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もうすぐ32歳になりますが

 最近Twitterに書いているようなことをnoteにまとめておこう的なだけの文章です。ちなみに誕生日は9月8日なのでまだもうちょっとあります。予告しといたんだから祝う準備しておけよってことです(違います)。

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 仕事が大きな山を越えて多少は暇になるかと思いきや全然そんなことはない、社会人あるあるな時期を過ごしている。「これを乗り切ったらやりたいこと」みたいなものがずいぶん積み重なっていたこともあって、むしろストレスを感じるような日々が続いている。

 新型コロナウイルスの感染拡大は「第7波」といわれ(ここ1-2年ほど、ある程度まとまった文章を書くときは、記録と記憶のためにこうした記述を差し挟むことにしている)、いっときまた落ち着いていたような感染者数は各地で過去最高を記録している。それでも行動制限はいまのところ不要ということのようで、飲食店などもほぼ普通に営業しているし、ライブなどの人数制限も課せられていないという状況だ。
 よくも悪くもコロナ禍といわれる状況に慣れたような感覚があり、まわりの人々も同様の感じになってきたのか、年度が改まったあたりでひとと飲む習慣が再開し、ここ1-2ヶ月は飲んでばかりいる。1年以上、店でアルコールを口にすることすらなかったような時期もあり、もうこんな感じに戻ることはないのではないかという気さえしていたが、あっけないものだ。酒飲みはタフである。
 つまりはこのnoteは、酒を飲みながらひとと話していると人生を考えちゃうこともあるよね、という趣旨の文章である(それ以上中身はないので、このへんで読むのをやめていただいたほうがよいかもしれない)。

 さて、ぼちぼち32歳である。年齢なんて単なる数字、今年の背番号みたいなもの、とは言うし実際に思っているけれど、30歳になったときは内訳不明の絶望感みたいなものがまあまああった。ただ、その感覚も31歳になってほぼ忘れてしまった。やっぱり年齢は背番号だ。
 それに、32歳というのは個人的にはけっこうキリのいい数字にも感じられるし、プロ野球選手がいちばん脂の乗る年齢とか、女性がいちばん魅力的に感じられる年齢とか、よくわからないけどポジティブなイメージがある。こちとら腹に脂が乗っているだけの独身男性なのだが、32歳になるのはなんとなく楽しみな感じもある(それもそれで謎の感覚だが)。

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 この前久しぶりに会社の同期飲みみたいなものがあったのだが、既婚者はほとんどすでに子育てを始めていて、一方で独身者はそれぞれに自分の人生を楽しむ方向に振り切っているように見えた。毎週のように飲み歩いたり、乃木坂46の全国ツアーのチケットの抽選を全公演申し込んだりしている自分も明らかに後者に属するのだが、付き合いの悪い僕は会社の人々には趣味をまったく開示していないし、うつ病でわけのわからないことになっていた期間があって触れがたいのもあるのか、中途半端なよくわからないイメージをもたれているように思う。曖昧に笑ってぐいぐい日本酒を飲み、最後のほうは何を話していたかすら覚えていないが、どうせ仕事の話と5年以上前のベイスターズの話ばかりだったんじゃないだろうか。
 10年近く前、最初の頃の同期飲みは、大学のステレオタイプなイメージで煽り合いをしたり、卒論のテーマを茶化しあったり(そして卒論を書いていない僕が底辺となる)、やれあいつの彼女はブスだみたいな声があがっていたりと、社風の割にずいぶんと治安の悪い場であったと記憶するが(僕自身がそんなことを言っていたわけではないことはことわっておきたいが、曖昧な顔で傍観していた僕だって同罪だろう)、10年が経てば社会人になり、大人になり、人の親になる。もう数年経てば健康診断の数値を気にして酒量をぐっと減らす奴も出てくるだろう。そのトップバッターが僕でないことを祈るばかりだが、自分の日々の暮らしを省みてみれば、だいぶ怪しいかもしれない。

 それ以外の個人的な飲みの機会としては、引き続きサシでばかり飲んでいる。相手がほぼほぼ女性ばかりというのも相変わらず変わらない。初めてのひともいて、何度目か(何十度目か)わからないひともいた。2018年に体調を崩し、それが多少上向いてきた2020年からコロナ禍になったので、5年ぶりくらいのノリで毎日をやっている。一度は諦めたような人生なので、またこんなことをしているのが不思議でならない。

