会社同期の結婚式に出てきたけど

 僕は何かあるとたまにこういう文章をFacebook(公開範囲狭め)に投げる癖があるんですけど、今回書いてみたらFacebookよりこちらのほうが公開するのに差し支えがないな、と思ったので、ここに投げることにしました。
 (こちらに投げる文章としてかなりアレンジはしています。ほとんど読む人もいないだろうとはいえ、さすがにこの内容をFacebookに投げるほどには人生を思い切れていません。)
 
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 会社同期の結婚式に出てきた。まだまだコロナ禍の世の中で式をやる(しかも会社同期をみんな呼ぶくらいの規模で)というのにはちょっと驚いた部分がないわけでもなかったけど、一応社会人をやっているので会社関係で招待されたらちゃんと行くようにしているので、今回も何も考えずに出席した。都内在住で、基礎疾患もないし家族もいない。呼んでいただけたんなら、行かないといけないな、と思った。
 会場は有名らしい大きなところで、感染対策は世間並みという感じだった。あらゆるところに消毒液があって、会場の収容率も下げているらしい。式次第とともにマスクケースが配られ、誰もがなんとなくマスクを着脱しながら席で過ごしていた。感染対策としての意味ももちろんあるのだろうけど、「このくらいやったら、まあ披露宴くらいならできる」みたいな雰囲気に時間の経過を感じた。一度目の新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言の発出から、もうほぼ丸一年である。
 会社の懇親会や歓送迎会みたいなものも絶無になって丸一年。新郎新婦は社内結婚だったんだけど、新郎側のスピーチも新婦側のスピーチも乾杯の発声もみんな会社のえらい人で、久しぶりにそういうものをやった気分になった。たまにはいいかなとも思ったけど、次は3年後くらいにしてもらいたい。そもそも会食みたいなこともいつぶりだったかわからない。そもそもコロナ禍の前からできるだけ逃げ回っていたので、2年ぶりくらいだったんじゃなかろうか。
 
 ちょっと前まで、結婚式に関しては、会社関係で招待されたらやむを得ず出ているだけで、それ以外で招待されたら基本的に無視をする、というスタンスで生きていた。おかげで友達のようなものはずいぶんいなくなったが、そもそも学生時代の人間関係にかかわると当時押しとどめていたどす黒い感情がいまでも新鮮に出てきてしまうので、それでよいのだと思っている。同窓会みたいなものにもまったく出ないようにしているのだ。結婚式にだけ出る道理はない。
 結局そのへんの感情は整理されないままなのだけど、結婚式というものに対しては少し違う感情を抱くようになってもいる。前回に結婚式に招かれたのは2年弱くらい前のことで、そのときも会社同期のそれだった。そして僕は当時二度目の休職をしていて、その式のあった週末で、一度の延長を経た休職期間が満了することになっていた。
 正直僕は当時、会社に戻るつもりはあまりなかった。そもそも二度目の休職に入るときにも本当は会社を辞めようとしていて、無理やり休まされたような形だったのであった。このまま一度も会社に顔を出さずに辞められるならそれがいちばんだと思っていたし、当時ちょっと流行っていた退職代行サービスについて調べたりもしていた(けっこう本気であった。5万出せばだいたいなんとかなるらしい)。
 そんな折に招待状を受け取って、その日取りのあまりのタイミングのよさに驚いたのだった。ふたりがずいぶん前から準備をしてきたライフイベントであって、僕のことなどたぶん絶対関係ないのだけど、こんな運命のいたずらがあるか、と思った。欠席するだけの言い訳も勢いも用意できずにうじうじと出席の返事をして、あーそしたらこれそのまま復職するしかないじゃん、というくらいの温度感でぬるっと式に参加して、職場に戻った。もう一度だけ頑張ってみようとか、そんなポジティブな感じもまったくなかった。
 だけど結果として、僕はあれから2年近く経っても会社でなんとなくやっている。紆余曲折はあったが(noteにも書いた気がする)、体調もかなりの部分で改善した。目下の悩みは体重が増えてしまってぜんぜん落ちないくらいで、それも礼服をつくり直さずに着られる程度の話である。話が少し逸れたが、結果として僕は結婚式というものに、もう一度社会とつなげてもらったということだ。
 僕にはセレモニーというものがわからない。おおまかな気持ちとしては、あらゆるセレモニーみたいなものはやめてほしいしかかわりたくない、とやっぱり思っている。でもまあ、そんなめんどくささも多少は受け入れて人生はやらんとあかんのやな、という気持ちだ。まあやっていることはいずれにせよあまり変わっていないのだけど。

