noteはじめました

 やや日刊カルト新聞社の創始者兼総裁を解任され容疑者兼総裁に就任した藤倉と申します。

 noteに手を出そうと思い立ったことには、いろいろ理由があります。TwitterやFacebookやBloggerの投稿がカルトの抗議で勝手に削除されてしまう事態が続いていたり、表現の自由や差別関連などカルトと関係ない関心事について言いたいことが増えてきたり、あとフリーライターなのにカネにならない無料の文章をネットで書きまくってて家族に申し訳ないというのも。

 なので有料記事も書くかもしれませんが、そのときは何卒よろしくお願いします。

 やや日刊カルト新聞というニュースサイトをやっているわけですが、いちおう「新聞」を自称している手前、そこではそれなりに客観的な時事報道や評論をやるようにしています。noteでは、脱線話や主観を前面に出した話、取材等の裏話などを書いたりしたいと思います。

 とりあえず最近は、「安倍政権はカルトだ」とか「国家神道はカルトだ」みたいなことを口走る輩に腹が立っています。だいたいこういう安直なことを口走るやつらって、「カルト問題」とは何なのかということを全く踏まえていなかったりします。

 安倍政権や国家神道を批判するのは構わないというか、むしろぼくも同感だったりするんですが、「カルト」の何たるかを踏まえないで「カルトだ!」と言ってしまうのはどうかなと思います。いや、「どうかな」どころじゃなく「やめてくれ」と思います。その理由は追々書いていきます。

 ぼくは政治ニュースを見るのは好きですが政治には一切関わりたくありません。イデオロギー的なものについてはなおさらです。

 なのに、政治がカルト的なものと関わっちゃうから、政治にからむ情報や意見も発信しないわけにはいきません。それでちょっとでも政治にからむ発言をすれば、すぐ「左翼」だの「ネトウヨ」だの言われます。くだらないので、なおのこと政治談義なんかに関わりたくなくなります。

 差別をめぐる問題も同様です。個人的にずっと関心はありましたが、「しばき隊」の登場辺りから、政治と同様にこの話題にも関わりたくないとはっきり感じるようになりました。「しばき隊」に限らず、声高に差別を云々する人間の群れの良識や人権感覚に疑問を抱く場面が多々あるからです。その代表格は有田芳生参議院議員だったりするのですが、その辺もまた追々。

 しかしいま差別をめぐる表現規制の流れは、カルトが自分たちに都合の悪い情報や評論を潰すために大いに悪用できるようなものになっています。だから、本来なら関わりたくない差別問題についても物を言わずにはおれません。この辺りも、追々この場で書いていきたい話題のひとつです。

 いずれも、ぼく自身もまだきちんと言語化できていないような話題ばかりです。それを、メモも兼ねてダラダラと書いていきたいと思っています。

 その類いのテーマでもうひとつ、「カルトに限らず宗教全てを否定したくなってきてる」というのもあります。

 もともとぼくは「宗教そのものを批判するのではなく、カルト集団の行ない(人権侵害や違法行為)を問題視する」という立場をとってきました。一部、ぼくを宗教否定論者あるいは新興宗教否定論者であるかのように言う人がいますが、それは違います。やや日刊カルト新聞では伝統宗教を批判する記事も書いてきました。

 でも、最近、宗教はぜんぶ否定したほうがいいんじゃないかと思うようになっています。

 とは言え、宗教否定論者になって他人の信仰をとやかく言う前に、まずは自分自身から「宗教的なもの」を排除して原理主義的無神論者になるのが筋でしょう。だから最近は「食事の前に『いただきます』と言うとき手を合わせない」という修行を自分に課しています。これがなかなか難しくて、油断するとつい手を合わせてしまいます。

 なんでこんなことになったのかという話も、追々書いていきたいと思います。

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