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「居場所」とはなにか?居場所があるのかと問うてはいけない?「居場所の未来」イベントレポ

「居場所の未来」というイベントに行ってきました。
登壇者は、「居るのはつらいよ」の著者であり臨床心理士の東畑開人さん、佐渡島庸平さん家入一真さん櫻本真理さんモリジュンヤさん工藤瑞穂さんという豪華メンバー。

前々からすごく楽しみにしていたイベントで、内容も想像していたよりさらに面白かったので、書き切れていない部分は多々ありますが、メモした分を是非シェアさせてください!


居場所という概念が生まれたのは80年代

東畑:物理的ではなく、心理的な「居場所」の概念が生まれたのは80年代です。時代的背景としては不登校が生まれた頃から。

佐渡島:「傷つく」という言葉が使われるが、昔の人はそんな風に傷ついていたのかな?
僕は島崎藤村の「破壊」が大好きで。自分がエタヒニンであることを隠して社会的に成功し、ここは「居場所」じゃないのではないか?という思いが描かれているよね。

東畑:「ここにいるということ」を自分で思っていないと、感じない疑問なので、近代的な発想なのではないかと思います。「選択をしてここで生きる」ということから島崎藤村の話も生まれたのではないですかね。

家入:話は変わってしまうんだけど、マズローの欲求は的確だと思うのだけど、説得力のあるものなのかな?あれによって承認欲求のおばけになってしまう面もあると思って、に少し疑問を感じて。

東畑:心理学は実態がないんですね。心には実態がないから。全て物語であり、みんなが正しいと思えばそれが正しい。マズローは心理学の中で多くの人が正しいと思っているもので、一定の説得力はあるものと認識しています。

佐渡島:その物語が一番しっくりするだけであり、正しいかどうかではない気がする。
栄養ドリンクのリゲインは「24時間戦えますか?」と言っていた。その時は24時間戦えることがかっこいいという価値観だったってことだよね。

家入:価値観は短いスパンで変わりますよね。

佐渡島:僕は栄養ドリンクのキャッチコピーは「時代の欲望」とセットだと思っているからよくチェックしている。

東畑:今は世の中全体が鬱っぽくなっていますよね。鬱時代なのでは?と感じます。

櫻本:私自身もそうなんですけど、証券会社から、ヨガやNPOなど、全く別のジャンルにいく人が多くて。今まで、働くことでの成長神話を感じていた人が、リーマンショックでそうではないと感じたからではないでしょうか。

「仕事が居場所である」のその先は?

佐渡島:AIが進んで、今はほとんどの職業が「それやる意味あるんだっけ?」と問われるようになった。自分が今までやっていたことがバカにされていたような気がしているからこんなに「居場所」が謳われるのではないかな?

東畑:仕事が居場所であるということがこの後どうなっていくんでしょうか?

家入:「親鸞とインターネット」という本を出す予定でイベントをやって。一緒に登壇したのが僧侶の松本さんという方だったんですけど、その方が言っていたのが、「掃除には役割が生まれるから、掃除はいいんですよ」と。掃除自体がうまくいこうといかずとも、全ての人に役割が与えられるから。居場所だけではダメで。オンラインサロンも話を聞きに集まるだけではなく、役割があるから価値があるのではないかな?と感じます。

櫻本:家が居場所と仕事が居場所は違いますよね。弱みをさらけ出し、そのままでいられることが居場所感を感じる。家庭と仕事の居場所はどう変わっていくんでしょうか?

東畑:役割があるから居場所という考えは、役に立っているからいられる、という考えがベース。「居るのはつらいよ」は、本当にただいるだけを書いた話で。役に立っているからいられる、という考え方が「自分はいなくてもいいのでは?」という思想の元なのではないですかね?

佐渡島:それは本能的なものなのか、社会的なものなのか、どっちなのかな?

