復職から8ヶ月、現在地

 askで「きしょうさんの書くnoteが読みたい」と言っていただいたので、何か書いてみようとして書くnoteである。書けるようなことは何もしていないような気がするけれど、休職明けでここまで来られたことにも一定の意味があるのかな、とも思っている。

 ■

 前回のnoteは休職明け1ヶ月の7月に書いたものだった。そこから単調増加的に回復してきたかというと、そうでもない。

 8月頭に軽減勤務の期間が明け、残業は原則なしのフルタイムの勤務となった。弊社の夏期休暇は7月から9月の間に5日間を自由にとるシステムで、追いかけているアイドルのイベントやライブに足を運ぶために消化した。もともとはシルバーウィークに休みをくっつけて帰省でもしようかと思っていたのだが、急に告知されたライブがその期間にあったので、そちらを優先させてしまった。

 そんな感じでそれなりに楽しいこともできていたものの、体調はといえば、以前とは違う感じで悪かった。とにかく常に焦燥感のようなものがあって、じっと座っていることが難しかった。週に一度ある1時間弱のミーティングがとにかく苦痛で、それ以外の時間もしょっちゅう席を立って歩き回っているような感じである。家ではほとんど身体を横たえて、じっと焦燥感に耐えながら時間が経つのを待っていた。

 そんな焦燥感のもとにずっといると、どこかで「ここは自分がいるべき場所じゃない」みたいな気持ちが出てくる。いくぶん混乱した頭で、勢いあまって転職活動に手を出したり、適当なところで退職してフリーだかフリーターだかで食いつないでみて、無理だったら(多分無理だろうから)実家に帰ろう、と計画を立ててみたこともあった。ただいずれにせよ、いま任されている仕事が1月半ばにかたがつくので、そこまでは踏ん張ろうと思っていた。

 ■

 ただ、焦燥感は日に日に増していく一方で、早退を繰り返したり、ひどい時は朝に自席まではたどり着いたものの、これは無理だと感じてそのまま帰ってしまったりしたこともあった。それでもごまかしごまかしやっていこうと思っていたが、10月に入り夏期休暇で休める期間が終わると(祝日もそれなりにあった)、軽減勤務の時期に有休を大部分消化させられていたことが響いて(軽減勤務とはいうものの制度的なものではなく、実際のところ半休や時間休でまかなっていた)、キツい日に休むこともなかなかできなかった。

 このままではまずい、と思っていた。よくよく思い出すと、症状的には二度目の休職に入る直前に似てもいた。思いつめてとうとう、上司に「このままではまずいです」と伝えると、もうひとつ上の上司が出てきて、話し合う機会を設けてもらった。言いたいことを言い尽くしてやれと思って、体調が前回の休職前に似ていること、落ちてしまった体力が戻らないこと、仕事が向いていないのではないかとまで医者に言われたこと、いま任されている仕事まではやり切りたいけど、その先にこの部署でやっていける自信がないこと、何でもかんでも言った。

 この部署ではやっていけません、と言われた部長はどのような気持ちだったのだろうかと思う。しかし見た目には動じることはなく、「異動するならどことかある?」と冷静に聞かれた。僕も僕で、正直に答えた。フロアが遠いので詳しくは知らないが、出張などもない、ある意味地味な部署。体力的にもそうしてもらわなければ厳しいかなと思っていた。それも受け取ってもらって、ひとまずは残り少ない休暇を使ったりしながら、なんとか仕事を進めてほしいと言われて、その日は終わりになった。

 復職時にチームは変わったものの、同じ部で7年目までやってきた。その日々もあと少しできっと終わりになる。悲しいし悔しいけれど仕方ない。とにかく、ここにいてはいけないと思っていた。さらにもっといえば、じっと座っていられない焦燥感がなんとかならなければ、異動先でも長くやっていくことは難しいだろうとも考えていた。気持ちが退職にだいぶ傾いていた時期だった(いまにして思えば、これも前回の休職前と同じだった)。

