雨宮処凛と森達也

オウム問題はサブカルクソ女の自己実現の道具じゃないぞ

 やや日刊カルト新聞で〈デマに“偽装” 「オウム事件真相究明の会」の真相を究明する〉という記事を書きました。そこで書いた通りこの会は、主張は支離滅裂だったり重要な部分がデマだったり、麻原の三女・アーチャリーが会に深く関与しているのにそのことを明示していなかったりで、怪しさ満点です。

 5月4日に参議院議員会館で行われた設立記者会見では、作家の雨宮処凛氏が司会を務めました。その雨宮氏が過去、インタビューで「地下鉄サリン、万歳!」などと口走っていたことを、吉田豪氏が指摘しています(ライター井島ちづるさんから見る90年代の鬼畜ブーム)。

 孫引きになりますが、吉田氏が指摘しているのは、大橋由美『井島ちづるはなぜ死んだか』(02年/河出書房新社)に収録されているというインタビューです。1998年6月15日のものだそうです。聞き手はライターの井島ちづる氏、答えているのが雨宮氏とのこと。

――オウム真理教には入ろうと思いませんでしたか?
「私の入っている(右翼)団体は、会員以外の人によく、オウムに似ていると言われるんですよ。『オウムの信者といってることが同じだ!』っていわれたこともあります。わりとそれには自分でも納得してますけど」
――オウムにはシンパシーはあるんですか?
「ムチャクチャありますよ。サリン事件があったときなんか、入りたかった。『地下鉄サリン、万歳!』とか思いませんでしたか? 私はすごく、歓喜を叫びましたね。『やってくれたぞ!』って」

 吉田氏はこのインタビューを紹介した上で、〈「10年以上前のことをいまの常識で批判するのはフェアじゃない」はずなんですが、ここまでくると当時でもアウト〉と書いています。しかし、「オウム事件真相究明の会」とのからみでいえば、問題はそこではありません。

 堂々と「地下鉄サリン、万歳!」とか言ってた人間が、オウム事件の真相を究明しろとか言って、アーチャリーがらみの団体に加わって記者会見を開いたのだとすれば、こんな異常な話はありません。

 宗教学者の島田裕巳氏なども、オウムをヨイショしたとして未だに批判されています。批判されて当然ですが、それでも島田氏がオウムをヨイショしたのは地下鉄サリン事件(95年)前のこと。雨宮氏の場合は、発言の内容からも明らかな通り、地下鉄サリン事件がオウムによる犯行だとわかった上でのものです。95年には坂本弁護士一家殺害事件もオウムによるものだったことが確認され、遺体も発見されていました。吉田氏の指摘が事実なら、雨宮氏はこうした状況があった上でなお「地下鉄サリン、万歳!」と言い放っていたことになります。

 ネット上を探してみると、こんなインタビュー記事(08年)もありました。

 ちょうど私が20歳の時に地下鉄サリン事件が起こり、オウム真理教のことを知りましたが、事件のことはともかくとして、オウム信者の人たちはすごく目的を持っていて、充実しているように見えましたね。自分はフリーターだったりニートだったりで、目的も何も持っていなかったから。

 「地下鉄サリン、万歳!」「やってくれたぞ!」と歓喜を叫んでいたはずなのに、「事件のことはともかくとして」と思っていたかのように歴史を修正しています。

 一方で、この7年後に書かれた、雨宮氏ご本人によるこんな記事(15年)もありました。

 不謹慎を承知で書くと、私はあの事件に、というか「オウム」という存在に熱狂した一人だ。

 前述の「歴史修正」を修正して、不謹慎な事を考えていたのだということは認め、歴史を元に戻しています。そしてオウムの元信者と連れ立って右翼団体に入った話や、そのような行動を取ったさいの心情について解説しています。

 またオウム関連ではないのですが、雨宮氏ご本人によるこんな記事(18年)もあります。「90年代サブカルスイッチ」だとか「90年代、私はクソサブカル女だった」などと、過去の自分を自嘲気味に客観視するような書き方をしています。〈女の痛みに意図的に「麻痺」した代償は大きいのだと、今、痛感している〉という自省的な態度も見せています。

