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こんにちは!赤ちゃん!!!!

こんばんは、栗林です。

何かが終わるということは何かが始まるということで、平成最後の夏が終わり栗林家に新しい命が生まれました。
いえーい!

・経緯

16日昼、妻からおしるしのようなものがあったとの連絡。
おしるしから2-3日で産まれることが多いらしく(ネットの情報なのでなんとも言えませんが)ついにくるかとそわそわしていた18時頃、陣痛らしきものが始まったと聞き帰宅。
スピーディーな展開にまだ本当に陣痛なのか半信半疑ながらご飯を食べて風呂に入り決戦を待ちます。

ベッドに横たわり10-15分に一度くる10秒くらいの痛みに耐える妻。
本当に陣痛のようでした。
この時点では普通に話もできたので、どのくらいの痛みなのか聞いてみると生理痛の1番痛い時くらいとのこと。
わからん。

ツイッターを見て笑う余裕もありました。

分娩中に岡ちゃん思い出して笑ったらやばいねとか言っていたものの、全く無意味な心配でした。

この間に予習を兼ねてNetflixで伝説のアメリカンドラマ「フレンズ」のレイチェルの出産回を見直すことにしました。
レイチェルの陣痛が全然進まなくて後からくる妊婦にどんどん抜かされていくという話で笑えるのですが、出産を見終えた今思うと、あの陣痛に耐えながら先を越され続けるというのはつらいだろうなという気持ちの方が大きくて笑えるドラマが1つ減ったなという感じです。

いや、ドラマはドラマとして笑って楽しめると思います。
過剰に出産を知ってる自分を演出しようとしました。すみません。

時は流れて深夜1時、ついに陣痛間隔が10分を切ったので病院へ。日付は変わって3連休明けの火曜日。
休日や夜間の分娩は追加料金がかかるから平日の昼間に産まれろよと妊娠中に言い聞かせてきたケチな親を思ってか、ベストタイミングでの陣痛開始でした。

3畳くらいのせまい部屋、その名も陣痛室で子宮口が全開になるのを待ちます。この世界に陣痛室があるなんて15の僕は想像もしてなかったナァ。この部屋で苦しみに耐えてきた数々の妊婦達の残留思念に後押しされながら僕たち、主に妻の本格的な戦いが始まりました。
胎児の心拍とお腹の張り(?)を測る装置をつけ、モニタリングしながら陣痛に耐えます。もう会話なんてほとんどできなくなっていたので、妻の必死に息を吐く音とぼくの間抜けな息吐いて〜の声と機械から出る胎児の心拍音(かなり早い)だけが部屋に響いていました。
効果があるのかも分からないままにひたすら背中と腰をさする時間が続き、妻は陣痛が1つ終わると意識を失うように眠り、また次の陣痛に起こされるという地獄を生きていました。
時が経つに連れ痛みは激しく、そして間隔は短く、さらに痛みの継続時間は長くなっていきます。

陣痛中の付添人の役割の1つにテニスボールでお尻を押していきみを逃す、っていうやつがあります。
いきむの感覚もよく分からないのにいきみを逃すとなるともうどういう感覚なのか全くわからないんですけど。
効果があるという話だったので持っていきました。

陣痛間隔が5分程度までは何回かテニスボールいる?と聞いても首を振るだけだったので、いらないタイプの妊婦なのかなと思ってたんですけど、5分を切っていよいよ苦しそうになってきた頃に助産師さんがテニスボールやってみましょかと言って教えてもらいながら陣痛のタイミングでお尻にボールを押し込みました。
試しに何度か押した時には感じられなかった何かがボールを押し返してきていて、胎児が着実に下へ降りてきていることがわかったのでした。
そこからは完全にテニスボール屋さんになり、全力でお尻にボールを押し込む日々でした。
胎児の頭へこまない?大丈夫なん?っていうくらいの力でボールを押し込み、テニスボールがほとんどお尻に埋まるくらいでした。まじで。
それでもかなりつらそうな妻はもっと押してと言ってくるので助産師さんもときには加勢して一緒に押してくれました。
あぁ、親子かめはめ波みたいだな、って思いました。

そんなテニスボールの日々を送っているともう朝になっていて、入院して6時間以上が経っていました。
結構集中力がない方なので、妊婦の腰をさすり続けるとかそんな単純作業にちゃんと長時間集中できるだろうかと前から心配してたのですが、さすがに目の前でこれだけ妻が苦しんでたらやるしかなかったです。
僕にも人の心と集中力がちゃんとありました。

