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911 アメリカ同時多発テロを振り返る (2001年当時の日記から)

今日、note に新規登録しました。今日は 911, 拙者の誕生日、個人的には良い日、ついでながら 1965年の 911 は Bashar al-Assad, 現シリア大統領の誕生日、まぁ他人の誕生日だから「ただの日」、彼の下で苦しい日々を送っていると考えている、あるいは母国シリアから脱出した人々にとっては「喜ばしくない日」だろうけど。さらに言うと、1973年の 911 は、チリの当時 民主的に選ばれた大統領サルバドール・アジェンデが、アメリカ合州国の CIA が背後から動かした同国ピノチェト将軍によるクーデターの中、自ら死を選んだとされる日。そして、2001年の 911 は例のアメリカ合州国が標的にされた、いわゆる「同時多発テロ」が起きた日、ということで、後の二つは、明らかに「良くない日」。で、今日は、18年前の41歳の誕生日の夜にアメリカで同時多発テロが起き、その 4日後の 2001年9月15日に、同年の夏に本を買って数日間 html を独学して開設した自前のホームページに載せた日記を、ここに転載します。

なお、ここに添えた写真は、以下の日記本文とは直接の関係はありません。ただ、文中で 1983年から1984年にかけての旅に言及しているので、多少は関係あるかな。1983年の 9月11日、シリアのパルミラの遺跡で私が撮った写真の中の一枚です。同年4月26日に横浜港を発った私は、当時のソ連、ヨーロッパ諸国を旅し、ギリシアからトルコに移動して、同国に長居した後、シリアに陸路で入りました。そして、その後はヨルダンを経てパレスチナとイスラエルを旅し、パレスチナのガザ地区から陸路エジプトに入り、以降はトルコに戻り、さらに再びトルコ、続いてイラン、パキスタン、インド、タイ、韓国を旅して、1984年2月に帰国したのでした。

なお、もちろん、あのテロの実行犯にはパレスチナ人は一人として含まれていません。以下の日記を書いた当時はまだそのことがはっきりしていなかった時期でしたが、当時の私も、パレスチナ人が実行犯だとは考えていなかったように思います。ただ、パレスチナ問題を中心とする中東の歴史的な問題へのアメリカの関与に対する憎悪の念が背景にあるのではないかと考えたものです。

2001年 9月15日(土)   アメリカ同時多発テロについて

9月11日に起きたアメリカ同時多発テロから 4日経った。衝撃を受けたこの出来事について、ここで何もコメントしないわけにはいかないと考えている。無差別テロには全く正当性がないが、背景には、パレスチナ問題を中心とする中東の問題(そこには 3大宗教の聖地エルサレムの帰属の問題も含まれる)へのアメリカの姿勢もしくは関与に対する憎悪があるだろうことは、十分に想像がつく。しかし、この絶望的な悲劇について、考えはまとまらない。

私が(当時の)ソ連、ヨーロッパ、中東、アジアを旅したのはもう20年近く前だが、その時に逆方向から旅してきてヨーロッパとアジアが交差するイスタンブールで同じ宿となり、それ以来のつきあいとなる友人がいる。

この、何とも整理しようのない悲劇について、考えのまとまらないままに書き綴ってその友人に送ったメールを、そのままここに掲載しておこうと思う。今、時間をかけて考えを整理する、出来る自信はとてもない。

あの日は俺の誕生日で、早く帰宅するつもりだったのに遅くなって、10時頃に妻の作ったケーキを3人で食べた。その後シャワーを浴びてテレビをつけると、飛行機が高層ビルに飛び込むシーンが流れていた。一瞬とんでもない事故だと思い、しかし直ぐにテロだと知った。

確かに戦慄した。顔が見えない、しかも自爆を厭わない、知識では判っても、実際には我々の理解を超えている。

テレビでは、今回の大惨事を知って歓喜する、パレスチナの群集の映像も流された。悲しい気分だった。我々が戦慄する、そしていたたまれない気分になる、「普通の生活」をしている人間の生活や命が奪われたことを知って喜びを抑えきれない、これは我々「普通の生活」をしている人間からすれば、明らかに異常な心理状態だ。しかし、彼らは我々が持っているような意味での「普通の生活」をしていない。

彼らは「普通の生活」を奪われ、何百何千という命が繰り返し奪われてきたが、世界は今回の大惨事ほどには彼らの境遇を注視してこなかった。占領地パレスチナを 3週間ほど旅行したのはもう20年近くも前のことだけど、その後、彼らの境遇に何か変化があったか。そして、その前は?
この数ヶ月、数年単位で言えば、むしろ悪くなっているかもしれない。いつもほんの一瞬だけ希望を抱かされ、そして絶望の日々が続く。

しかし一方で、この間に他の大半の世界は大きく変わった。彼らは取り残されている。

旅行して学んだのは、日本では「紛争の地パレスチナ」と一言で括ってしまうかの地にも、悲しみや怒りだけでなく、喜びや笑いがあり、人間の誕生があり、成長があり、人生があり、そして、結局「普通の生活」が、日々の生活があるに違いないという事実だった。それは、考えてみれば当り前のことだ。

