見出し画像

創作物とは常になんらかのコミュニケーション。「ここから何か生まれるかも会議#10」

編集者佐渡島庸平さんからの「井川さん、小説書いてみてください」リクエストを受けて、開始後1年を迎えた井川さんの小説創作。その過程をみんなで応援しながら楽しもうという「ここから何か生まれるかも会議」。幹事の辻さん曰く「ここ何」とは「何も正解が無く何も強要が無い場」。
カフェマメヒコのオーナーである井川啓央さん、バラエティプロデューサーの角田陽一郎さん、コルク佐渡島庸平さん、名幹事辻さんによる参加型創作会議です。


**次のページを読ませようという意識

**

角田:今回の「Lemon Bakery」(井川さんが今回のために用意した作品)では終わりが「もう少しつづく」となっていましたよね。あれで終わるのありだなと思いました。

井川:それTVじゃん。(笑)

角田:そう、TV的に。(笑)読んでみて、今回はエンタメっぽくなったなと感じて。今回のように変えた理由ってあるんですか?

井川:そうでしょうね。エンタメっぽくなるようにしているから。『檸檬の棘』(今作品の前のバージョン)から比べたら書き方は全然違う。佐渡島先生に指導されているので。(笑)

僕は新人作家だから、僕の小説を最後まで読もうとしてくれる動機ってほとんどありえないじゃない。次のページも読もうというエンジンが1ページずつに無くちゃいけないなっていう思いがある。

最初に書いていた頃は、小説を書いたことも無いし、やみくもに書いていたとはいえ、お店をやるとか、自分なりの表現の発露が他にもあった。ラジオや舞台をやっていて、喋る機会が他にあるのに、あえて小説を書く必要ってあるのかなとの思いもある。そんな中、もやっとしたもの、自分でも次に何を書くか分からないものを書きたいという思いがあった。だから書き終わってみるとつじつまが合ってなかったり、文体が変わってしまったりがあってもいいと思ってるところもあった。

それが「ここ何」をやっていく中で、読んだ人からいろんな感想をもらって、佐渡島からもアドバイスを受け、下敷きや世界観をきちっと掘り下げた中で、次のページを読ませようというものを意識したように書いたという思い。

角田:頭の中で考えてた時間と書いてた時間の割合はどのくらいですか?

井川:考えていた時間のほうが圧倒的に多くて、8:2くらい。

角田:下ごしらえしてから書くのと、書きながら考えていくのとどっちがやりやすいですか?

井川:これはもう別のものだと思ってやるしかないという気持ちはある。例えば、パンとケーキって似てるんだけど作り方が全然違う。ケーキというのはプログラミング。レシピが1グラムでも違ってはいけないのがケーキで、計量が命。レシピがその人の作りたいものをおよそかたどっている。

対してパンはその日に気分によって変わる。その日の湿度や温度によっても仕上がりが変わるし、常にその場を観察していて、こうきたからこう変わる、というのがあるのがパン。そういう意味で言うと、今回の作品はケーキ的。

煮物と焼き物もそう。煮物は味をみながら作れるけど、焼き物はそうはいかない。焼きあがってみてしょっぱ過ぎたな、だともう遅いし、逆に焼きあがってから味が薄くて足したとしてもそれはまた最初から仕込んだのとはまた違う仕上がりになる。そんな感じで、作品の下ごしらえをやりきってから書くのと書きながら物語を作っていくのとはもう別物だと思って書いてる。

角田:今回のはフローチャートを作ってプログラミングしながら作った感じ?

井川:そう。そんな感じで書いたのが今回の作品だから、今までの作品とは全然違う。

**自分の「こだわり」ばかり書くのと、読者視点を考えてから「こだわり」を出すのでは全然違う

**

佐渡島:僕は前回よりも今回のほうがいいと思っている。前回のでもこれはもう決定稿で、次の作品で違う風に書けばいいかなと思っていたけど、今回の作品がこういう風に出来たなら、これを直せばいいかなと思う。

すごく始めの頃の井川さんの作品は、なんかよく分からない感じだった。でも、その分からないところを読者に考えさせることに意味があるのかなと感じさせる雰囲気があるんだけど。分からないのが狙って分からないのと、井川さんがコントロール出来ていないで分からないのと両方があって。コントロール出来ていないで分からない部分が多かった。