そんな日々の中で迎えた朝8時、ついに破水!
いよいよ妻の苦しさはピークを迎え、痛みに耐え吐く息は叫び声に変わっていきました。
テニスボールを押し込むことと息吐いてーと間抜けな声で言うことしかできない機械になった僕の手にも力が入ります。
テニスボールを押し返してくる力もかなり強くなり、もう、これ産んでもええのんとちゃうの!?と思いながらもひたすら機械になっていました。
もう産んでもええのんとちゃうの!?と思うこと1時間ほどで、ようやくもう一回診察してみましょうかとなりました。
その結果子宮口は9.5cm、ほぼ全開ということで程なく分娩室へ移り、妻と助産師さんのマンツーマン、いや、妻と赤ちゃんと助産師さんのマンツーマンツーマンでの戦いとなりました。
ぼくは頭側に立ち妻の髪を撫で汗を拭き、たまに、お茶飲む?という係です。

ようやくいきむことを許可された妻は1回の陣痛に1回いきんでみましょう、もし可能なら2回やってみましょうという助産師さんに対し3回いきむというアグレッシブスタイルで対抗していました。

とにかくそこに僕の付け入る隙はなく、ただ女達の戦いがそこにはあり、僕はといえば、いきむと髪の毛が見えますよーという助産師さんの声に、ほんとにそこに小さい人いるのだという、当たり前のようで全く不思議としか言えない事実に改めて気づき、不安と困惑と希望とただ頑張れという気持ちがミックスされたまだ名前のない感情が胸に起こっていたのでした。

そしてその時はやってきました。
あ、まだ産まれません。
会陰切開です。
お股を切るやつです。
ちょっと裂けそうだねー切ろっかーいいよねー?という助産師さんのプロフェッショナルな発言に妻はイエスというしかありませんでした。
やがて先生がやってきて、僕は左斜め上を見て必死に壁の模様に集中しながら、じょきんという音と痛いーという妻の泣き声でそれが行われたことを知りました。
こっっっわ!
いや
こっっっっっわ!
普通そんなとこ切らんからね。
そもそも普通股から子ども出ないしね。
でもこの世のほぼ全員股から出てきてるという事実。
この事実、不思議。

怖すぎる会陰切開を終え、気づけば周りには赤ちゃんを寝かせるベッドが用意されていて(上からヒーターであたためられてる)、なんかすげえスタッフの方の人数も増えてて、終わりが近いことを知りました。
この辺は、まあ最初からずっとそうなんですけど、必死としか言えない戦いで、命が生まれることだとかそういうのよりもむしろ妻の懸命さに涙が出そうでした。
最後の方は記憶もあまり確かではないのですが、妻の今日1番のいきみとともに頭が出てきて、スタッフさんたちが右に回せ左に回せとか取り上げる助産師さんにやいやい言ってたら赤ちゃん、みたいなのが出てきました。
紫色でビチャビチャだしへそに白いチューブが繋がってるし、可愛い!とはならなかったものの、誰に習ったのかオギャーオギャー(ほんとにオギャーオギャーだった)と泣いているその生命体の貴重さはなんとなくわかったような気がします。

赤ちゃんが飲んでしまった羊水を吸引されたり体を拭かれたりしている間に、妻は胎盤を出したり切ったところを縫われたりしていました。
縫われる時は特にずっと痛い痛い騒いでて、痛みで始まって痛みで終わるって何百万年も出産のこのシステム誰も改善してこなかったの?と思いました。

拭かれたり血色が良くなったりしてある程度きれいになった赤ちゃんはだいぶ愛おしさの比重が大きくなって、愛すべき存在になっていました。
きれいなタオルの上で速攻でうんこしてました。
あと体温計をお尻の穴に入れられてもなんの反応も示してなくて、大物だなあと思いました。3kgしかないのに。
体温計入れられてるときもまたうんこしてました。

・思ったこと
そんなに強くない人間だと思っていた妻が立派に子を産んだ。すごすぎるしすごすぎてすごい。
割と安産でスムーズに産めてすごい。
子も無事に生まれてきてすごい。
人生で初めてなのに生まれてきてすぐ泣けるのもすごい。
助産師さんはじめ医療スタッフの安心感すごい。
健康保険制度すごい。
でも子供産むのに数十万は自己負担があるのちょっと解せない。

今地球上に72億人いるということは72億回の出産があったということで本当にすごい。

とにかく妻はすごい。

お疲れ様でした。

東大出てても馬鹿は馬鹿