しかし、彼らの「普通の生活」は我々の「普通の生活」ではない。うまく言えないが、彼らは尊厳を奪われている。飛び立つ自由を奪われている。直接的にはイスラエルによって、そして世界によって。

それでも、やはりパレスチナの人々の日々の生活の中にだって、喜びや笑いはあるはずだ。

そこで思うことは、では自爆する「彼ら」はどうなのか。彼らの生活にも、アラーの神への絶対的な帰依の他に、家族や恋人、友人などに対する愛情、親密に想う気持ち、それに伴う喜びや悲しみはあったのだろうか。

自爆する「彼ら」のそれまでの人生は、日々の生活は、どのくらいパレスチナ人一般と違っていて、何が同じだったのか。

わからない。

生きていることに意味を絶対的に見出せない世界観を、持たざるを得ないということなのか。

自爆する「彼ら」の人生や日々の生活は、我々のそれとどのくらいかけ離れていたのか。

何か比較することに意味があるのかさえ見当がつかないが、自爆する「彼ら」の人生や日々の生活は、では例えば、戦前の日本の特攻隊に志願した一部の若者と何が同じで、何が違うのか。いや、そもそも共通点など何もないのか。

わからない。

アメリカの中東政策は明らかに誤っていると思う。イスラエルのパレスチナ占領政策も、入植政策も誤っている。アメリカはあまりにイスラエル寄りに、ことを進めてきた。イスラエルを自制させることが出来る外部の力は、アメリカにしかない。しかしアメリカは何もしなかった。

それにしても、と想う。
ハイジャックされた旅客機から携帯電話で母親に I Love You と伝えたもの、
テロリストと格闘した乗客、
冷静な判断でテロリストの座席番号を連絡してきたスチュワーデス、
崩壊する前の世界貿易センター・ビルから夫に携帯で電話連絡し、悲痛な声で「ビルから出られない」と伝えたうえで、やはり I Love You と声を振り絞った妻、
救助に駆けつけてビルの崩壊に巻き込まれた多くの消防隊員、
・・・・・・
みんな死んでしまった。
彼らに殺される理由があったはずがない。少なくとも、テロリストでない我々からすれば。

アメリカは報復する。多くの国々が協調する。一部は共同行動する。
日本は集団的自衛権を憲法が認めないとして、しかし、何らかの後方支援はするだろう。

ところで、集団的自衛権の行使に対して後方支援することは、イコール集団的自衛権の行使でないのか。そうでないとすると、それは単なる言葉の遊びでしかない。目的が明らかに同じなのに、後方支援は別の行動形態です、だなんてブラック・ユーモアにしか聞こえない。

かと言って、パキスタンやアフガニスタンに対する外交努力もしないし、その能力もない。何もしないし、出来ない。何かする術がない。お金は出せる。

おそらく日本はまた世界から軽蔑されるだろう。
軽蔑されるのは「意気地無し」だから、ではない。特定の意思が感じられないからだ。悪意も善意も希薄だ。

欧米で、アジアで、アフリカで、世界の多くの国々で、今回の悲劇に対する公式の意思表示が行なわれた。犠牲者に対する公式の黙祷や追悼が、また国によっては追悼式典が、テロに対する抗議集会が行なわれた。

確かにこれまで、アジアや中東、アフリカの悲劇は軽視されてきた。世界は明らかに不公平だ。

しかし、やはりそれにしても、だ。日本はあまりに、感情がない。社会として、体温を感じられない。公式な哀悼もない。自然な集まりもない。原因なのか、結果なのか、そのどちらでもないのか、日本は蚊帳の外だ。いいことなのか、悪いことなのか、そのどちらでもないのか、そして、これからもそうなのか、そうい続けられるのか。

わからない。

テロは過激な思想の爆発であると共に、絶望の淵に追い込まれたものの、他者を何も思いやることのない、出来ない最終手段であるのかもしれない。

テロが許されない行為であることは、我々には間違いなく言えるが、しかし、一般にテロという行為と、いわゆる無差別テロは、さらに区別すべきなのかもしれない。

無差別テロはこれ以上ない、救いようの無い絶望的な行為だ。何も解決しない。憎しみの連鎖を生むだけだ。

それに対する報復も、何も解決しない。憎しみの連鎖を生むだけだ。

結局、どこかで抑圧されているパレスチナ人の解放が、救いが無ければ、憎しみの連鎖はいつまでも続くのではないか。

自爆テロは、宗教的な、一種の興奮状態による行為なのかもしれない。確かに、背後にはイスラム原理主義の勢力があるのだろう。

しかし、原因は宗教そのものだろうか。

それは違うと思う。本当の原因は政治であり、経済でもある。少なくとも、そうだったはずだ。
宗教の信条、思想そのものが、最初から対立しているわけではない。

これから何かが解決に向かうのだろうか。

向かうとしても、おそろしく、まさしく恐ろしく、時間がかかるに違いない。

http://dailyrock.konjiki.jp/nikki.html#tero

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