東畑:チンパンジーから考えるといいと思っていて。僕はある時期チンパンジーを研究していて。チンパンジーも鬱になるんですよ。自傷行為をしたり。チンパンジー社会でハブられた時に鬱になる。どういう個体がなるかというと、餌を食べる時に空気読めないやつ。これは「役に立っている」ではないが、群で生きているからではと思います。鬱になったチンパンジーがどうやって回復するか?なんですが、一番強いチンパンジーのところに行き、指を差し出すんですね。そして指を噛みちぎられないかどうかで噛みちぎられなかったら認められたということだと認識し、回復していく。

家入:それ面白いですね。その空気読めないチンパンジーじゃないけど、今の社会はバグがどんどん排除されている気がして。バグみたいな人間が減っているのでは?と感じるんだけど、どうなんでしょう?

東畑:作家の人たちはある意味でバグコミュニティではと思うんですが、どうですか?

成熟とは相手を敵と思わないこと

佐渡島:言語でのコミュニケーションをうまく取れずに、漫画を描きたいという人は多いです。アドラー心理学で、「社会が敵ではない」という考えがある。成熟とは相手を敵と思わないこと。コミュニケーションを取れれば社会が敵ではないと思うことが重要だとアドラーは説いているんですね。

東畑:社会は敵、という感覚は時代的にどんどん強くなっていってる気がしています。

家入:見た目は普通だけど、崖っぷちを歩いているという人が多いとリバ邸をやっていて気づいて。見た目がボロボロで、とかじゃなくて、普通だからこそ社会からそう気づかれづらくて崖っぷちになってしまうところもあるよね。

佐渡島:僕自身は親密性にトラブルをあまり抱えたことがなくて。サラリーマン時代は今ほど深く周りの人の話を聞いたりそこまでしなかったから、「親密」な人がいるということが、普通だったんですけど、経営者になって親密性の問題を抱えている人が多いと気づきました。

東畑:居場所と親密性は段階が違う気がします。居場所は場所に依存するが、親密性は他者に依存する。他者だとその一人に頼ってしまうからリスクが大きい。場のほうがリスクヘッジできますよね。サザエさんは居場所と親密性の問題が一致していたけど、現代は「フネのことを慮る人がいないのでは?」などの意見も出ますよね。問題が難しくなっているように思えます。

櫻本:今は、「家族でも自由になっていい」という考え方になってきていますもんね。

佐渡島:僕自身は転校を繰り返してきたんですね。その度に、「ここは仮の居場所だ」と思ってきました。当時は心理的にとてつもなく遠い場所だと感じたその思いがどこかずっとあって。でも、日本に戻ってきた後にも、「ここは居場所ではない」と感じた。身体と心が繋がっていないという思いが拭えなくて。飛行機に乗ると不安を感じたため、高校三年生の時に神戸から東京に出てくるのに、自転車で移動した。その時に一度儀式的に身体的にも移動することが必要だと感じて。

東畑:儀式が必要だったって面白いですね。佐渡島さんは当時物理的にも心理的にも遠かったと。自助グループってアルコール依存症治療から始まっているんですね。これが始まった理由は、精神科医が歯が立たなかったからで。精神科医が何か言うよりも、自助グループを作ったほうが、アルコール依存症が治る割合が大きかったんですね。同じような状況の人とのほうが分かり合えるというか。そういう人がいる場が居場所を感じるのかもしれませんね。

「評価経済」、「個の時代」がもたらすもの

(ここからモリジュンヤさんと工藤瑞穂さんも登壇)

家入:昨今他者からの「信頼」とか「評価」が大事って言われますけど、僕は最近評価経済がいいものなのか、個の時代がいいものなのかが分からなくなってきていて。

佐渡島:個の時代、という言葉に自己責任論がセットになっているからかな?

東畑:起業家のような、「個の世界」を生きている人たちはどこに居場所を感じているんでしょうか?