 ■

 精神科への通院は、定期的に続けていた。薬が減ったり増えたりしながら、しかしおおむね淡々と、わかりやすい回復がみられないまま、悪くいえばダラダラと。正直もう、精神科には何も期待していなかったといってもいい。ただ、薬がなくなると明らかに気持ちが落ちるのは確かだったので、やめるわけにはいかなかった。

 ただ、部長に何でもかんでも言ったのと同じような気持ちで、医者にももう何でもかんでもとにかく言ってやろうと思って、次の通院には臨んだ。このままではもうどうしようもないから、打てる手は全部打ってやるというやぶれかぶれな思いだった。あまり言い過ぎるとまた休職の診断書を書かれそうで、そうなるとまた半端なところで仕事を投げ出してしまうことになるが、それはそれで仕方ないとも思っていた。そのときはもう退職せざるを得ないかな、とも。

 そんな並々ならぬ決意で、かなり前のめりになって、とにかく焦燥感がひどくて仕事にならないんです、そわそわするんです、休職前に戻ったような感じです、と医者に強く言った。初めての通院のときから数えても、ここまで強く症状を訴えたことはなかった。

 医者は少し思案して、薬の副作用かもしれない、と答えた。なんじゃそりゃ、と思った。副作用止めだという薬を追加されて、その日は終わりになった。診断書を書かれると思っていた僕は肩すかしを食った気分だった。

 1年以上服薬を続け、10種類目くらいの薬だった。何かが劇的に変わるとも思えなかった。でも、こうなったらこの薬に賭けてみるしかない、と思った。とにかくなんとかなってくれ、と祈るしかなかった。

 ■

 もはや笑えてくるような話なのだが、すぐに出たのはその薬の副作用だった。ひどい口渇感が一日中続き、これは過去にもあったことなのでなんとかやり過ごしていたものの、今度は後輩と食事をしていたときに突然手の震えが出てお椀が持てなくなった。そのときは血の気が引いたし、やっぱりもうダメなのかもしれないとも思った。

 しかし数日のうちにその副作用は消えた。身体が薬に慣れたということかな、それはそれで複雑だな、なんて考えているうちに、ふと変調に気づいた。

 あれほど(1年以上?)悩まされていた焦燥感が、消えていたのである。

 ■

 それが10月下旬。そこからは劇的なものだった。徐々に回復したとかそういう話でもなく、一足飛びに平常に戻ったような感じだった。少しずつ忙しくなっていた仕事もサクサクと進められるようになり、復職から4ヶ月を経てようやく働いている実感が得られたと言ってもいい。

 1月中旬までの繁忙期も無事に乗り越えた。多少の残業もあったが、体力的にも精神的にもへっちゃらだった。体調不良の先輩が残した仕事を自ら引き受けるくらいのへっちゃらさであった。こうなってくると、何がそんなに辛かったのすらわからなくなるくらいだ。

 たとえそれが抗鬱剤に支えられたハリボテのようなものだったとしても、思うように働けたことは自信になった。

 ■

 そして現在。仕事の量はかなり落ち着いていて、毎日定時で帰る日々が続いている。朝はギリギリまで起きられず、休日は過眠が出てしまうし、体力的な不安がちらつくこともあるが、それも慣れていけばなんとかなるかな、とも思う。久しぶりにがっつりライブ遠征の予定も入れて、いまは少し緊張してもいる。

 通院の頻度も減らして、減薬にも取り組みはじめた。まだ何種類もの薬を飲んでいるものの、時間をかければ減らしていけるのかもしれない。減らすのが怖い薬もあるけれど、いつかは、とも思う。

 異動を願い出た話がいまどうなっているのかは、わからない。こんなに回復するんだったら、ちょっと早まったかなと思わないでもない。でもまあ、引き止められなければそれまでかな、とも思うし、いまの僕ならどこへ行ってもそれなりにやっていける気がする。

 ■

 長くなりすぎた気がする。僕の現在地は、こんな感じだ。

 誰も読まないような文章だけど、人生の記録のひとつとして、ここに残しておくことにしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?