な現実の変化に、マインドセットは完全においていかれていた。

もちろん、こんな父の事情にもお構いなく、子供はいつだってこちらに世話を要求してくる。僕は確信した。マインドセットそのものを子育てのために使う時間以外の時間で自分のことをする、というように変えておかなければいずれ耐えられなくなると。それまで自分の時間を優先して生きてきた時間が長かったので、自分の時間がなくなってしまうことに焦ってしまうのだ。子供が泣けば、「なぜ今泣く!せっかく〇〇をやっておこうと思ったのに!」と思ってしまうし、病気になれば「早く治れ」とか思ってしまう。そうじゃないだろう、とわかっているのに、「それより優先したい何か」が頭に登ってきてしまうのだ。

僕が人として未成熟なだけだと言ってしまえばそれまでの話だろう。が、とにかく、マインドセットが変わるまでに多分半年くらいはかかっただろうか。それまでの間、とてもしんどいメンタルで過ごさなければならない時があった。

今は、多分マインドセットは切り替わったと思う。子供のため、そして妻のため、つまりは家族のための時間を優先的に確保すること。仕事との兼ね合いはもちろんある。人間は同時に複数のことをすることはできない(今の技術では)。もちろん考え方によっては家族も無視してひたすら自分のために時間を使うという選択肢もあるし、そうできる環境の人もいるし、実際そうしている人もいるし、仕事の面で圧倒的な成果を残す人はそういう人なのかもしれない。それはそれで、家族に対して報いることでもある。でも自分にはそういう考え方はできない。多分、そうすることは性格的に向いてない。

自分ができることを、正しいと思えることを、そうすることができる環境にいることに感謝しながらマインドセットと行動が一致するような生き方をすること。育児を通じて得た教訓。



サポートされたら、とても喜びます。