工藤:私は小さい時から、どこにいても「ここは私の居場所じゃない」と感じてきました。その思いをバネに、自分でつくったものにしか居場所を感じられなかったから自分でつくったという感じです。

佐渡島:僕は「居場所を知る」というか、「居場所」に対して意識しなくなっていった。発達障害の本で、自分がお腹が空いていることに気がつかなくて、感情を爆発させてしまうから、時間でご飯を食べるように促すと読んで。僕も今自分がお腹を空いていても、どのくらいのレベルで空いているのかは説明できない。その人たちと自分との差はないなと感じたというか。
僕自身も他責にしていた時には、居場所に不安を感じていたが、自己理解が深まっていくにつれ、自責感が増し、居場所への不安を感じなくなった。感情とは本当にいい加減なものだなとも思います。

東畑:佐渡島さんは強いですね。他責にしてしまうのも人の本能としてある気がして、それを外に求めず自分に求めるのはマッチョ型。(笑)

家入:僕なんかは居心地のよさが居心地悪くなってきてしまうんですけど、そのことを説明して欲しいです。

東畑:居場所は長持ちしないんですよね。「いる対象」だったのが、「排除される対象」になりうるからかもしれませんね。

家入:「求めて」いたのが、「守る」に入っちゃいますもんね。

東畑:家入さんは真摯な居場所探求者ですね。(笑)

家入:僕はリバ邸というのをやっているんですけど、自分が住んだら守ることになってしまうから、一度も住んではなくて。

「居場所の未来」とは?幻想の自由の中で自由を生きる世界に?

司会のかわんじ:(時計を見ながら)ということで、「居場所の未来」について語って下さい。

佐渡島:居場所は変化することが当たり前。変わらないことが当たり前なマインドセットだと、居場所が辛くならないのではないかな?

東畑:「安心な居場所」と「自由だからいい居場所」と、二種類ある気がします。そこを分けて考えたほうがいい気がします。

佐渡島:オンラインサロンは出入り自由だよね。辞めたかったらいつでも辞められる。でも、残っていたらもっと居場所感を感じられたのかもしれないのに、それを感じる前に辞めてしまう人も多い気がして。多くの人にとって、自由に選択でき過ぎてしまうのは自己責任論が重過ぎるのではないかな?

東畑:「未来」はより自由が強まっていくと思います。

佐渡島:AIにより「幻想の自由」の中で自由を生きていくのではないかと思う。マトリックスみたいに。
先日ヨーロッパに行ったんだけど、向こうでは、名刺交換するのはガツガツしてカッコ悪いことっていう空気があって。何度か会って、自然と仲良くなって、ビジネスの話になっていくのでは?という空気感。それが僕には居心地悪く感じたんだけど、「居場所」の感覚って場所によって全然違うなと思う。

家入:近い将来、人間性の一切の否定を始める人が出てくるのではないかと思っていて。科学の発達を否定するアーミッシュという思想もあるくらいで。考えは本当に多様化していて、僕なんかは、居場所を語っていることが余計なお世話感あるのでは?という思いもあって。

モリ:今はまだ居場所のバリエーションが少ないのではないかな?多様な居場所が存在しないか潜在的であるかだけど。

オンラインサロンは宗教的と言われることに感じる疑問。「居場所」に関する語彙の少なさ

家入:よく、「〇〇のオンラインサロンは宗教的だ」とかいう表現を聞くんだけど、安易に宗教というのはうーんと感じるんですよね。

東畑:居場所に関する語彙が少ないのかもしれないですね。佐渡島さんはオンラインサロンを宗教と言われたらどうですか?

佐渡島:昔は「宗教」と言われたら光栄だったんじゃないですかね。カルト宗教で色々起きてからは宗教に対してみんなデリケートになったけど。
僕は人間ってみんな一緒とも言えるし、みんな違うとも言えると思っていて。こないだ8歳の息子にストレングスファインダーをやらせたんですね。息子が自分の資質と全く違うとわかると彼が怒ったりする時に理由をもっと説明しようと思えました。

東畑:8歳の子に強みを…。すごいですね。(笑)

家入:僕は自分の人智を超えたところに理由を置いてくれるのが宗教だと思っていて。理由を説明してくれる存在が人智を超えたところに置いてくれると、救われる人もいますよね。責任をどこかに置いてくれるのが求められているのかもしれないですね。

居場所の定義 「依存」は悪ではない 「無駄」がキーワード?