例えば、喫茶店で考えてみると、デザイナーや建築家が入って「論理的にはこうするのが最もいいです」というようにお店を作ろうとした時に「そうなんだけど、僕としてはこうしたい」と感じて修正を加えるところにでる個性に魅力を感じたりするじゃないですか。

小説で考えると、自分のこだわりばっかりで書いているのと、お客さんのことを思って書いて最後に自分のこだわりを出すのではすごく意味が違う
そのこだわりが今回の井川さんの作品ではいい具合に足されて、小説の質としては上がったなと感じた。けど、それを足した時に井川さんの小説の技術がまだ不完全だから、非論理的なものを足してそのまま一つ分かりにくくなってしまっている。から、前回よりも悪いなと感じる人もいるかもしれないけれど、ところどころの文章のすごさは前よりも増している。「パン生地は短時間に〜」の文章の入れ方など、すごくいい。

物語の多重さは増しているが、どういうことを伝えようと思って入れたのかがまだ分かりにくい部分がある。多重的に描く時に、カメラワーク・シーンが変わりました、ということを読者に与えてあげることをもう少し意識するとさらにいいかも。

井川:それはそうだと思う。今日の作品はまだ途中。直す時に直すことと、迷いながら最後までたどり着くことは違って。精度を高くして直して、を最初から持ってきてしまうと後半にいく時にどうしていいものかとなってしまって、書くモチベーションが落ちてしまうところもあるから、最後まで書いてから直す、という形にしたい。

佐渡島:最後まで書ききってから直す、でいいと思う。いい作家とは「どう読み返すか」なんですよね。自分の作品を読み返した時に、「読者はこれだと読みにくいかな」などの視点を持って読み返せるのがいい作家。

井川:書き終えた時に「これいらなかったな」と思ったら登場人物ごとスパッと切ってしまうかもしれないけど、ケーキのようにプログラミング的にプロット書いて、その通り作るには罪悪感がある。整理して書くだけにするのは抵抗感があるんだよね。

角田:漫画は連載で、書ききってから直していないじゃないですか。書き切ったことで作品の完成度が高まることもあればその逆もありますよね。そのへんはどうなんですか?

佐渡島:ベテランの作家は登場人物を伏線として入れておきながら、使われなかった時に読者が「このキャラほとんど使われなかったな」という違和感が残らないようにするのがうまい。登場人物を出す時の強弱バランスがうまいんですよね。

井川さんの今までは、プロットを書く中でキャラクターが立ちきれていないけどカメラワークがうまかった。けど、今回のはキャラクターは立ちきっているけど、登場人物のみんなにスポットライトが当たってしまっていて、カメラワークがうまくいかなかったという感じ。

角田:連ドラは色んなキャラにスポットライトを当てて作っていきますよね。

井川:TVは予算配分が決まってるけど小説は決まってないじゃない。だから、難しいというか、コントロール技術が必要なんだね。

**創作物とは常になんらかのコミュニケーション

**

佐渡島:主軸がブレるとテーマが分からなくなってしまう。なんらかの創作物は常になんらかのコミュニケーション。井川さんがこの作品を書き上げた時に、「朋美」というキャラクターでどういうコミュニケーションがしたいのか。

小説とはドーナツに例えるとドーナツの外側のようなもので。ドーナツの外側に関しては言語化出来ない感情なんですよ。ドーナツの中心ってパキッとしてるじゃないですか。中心がパキッとしてることを伝えられるんだったら、それはビジネス本。だからビジネス本と小説は描く対象が全然違う。小説は中心がうまく伝えられないモヤっとしたもの。

井川さんに技術がないんじゃなくて、通して書けば前回のように書けると思います。ドーナツの外側の輪郭はうまく書けるようになっているので、内側の輪郭をどれくらいビシッと決められるかですね。

今後はテーマ決めと、誰に届けたいのか。本を読んだ時に、「この本は読みたがる人がいるな」と、感情面で勧められるかが小説を勧める基準としてあるなと思ってて。例えば、受験でうじうじしている時には「車輪の下」を読んでみたら?みたく、小説は感情で分けられる。どんな心情にいる若い女性に勧めるのがいいのかが明確じゃない部分があったから、誰に伝えると、その人の感情が動くのかを意識してみてください。

**キャラ主義を徹底する。キャラを殺さずにどう展開していくか

**

角田:今回の作品ではストーリーの進め方についてもプログラミング的にやったんですか?

