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聞こえることが良いことで、聞こえないことは悪いこと、なわけがない

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病院、病院、聾学校に病院と、次男の難聴がわかってから3ヶ月、本当にばたばたしていた。生まれる前からばたばたしていたから、もう1年近くばたばただ。書きたいことは山ほどあるんだけど、この間にあったいろいろをすっ飛ばして、難聴次男の検査結果の話を書きたい。

難聴と言っても原因はいろいろあって、それによって今後の対応も変わってくるらしい。具体的な聴力の検査、補聴器の装用とあわせて、原因の検査も行ってきた。

原因は遺伝性。先天性難聴の50%以上が遺伝性であり、次男はその中でさらに50%くらいの人が持つ遺伝子変異で難聴になったらしい。妻の家系にも僕の家系にも、知りうる限り先天性難聴の人はいない。しかし、日本人の5%弱の人がこの遺伝子を持っていて、その人同士が出会って子どもができると、1/4の確率で難聴の子が生まれる。

よくこれを引き当てたものだと思うけど、年末ジャンボ宝くじに当たるよりかはよっぽど確率が高いし、お年玉年賀はがき当たるのと同じくらいと思えば、まあ、当たることもあるかもと思える。

ちなみにこの三ヶ月で、夫婦の間でちょっとした意識の変化があった。こないだ妻に「難聴ってわかったときは一人で泣いてたんでしょ?」って聞いたら、「えーそうだっけー?」ととぼけていた。あのころの、お互い半身が沼につかったまま歩いているような、重々しい空気がまるでない。病院、病院、聾学校、病院には疲弊するけど、次男の今後についてはずいぶんと前向きになった。

それで、原因が分かることで、それに付随するいろいろなことがわかった。次男の難聴は進行性ではなく、合併症もない。つまり、耳が聞こえにくいことを抜けば、すこぶる健康。耳のことには前向きなので、これには心底安心した。妻はこれでまた泣いていたそうだ。今度はずいぶんいい涙だ。

また、現時点では考えていないけど、人工内耳の効果が出やすいらしい。人工内耳というのは、内耳に直接電極を埋め込む人工臓器で、選択肢が増えるという意味でも良い結果。将来的に人工内耳にしたいと思ったら協力してやろう。保険未適用なので400万。いや、まあ、将来もっと安くなるかも知れないし、再生医療が進むかも知れないし、先のことは今はいい。

それと、聴力のこと。高度難聴と思われていた左は、思ったより悪いらしい。ほとんど聞こえない。しかし右耳は、中等度なりにかなり聞こえるという。

次男の難聴は「感音性難聴」というものなんだけど、これが厄介なのが、周波数によって聞こえが変わること。日本語でいうと、母音は周波数が低く、子音は周波数が高い。しかも子音の音域はバラバラ。感音性難聴はいろいろなパターンがあるらしいけど、周波数ごとに聞こえる音の大きさが変わり、特に高い高音域が苦手な場合が多いらしい。

つまり、「こんにちは」と話しかけた場合、子音が聞こえにくいと「おんいいあ」みたいになってしまう。だから難聴の人が喋るときも、子音の発話が苦手になるんだとか。しかも聞こえる周波数はばらばらならので、一律こうなるわけでもない。「こんいいわ」かもしれないし、「ぉんぃ□あ」かも知れない。これはすごく大雑把な僕の理解なので、間違っていたらご指摘ください。とにかく日常会話のスピードでこんな聞こえ方すると、相当しんどいそうだ。

それで次男の右耳は、全周波数帯が比較的フラットに聞こえているらしい。医者からは、綺麗な発話ができるようになると思うと言われた。ただ実は、これについては、とくに何も思わなかった。というのもこの5ヶ月、難聴かも、難聴だ、思ったよりも聞こえるかも、思ったよりも聞こえないっぽいの間を行ったり来たりしすぎたから。発話ができることで、次男の将来の幅が広がるなら喜ばしいけれど、我々両親はそんなことに一喜一憂しちゃいけないと思った。

聞こえることが良いことで、聞こえないことは悪いこと、なわけがない。聞こえない次男はかわいそうな子、とか書けば、一喜一憂することの無意味さが伝わるだろうか。でもこれ、頭で理解していても、感情的な理解ってなかなか難しい。それだけ人間の心は差別性を内包しているのかもしれない。

意識が変わったのは、自分たちの力じゃない。本当に、この難聴という障害に向き合ってきた先人たちのおかげだと思っている。病院の医師、リハビリの言語聴覚士、聾学校の先生、難聴の子どもとその家族に関わる人たちは、とにかく話を聞く姿勢を持っている。それぞれめちゃくちゃ忙しいはずなのに、時間をかけて話を聞き、疑問に答えてくれる。

難聴と分かってから、紹介されて国立の小児総合病院に通い始めたのだけど、むちゃくちゃ待ち時間が長い。初めて行ったときは、午前中から6時間くらい病院にいることになった。なんでこんな長いのか不思議だったんだけど、診察を受けてみたら、あれだけひとりひとりに時間かけてればそうなるなってすぐわかった。でもこれは、難聴を含む多くの病気や障害を持った子どもとその家族と向き合ってきた結果わかった、必要な時間なんだろう。実際に、僕たち夫婦には必要だったから。

そして、多くの難聴の方、その親が、自身の体験を書き残してくれた。それは書籍として流通しているものもあれば、聾学校の中でだけ読めるものもある。文章もあるし、普通のお母さんが書いた4コマ漫画もあった。また、毎日のように難聴の人による講演会も行われている。

知らないことは恐いこと。地図も標識も見ないで知らない街を歩くことはできない。でも、ちゃんと話を聞いて道を教えてくれる人たちと、先に歩いて道と標識を作ってくれた人たちがいたことを知った。それで、我々夫婦がどれだけ安心できたか。

聞こえることが良いことで、聞こえないことは悪いこと、なわけがない。聞こえる世界が絶対じゃない。次男にとっては聞こえないが当たり前の世界。だったら、その当たり前が違和感にならないようにしないといけない。来月から僕も手話教室が始まる。普通に楽しみになっている自分がいる。

※文章はここまでです。この先は投げ銭制で、いただけると後頭部がはげた次男の写真を見ることができます。


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