司会かわんじ:居場所の定義とはなんでしょうか?

東畑:ちょうどそれを本に書いたんですよ!僕は「居場所」とは依存できる場所だと思っていて。「依存できる場」とは一番弱いところを傷つけられないという場だと思います。依存が悪だみたいに言われてますけど、アルコールとかドラッグは別ですけど、一概に依存が悪とは言えないんじゃないかなと僕は思います。

佐渡島:宗教とサロンの違いを考えた時に、宗教は「問い」を止める場所が早いと思う。オンラインサロンも、思考が止める思想があると宗教的だが、思考を止める思想がないと宗教的じゃないのではないかな?

家入:みんな思考を止めたがっているのではないかとも思って。居場所とは何かと問うたらダメな気がする

東畑:友達論もありますよね。居場所と友達。そこを居場所と感じられるかどうかは友達がいるかとセットではないですかね?人は傷つけない人を求めているのでは?「傷つく」とは求めていることと違ったことを提示される状態で。
友達とは無駄な情報を提供できる関係性だと僕は思っていて。「無駄」がキーワードかもしれませんね。

佐渡島:澤野雅樹さんの「不毛論」という本の帯に「役に立つことのみじめさ」と書いてあって。無駄なことに集中できていると居場所があると感じる気がするのかもしれないね。

家入:僕、Amazonで「この本を買った人はこの本を書いません」ができて欲しい。「この本を買った人はこの本を買っています」じゃなくて。

自己肯定感が高いほうがいいという風潮に物申したい

会場からの質問:
自己肯定感をあげるにはどうしたらいいでしょうか?

家入:「ダメである」ということを自分に説得させる。「ダメな人間」は無敵じゃないかな?僕は遅刻魔だったんですけど、遅刻しなくなったらみんなからのリアクションが「あれ?時間通りに来るの?」ってなって(笑)、「ダメな自分」が求められてたんだなとも感じます。。。

櫻本:私は経営者になって、経営者とはこうしていなければ、みたいな思いがあったんですけど、ダメなところをさらけ出したらそれをみんな逆にウェルカムに受け入れてくれて。ダメでも大丈夫だったのに居場所を感じました。

東畑:僕は自己肯定感が高いほうがいいという風潮に物を申したいですね。

佐渡島:自己肯定感にも色々定義があるよね。「自己肯定感が低いからこうなちゃったんです…」が言い訳になっているのはどういう意味だろうと思う。精神科医の水島広子さんが「自己肯定感、持っていますか?」という本の中で、「他人に厳しいと自分にも厳しくなる傾向がある。他人は全部OKと思うと、自分もOKと思えるのではないか」と書いてあって、それは説得力あるなと思いました。

東畑:僕が感じるのは、自己肯定感が低い人はいいやつ多いですよ。自己肯定感という言葉は迷路だから、使うのをやめたほうがいいと思う。

佐渡島:「幸せ」という言葉もそうだよね。

家入:承認欲求が人を不幸にするのではないか?もそうかな?

佐渡島:問うてはいけない問いがあるよね。居場所とは?はいいけど、あるのかな?とは考えないほうがいいのかもしれないね。


対談中に出てきたいた本はこちら↓

「無駄がキーワード」、「問うてはいけない問題がある」とは色んなことに言えるなぁ、と感じました。私的に最高な登壇者メンバーで、本当に面白い対談でした!やさしいかくめいラボのみなさま、こんな素敵な企画をありがとうございますと声を大にして言いたい!!会場も大満員で、是非またこの登壇メンバーでの第二回開催を待ち望みたいです!!

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書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)