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 そういえばnoteでは書いていなかった気がするのだが、うつ病は寛解といえる状態になっている。抗うつ剤の服用をやめ、通院も打ち切ってからそろそろ1年だ。仕事も繁忙期を乗り越えられるくらいには普通の体調になっている(慣れん仕事を慣れんペースでやっていたら帯状疱疹が出たり、なぜか何もないところで足をひねって骨折したりしたが、それはそれだ)。だからこんな生活ができているのである。
 なぜここまで回復できたのかはわからない。薬が効いたという感覚も、休んで上向いたという感覚もない。道で拾ったふたつ目の人生をネコババして生きているような、そんな表現が最もしっくりくる。だからいつまたそれを取り落とすか、あるいはお巡りさんに肩を叩かれるかわからないみたいな感覚もあって、だから将来の自分みたいなことを未だに何も考えられずにいる。まあ、本当に詰んだらこのへんをきゅっといけばすべてが終わるから。そんな甘えた感覚でとりあえず毎日をやっている。

 働く人の10人に1人がメンタル失調を経験するみたいなCMを見た(ちなみに僕がCMを見る=録画ではなくリアルタイム視聴をする番組はアイドル番組だけです)。同じような経験をした人とその経験について話す機会が、自分はまったく意図していないのにちょくちょくある。確かにマイノリティともいえない人数が似たような経験をしているんだなと思う。でも病態は本当にまちまちで、細かな感覚を共有できたという感じは、正直言ってない。でも、この人は仲間だな、みたいに思って(しまって)いるのも確かだ。あのひともあのひとも、実はふたつ目の人生をやっているってことだろうか。そう考えてみると、少し気持ちが明るくなる(ネコババとか、そんなふうな言い方は控えたほうがいいのかな、とも思う)。

 うつ病の話が出たついでに、当時askの形でいただいたことばを最近になってまたよく読み返しているので、ここにも掲載しておくことにする。

環境が変わって周りの人がどんどん心を壊していく中で、自分自身も病院のお世話になっています。わけもなく悲しくて、苦しくて、自分より先に通院を始めた人たちもこうやって毎日つらい思いをしていたのかな、と思ったりもします。日々を埋めていくあきらかすぎる重苦しい悲しみに、寂しさを持ち寄って焚き火を囲むような、悲しみが今よりもっと密やかであった、そんな頃に戻りたいと思うこともあります。急にこんな話をしてしまってすみません。その焚き火を囲む集まりの中にきしょうさんがいたことを時折思い出すのです。自分はきっとそのことが何かの、心の支えのようなものになったことを好ましく思っているのだと思います。質問でもない上、とりとめのない思い出話になってしまってすみません。それでもこの話を誰かに、できるのなら思い出の景色のリアルタイムの中にいたあなたに聞いて欲しかったのです。

https://forgetme.xyz/post/183187221321/

 ほとんどのaskがそうだったように、これも誰からいただいたものだったかはまったくわからない。でも、いつ読んでも元気をもらえる文章だ。思えばこれが「最初の仲間」だったような気もする。この方からは、少しあとにもう一度askをいただいている。それからもう3年以上だ。どうか健康で楽しく毎日を送っていてほしい。顔も名前もアカウントも知らないだけの相手に、そんなことを思っている。

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 あと、この間に僕が経験したことといえば、推しメンの卒業である。ここでいう推しメンとは元乃木坂46の北野日奈子さんのことで、僕はもう今後誰のことも推しメンとは呼ばないことに決めている。でもそれは北野さんに愛を誓っているみたいな話ではなくて、「推し」という概念が分断を生んでいる、もっと広くグループ全体やシーン全体を見てファンをやるべきだ、という考えが強くなってきたからだ。坂本龍馬の生き方に心酔している人と、幕末を研究している歴史家はたぶん話が合わないだろう。別にどちらが良いということでもないが、そんなことを思っている。
 話がそれたが、どうして僕がそれでも彼女のことを推しメンと呼ぶかというと、それはまあこんなややこしいことを考えるようになる前からそう呼んでいたからにすぎないのだけど、もうひとつ付け加えるとしたら、彼女のことも僕は、ある意味では「仲間」だ、とみなしているからだ。彼女は2017年から2018年にかけて、「体調不良」による休業を経験している。それ以上の具体的な情報は出ていないので決めつけて語るのはよくないのだが、卒業に際してその時期は「自分を大事にできない時期」だったと口にして、身体的な失調ではなかったことを本人も示唆している(ファンならみんなわかっていたことだが)。
 彼女に元気が戻ることを祈っていたはずなのに、自分がメンタル面で転んでしまった。そんな順序だった。

