自然淘汰が出来なくて

学会で 産道が狭い女性が増えているという発表があった
つまり自然分娩できない女性だ

普通なら 子孫が残せないから そのような女性は減っていくが

人間は 当然それはかわいそうだと 帝王切開する
産道の小さな女性から生まれた子供も 産道が小さい可能性が高い

こういうことを危惧していた

かなり倫理的に 難しい問題になるが
生まれた命は全て活かそうと 本来死ぬはずだった障害を持ったような子供も なんとか生かそうとする

昔だったら体が弱い子どもは幼いうちに亡くなっていたし、 また障害がある子は生まれた時にお産婆さんが 闇に葬ったり

健康で生命力ある 人達が生き残ってきた

ただ自分は 障害を持った人たちと たくさん関わってきたことがあるので 彼らが必要のない人間だなとは 絶対思わない!
障害を持った子が一人がいるだけで その周りの人達が 朗らかになるような姿を 何度も見た

自分も障害を持っている人たちと接することで 心が洗われるような経験を何度もした

その逆で 相模原の施設で 障害者が何人も殺された
犯人は 自分は正しいことをしたと 信じて疑っていなかった

実際障害を持った子供を殺されて 何十年も 介護する生活から解放され 内心ホッとしている人は いるんじゃないか?
少しほっとしている人を責める資格はない
仕事としてでなく 自分のことは後回しにして 終わることのない 介護することを 自分は代わって出来ない

この問題については 根が深いので 生まれた命を全て大事にしていきたいとは思うが本来自然淘汰されるものを無理矢理残すことでいつかその優しさが人間の首を締める。

本当の優しさとは何か凄く難しい問題だ