 サブカルクソ女としての反省はあるようです。

 しかし「地下鉄サリン、万歳!」「やってくれたぞ!」といった発言や態度を反省する文章は見つけることができませんでした。上記の2015年のご本人の記事は、オウムに熱狂したことを反省する内容ではなく、熱狂した理由にからめて右翼活動などに入っていったことを説明しているだけです。むしろ、自身の現在のスタンスの原点として肯定的に見ているようにすら読めます。

 90年代サブカルの鬼畜系や破滅願望のようなものは、雨宮氏とほぼ同い年であるぼくも、多少はリアルタイムで触れていました。ぼく自身もその影響を受けていないわけではありません。なので感覚的には、雨宮氏が指している内容は理解できます。しかし賛同はしません。

 たとえばぼくは飛行機がワールド・トレード・センターに突っ込んだのを見て心の中で「ざまあみろ!クソアメリカ!」と熱狂しました。そして食い入るようにテレビを見ているうちに、人間が文字通りゴミのようにビルから次々と落ちていく光景を見て、けっこうな自己嫌悪に陥りました。時代や社会や国家みたいなものを抽象的に捉え嫌悪する(その反動でテロを見て破滅的な光景に興奮してしまう)感覚は、そこで傷つく具体的な存在を度外視した、不健全な脳内での自己満足にすぎない。そのことを突きつけられたからです。よりによって、ぼくが国家や社会と同様に嫌悪していたテレビという媒体によって。

 後に、国際政治にさして興味がないぼくですら、アメリカがイスラム世界をどれだけややこしくしてきたかということも見聞きする機会が増え、なお一層アメリカに対して嫌悪を抱くようになりました。それでもなお、ぼくは「9・11、万歳!」などという感覚にはなれませんでした。抽象的な「アメリカ」に対する反感だけでものを捉えることの罪深さを、すでに思い知らされていたからです。

 雨宮氏は、「地下鉄サリン、万歳!」後に一応は「テロは良くない」というスタンスで物を言うようになったようです。しかし彼女の意識の中心はいまだに、オウム事件で傷ついたり命を奪われたりした人々の存在より、テロ集団の構成員を含めた「若者」の不遇や、それに立脚した社会批判にあります。

 テロはいけない。それはその通りだ。しかし、その言葉を繰り返すよりも、私たちが生きる「こっちの世界」を生きやすくすることが「テロのない世界」に繋がっていくのではないだろうか。
雨宮処凛〈オウム事件から20年~「こっちの世界」で生きるということ。の巻

 一見、さしておかしなことは書いていないように見えます。しかしこれまで書いてきた雨宮氏の傾向を考えれば、その過ちの根本はこの「テロはいけない。しかし……」という文脈での社会批判意識にあるように思います。

 彼女は「テロはいけない」と繰り返す「よりも」、社会の側のことを云々しろと言っています。本来その両者に優劣などなく、社会の側の問題を云々する上でもなお「テロはいけない」と繰り返さなければいけません。社会を批判するにしても、ルサンチマンを抱える側が「ルサンチマンの正しい抱え方や発散の仕方」も意識しなければ、その先にあるのは健全な社会批判ではなく自己か社会いずれかの破壊です。

 雨宮氏がやっていることは、社会的な視点での正しさの追求ではなく、自身を含めた「生きづらい」人々の主観世界を正しくて至上のものとする主張の吐露にすぎません。

 オウム事件真相究明の会の記者会見では、雨宮氏に限らず登壇者の全てがオウム問題を抽象化して捉えていました。誰の口からも、サリン事件被害者、子供がオウムに入信してしまった親たち、そうした問題への対応に取り組んできた人々が示す知見などを踏まえた発言は皆無でした。「世論に押された裁判所が不当に麻原の裁判を終結させてしまった」という設定に基づく抽象的な国家権力批判、世論批判がなされただけです(実際には、裁判が一審で終わったのは裁判所のせいではなく、麻原の弁護人が期限内に控訴趣意書を出さないということを繰り返したことが原因です)。

 方向性は違うものの発想の構造としては、良識やモラルや人権を度外視して趣味世界を暴走させた90年代サブカルと大差ありません。社会問題としてのリアリティより彼らの脳内の世界観を優先している人々です。

 「地下鉄サリン、万歳!」との連続性を考えれば、中でも特に雨宮氏は、いまでも割と重篤なサブカルクソ女のままなのかもしれません。

 オウム問題は、サブカルクソ女の自己実現の道具ではありません。雨宮処凛氏は黙ってろ!と思います。

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