 でもお前、それこそ小学生の頃からずっとそういう式典や行事みたいなものに進んでかかわってきたんとちゃうんかいと、学生時代の僕を知る方などには思われる向きもあるかもしれない。しかしそれはそういうことじゃなくて、むしろ「だからこそ」なのだ。運営側のことばかりやってきたので、主役になったり普通の参加者になったりすることができないのである。さしたる役割も与えられずに座っていることに居心地の悪さを感じるのだ(あるいは、「一般参加者は何もしていない」みたいな意識があるところに、長い時間をかけて醸成された意地の悪さを読み取っていただいてもかまわない)。
 水泳部の壮行会で応援団長として海パン一枚で檄を飛ばしていた(誤用)小学生時代だって、体育大会でワイヤレスマイクを離さずに叫びまくっていた中高時代だって、学園祭のステージイベントの司会をやりまくっていた大学時代だって、結局自分が目立ちたいみたいな感情は(あまり信じてもらえないのだけど)1ミリもなくて、たまたま目につくところにいる裏方くらいの気持ちであった。「場と一体化することが理想だ」と、10年くらい前はよく言っていた覚えもある。
 学生時代を終えて、そういうことをする機会はほとんどなくなった。あげてきたような裏方仕事のほか、式場でのバイトも経験したし、映像制作も司会も写真や動画の撮影も印刷物の制作もひと通りできたはずだったが、それが活きるような場はもうない。プロフェッショナルとしてちゃんとやっている人に何もかも任せて、いまの僕は懸命に、余計な音を出さずに末席に座ることを試みている。
 あと未開拓の分野があるとすれば、それは主役になることなのだけど、それはちょっとごめんこうむりたいかな、という気持ちだ。参列するたびに思うことだが、結婚式をするような人たちはすべてを持っている。もちろんそれはすべてが完璧ということではなく、式という場が整えさせてくれるという面もあるということも知っている。それでもやっぱり自分がやるには頑張りすぎだと思う。まあそもそも相手がいないし、そこをなんとかしようという気持ちもないのだけど。
 
 今日の式は、本来であれば昨年の夏に行う予定であったものであるということだった。社会のムード的に確かに致し方ないよなと思う一方で、感染者数みたいなものに指標をとるとするならば、いまのほうが状況はよっぽどひどいし(鶏と卵みたいな話だが)、そもそも招待状をもらったのも二度目の緊急事態宣言下のタイミングであった。まあそんなものだよな、と思う。
 僕が式場でバイトをしていたのは2011年の春から秋までくらいの時期で、ある時期からは東日本大震災を受けて延期となった式がかなり多かったとも記憶する。感染症、ソーシャルディスタンス、自然災害、放射線、節電。直撃というほどではなくとも、困難な社会情勢にあっては、「おめでたい」席への「自粛」の風当たりは厳しい。そんなことはわざわざ言わないけれど、同期である新郎にはお見送りのときに「できてよかったね」と伝えた。特に親しくつるんだというわけでもなければ、結婚や家庭みたいなものにピンときていない自分に器用に嘘をつくこともできなくて、苦しまぎれに発したような言葉であったが、誠意をもって本心を伝えられたと思う。

 ここを読むことはない、本日の主役に、おめでとう。おめでたいことを、おめでたいと思って、きちんとおめでたくやり切れる人生に、なによりおめでとう。素敵な式でした。そんな素敵さとはかけ離れた僕に席を設けてくれたふたりと、あるいはその先にある「世間」みたいなものに、ありがとう。

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