うつ病で3ヶ月休職した

 2年半ぶりのnoteがこんな話題である。この場所で書くことが必ずしも適当だと思ったわけではないが、他に文章を書けるところも特に思いつかなかった。
 要旨も結論もタイトルの通りだ。それに尽きる。自分語りにもならないような文章だが、ひとつの人生の記録として、書きつけておくことにする。

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 基本的にメンタルが弱い人間として生きてきたが、うつ病みたいなものとは縁遠いものだと思っていた。ふとしたきっかけであっけなく転んでしまった、というのも少し違っている気がして、少しずつ悪くなり続けていただけなのかもしれない。

 うつ病の診断が下るまでの約1年間の職場環境はひどいものだった。忙しさのコントロールだけはギリギリのところでなんとかしていたが、部署の雰囲気がとにかく最悪で、人が辞めたのに補充はされず、派遣社員を迎えてもすぐに辞めてしまい、惨状が社内でも有名になるありさまだった。
 そんな中で仕事に大きな区切りがきて、新しくいろいろとまた仕事を始めるタイミングに差しかかった。僕にとってはあまり得意ではない仕事が多く、ひとつひとつがうまく進められず、どんどん手につかなくなっていく感覚があった。文章の読み書きもうまくいかず、電話もうまく取れないような状態だった。

 それで結局、ある大きな会議のために準備しなくてはならないもろもろが、このままでは間に合わない、というところまで追い込まれてしまった。白旗を揚げて上司に相談し、仕事を丸投げして休みをもらった。こうなっては医者にかかるのがけじめだろう、と思って精神科に行った。
 うつ病の診断は、驚くほど簡単に下った。うつ病というものはもっと、動けなくなるとかすぐにでも死にたくなるとか、そういったものだと思っていた。むしろ、そんな状態に追い込まれる前に病院に行く運びになったのは幸運だったのかもしれない。うつ病になって何が幸運だ、とも思うけれど。

 そんな感じで、僕はうつ病患者になってしまった。
 5月の終わりのことであった。

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 そこから1ヶ月ほどは、通院しながら会社にも通い、どうにか社会生活を送っていた。遊びにも行ったし、飲みにも行っていた。

 ただ、内情はひどいものだった。ひとりになったときにお酒を飲みすぎてしまって(どうしてもやめられなかった)、薬との飲み合わせも悪かったのか、変なテンションで友人に電話をかけてしまったり、やっと休日を迎えたと思ったら身体が起こせなくて約束をドタキャンしたりもした。
 仕事は仕事で、医者にかかったら大丈夫だろと言わんばかりにどんどん降りかかってきて、頭の働きはどうにもなっておらず、いよいよ進退窮まるような状態になっていた。

 これはもうダメだ、と思い、もうダメです、と医者に言った。診断書を書いてあげてもいいよ、休むなら3ヶ月だ、と言われた。診断書を持って会社に行った。2日間の引継ぎ期間を経て(これでもそうとう頑張ったほうだと思う)、これもまた驚くほど簡単に、休職が決まった。

 休職が決まって、初めてうつ病のことを親に話した。いろいろとあっけなくて実感はなく、ただ体調的にもどうしようもならず仕方ないことだけはわかっていたのに、電話口でどうしようもなく泣いた。
 27歳の夏。何故の涙だったのかは、よくわからなかった。

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 休職中は割と自由に生きていた。ただ、出歩くとすぐに疲れてしまうことも多く、猛暑だったこともあり、あまり外に出ることはなくなっていった。久しぶりにテレビゲームをして、夏の甲子園大会をよく見た。10日ほど帰省して、実家でぐうたらと過ごしたこともあった。
 ひと月ほどした頃から、少しずつ文章の読み書きができるようになっていった。ここ1-2年は仕事以外であまり文章に触れなくなっていたから、病気が回復したのか、たまたま気が向いたのかは、よくわからない。

 7月、8月と休んで、9月に入った頃から、調子が上向いていくのがわかるようになった。出歩いて疲れることも、夜眠れないことも、過眠をしてしまうこともなくなっていった。丸3ヶ月の予定を1週間程度早めて復帰することに決めて(仕事のスケジュールのことが頭にあった)、産業医とも面談をした。
 お酒をほとんどやめることもできて、適度に運動もするようになった。疲れを感じることも少なくなった。働き始めてから高止まりしていた体重が信じられないくらいぐんぐん落ちて、二十歳の頃の水準にまで戻った。
 働かずに生きていければよいのだが、そういうわけにもいかない。まあ元気になってきた気がするし、働いてやってもいいか。そんな感覚だった。

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 そして職場に復帰したのが9月18日のことだった。連休もありつつ、3週間ほどまた仕事をしてきたことになる。

 体調は、よくない。
 朝は相変わらず動くのに余計なエネルギーが要るし、日に2回くらい、絶望的に無気力になって何も手につかなくなることがある。あるいは多分薬のせいで、手が震えることもある。仕事の負担を軽くしてもらっていることもあって、休む前より良いのか悪いのかさえわからない。
 特に復帰初日を終えたときの絶望感といったらなかった。あんなに回復したと思ったのに、結局逆戻りじゃないか。失われたものはもう戻ってこなくて、いま持っているもので戦っていくしかないのか。こんな出来損ないの武器で。

 その感覚は、いまも消えていない。
 どうしたらいいのかはわからない。でも、生きていくためには、一日一日を積み重ねていくことしかできない。

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 もう少し希望のあるようなことを書くつもりだったが、正直な気持ちを書くことしかできなかった。でも、これが偽らざるところである。
 こんなものを書いて公開して、何のつもりかは自分でもよくわからない。ただまあ、そんな問わず語りで、それまでの僕も生きていた気がする。これでいいのかもしれない。

 心配はしないでください。心配されたらされたで絶望的な気分になるから。
 ここまで読んでくださった方がもしいるなら、僕はそれでじゅうぶんです。

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