 卒業発表があったのが1月31日。思い出すだけで気持ちが暗くなるような繁忙期の真っ只中だった。卒業コンサートがあったのが3月24日。足が折れていた頃だったがとりあえず申し込んだチケットの抽選は外れ、一般発売でほぼいちばん後ろみたいな席を勝ち取った(当日には駆け足ができる程度まで回復していた)。卒業日は4月30日。発表からはあっという間だった。
 いつからか確実に、彼女の存在は僕の希望だった。「体調不良」のことも含めて、もはや「一緒に人生をやってきた」みたいな感覚がある。別にそんなことはないというのもわかっているんだけど、彼女にはファンをそういう温度にさせる力があった。そして僕はそんな彼女に生きる力をもらっていた、それだけは疑いようのない事実だ。

 卒業といっても芸能界を離れたわけではなく、事務所を移って活動を続けている。何年かぶりに舞台への出演があって(今日が千秋楽だった)、僕も2公演ほど足を運んだ。ちゃんとした舞台を観に行くだなんてほぼ初めての経験で、また世界を広げてもらったような感覚がある。
 昨日はそんな彼女の26歳の誕生日だった。カーテンコールでキャストから花束を受け取った彼女の笑顔と涙を見て、人間が積み重ねた時間のことを人生と呼ぶのだと、当たり前みたいなことを思った。

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 大回りをしてもう一度「人生」みたいな話に戻ってきた。同世代がもうけた子どもは驚くようなスピードで大きくなるし、独身仲間の人生も、よくよく話を聞いてみると案外動いているな、という感想をもつ。自分には何があっただろうか、と考えてみても、ひとつ上の階の部屋に引っ越したことくらいしか思い浮かばない。引っ越しのタイミングでだいぶ貯金をはたいたので、もうこれ以上は何かしたくてもできない。
 日々の飲み代とチケット代を稼ぐために毎日社会人をやっている、くらいのノリである。そう表現してみると、気楽でいいな、と思う。新卒くらいの頃からしばらくは、「家族を人質にとられて働くと病むだろうな」みたいなことを言っていたものだが(それもそれでひどい家族観である)、独身のまま病んでしまった時期を経て、思い描いていた通りの気楽な位置に戻ってきた。

 連想ゲームみたいに、さも日々何かがあったような感じの文章を書き散らしてきたが、別に何が起きているわけでもない。ライフステージの階段を上るのをやめ、何年も踊り場で寝転んでいるような僕なので、もう何もないし、なくていいと思っている。何かあったように思えても、泡のように消えていく。そのくらいがちょうどいい。最近はちょっとしゅわしゅわしているかもしれない。その程度だ。

 永遠に続いていくようにも思える、限りなく無色に近い灰色の日々のなかで、隣席の先輩にスマートに冗談を言えたとか、ラーメン屋の店主がいつもありがとうと言ってくれたとか、道で落とし物をした人がいたので拾って追いかけたとか、そんなどうでもいいことばかりが妙に光り輝いている感じがする。そんなふうにしてこれからも生きていくしかないのだろう。

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 何が言いたいのかまったくわからない文章になってしまった。ここまでである。なぜ書こうと思ったのかもわからない。誕生日まですらまだ少々の期間がある。こんなことをしていないで、やりたいことや書きたい文章もいろいろとあるのだが、まあ僕はえてしていつもそんな感じだ。

 何かあるだろうと思ってここまで読んでしまった方、ご愁傷さまでした。3連休の終わる夜、誰もそんな悲しみに直面していないことを祈るばかりです。

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