見出し画像

Qiitaはどうあるべきなのか?

Qiitaのポエム記事は本当に悪なのか?という記事を昨日投稿しました。では、Qiitaはコミュニティとしてどうあるべきなのでしょうか。本記事にて自分の考えをまとめようと思います。また、以降の議論はQiitaの思想を元に行います。

Qiitaのあるべき姿は?

まず、過去の自分は、「Qiitaは技術的に質の高い情報を持った記事のみで構成されるべき」と考えていました。ただ、多くの人に門戸が開いているQiitaでは、ボリューム層が現時点ではおそらく初心者です。現状のQiitaを閉鎖的な上級者向けのコミュニティにすることがQiitaにとってより良い方向なのでしょうか。Qiitaは「学びのある情報が多く集まっている場」であるだけでなく「情報を育てる場」でもあるので、Qiitaが目指す方向とは異なると自分は考えます。

つまり、「Qiitaは、より多くの人に門戸が開かれ、情報の質に関わらず多様な記事を受け入れる場であるべき」と自分は考えています。ただ、情報の質の高い記事は適切に評価されるべきであり、情報の質の低い記事は編集リクエスト等によって質を高められるべきです。また、編集リクエスト等のフィードバックは筆者の成長にもつながります。これにより、コミュニティ全体のレベルが上がり、多様性も維持されるのではないでしょうか。

Qiitaにて情報の質を担保するには?

情報の質の低い記事を減らすには、編集リクエスト等でその記事だけでなく筆者までも改善すべきであると前節に記しました。では、Qiitaにて記事の情報の質を担保するために他の方策はないでしょうか。一般的には下記の2つの方策を挙げることができます。

1. 記事を運営側が管理する
2. 記事に対価を与える

まず、任意の記事を運営側が管理することができれば、情報の質を担保することができます。ただ、「Qiitaは多様な記事を受け入れる場にすべき」という仮定のもとでは、情報の質を定量的に評価することは難しいです。したがって、情報の質を評価するために十分な人員数が必要と思われますが、インセンティブも考慮するとマネタイズの面で厳しそうです。よって、「記事を運営側が管理する」という方策は現実的ではないでしょう

また、記事に対価を与える場合には、対価に見合う程の質の高い記事を筆者が書くと期待されます。したがって、前述の「記事を運営側が管理する」という方策よりは実現可能性は高そうです。ただ、Zennの本や投げ銭の機能との差別化を図るためには、Qiitaで対価を与える仕組みを導入するのは難しいと思われます。

まとめ

前述の通り、「Qiitaは、より多くの人に門戸が開かれ、情報の質に関わらず多様な記事を受け入れる場であるべき」というのが自分の結論です。もちろん、QiitaがどうあるべきかはQiitaの運営が決めるものであり、コミュニティの参加者である自分たちは意見を言うことしかできません。ただ、意見を各自が主張することで、より良いコミュニティへと変化し続けられるのではないでしょうか。

この記事が役に立った方はサポートしていただけるとありがたいです。 サポートをいただいた分だけより良い記事を書ければと思います。