井川:作為的に「こう書いたらあと10ページ稼げるな」とかはない。それぞれの登場人物が持っている傷みたいなものについては考えてから書いているけど。

角田:初期設定みたいなもの?

井川:うん、初期設定・バックグラウンドは考えている。バックグラウンドはきちんと考えるけど、合わさったらどうかまでは考えてない。

今回の作品の中で登場人物の宮下が「一緒に住むか?」と朋美に聞いたんだけど、聞かれて「住まないよ」となると話しがなかなか進まないじゃない。だから「住みます」という流れにはしちゃって、そこからディテールを描いたという感じ。

佐渡島:そこは話しが進まないかの観点ではなくて、徹底してキャラ優先。絶対断りそうな朋美を、宮下にどう説得させるかって考えて創ると、本当にいいものが生まれてくると思う。恋愛もので考えると、絶対に付き合わないだろう二人が、キャラをぶらさずに付き合うから面白くなるみたいに。

角田:キャラをぶらさせずにどう付き合わせるかかぁ。今の話を聞いて、バラエティとドラマの違いみたいな感じですね。ドラマは雨を降らしたらこの二人が付き合えるけど、バラエティにはそれが出来ないから、ドラマはいいなぁと思ってました。

佐渡島:でもドラマでも、それをやりすぎるとキャラを殺してしまって面白くなくなる。キャラを殺さずに、「このキャラが〇〇した姿を見せるぞ」とぶれないのを徹底しているのが「電波少年」。

角田:そう考えると、フィクションを作るのもノンフィクションを作るのも作業は一緒なんだ。

佐渡島:一緒です。ノンフィクションのドキュメンタリーでまずいのが、結論ありきで人物の情報を都合よく削除してしまって面白くなくなってしまうことですよね。

**物語とは0.1%だけの世界を描いて何かを伝えるもの

**

角田:リアリティの追求に関してはどうするのがいいんですかね?

佐渡島:最後まで書ききった時に、リアリティをどのくらい追求したらいいのかは、例えば、「こんなことを書いてしまったらマスコミが騒ぐんじゃないか」などを気にするほうが主題にとっていい場合はそうしたことを入れたほうがいいんですけど、何を伝えたいか次第。

物語は99.9%の部分は描いていない。小説でも登場人物の一生を描こうとしても描き切れるわけはなく、描いている部分は0.1%に過ぎない。0.1%だけの世界を描いて何かを伝えるわけじゃないですか。その時に書いていない場所のどこかを気にさせてしまうのは、つまむ場所の微調整がちょっと悪いのかもしれない。これだけ圧縮してるのに、「その人全体だ」と思わせるのが技術だから。

軸が弱いと描いていない部分を読者に感じさせてしまうけど、一本軸が通れば読者は読んでいて気にならなくなる。99.9%は描いていないんだってことが分かってくると、今度は無いもの(不在)についても描けるようになる。無いものを描きながら全体について描けるようになると技術は上がっているなという感じになってくる。

井川:理屈としては腑に落ちるんだけど、小説を書くのにはとにかく時間がかかる。小説を書くことだけを専門としてやってるわけじゃないから、なかなかそこまで時間を割けないのが現状だね。

**うまく書くために必要な「型」

**

佐渡島:僕、それをクリアする技術を最近見つけたんですよ。新人強制ギブス。

井川:一年以上も小説書こうって言われてやってるんだから、それを最初から言ってよ!(笑)

佐渡島:分かってたら言ってたんだけど(笑)、僕も最近になって分かったことで。何かをうまくなりたかったらまず人は何をすると思います?

音楽で考えてもらうと分かりやすいんだけど、音楽うまくなりたい人ってまずコピバンするじゃないですか。音楽を何も聞かずにいきなりオリジナルを作り出す人はいない。うまくなるための近道は徹底的にコピーをしてみることなんですよね。うまく描くためには型は完全に覚えなくてはいけない。

でもなぜか漫画や小説でそれをする人はいなくて。漫画で絵だけを真似て描く人はいるんだけど、そうじゃなくてコマ割りから構図からセリフの位置からを完璧にコピーして描く人はいない。でも、それをやってみると、正しい形で無理やり素振りさせられているみたいな形で、強弱の感覚が身につく

井川:写経するってこと?

佐渡島:もちろんストーリーや登場人物の設定などは違うんだけど、小説で言うと、風景描写やセリフのバランスなどを、井川さんがいい作品だと思う作家の作品を一度完璧に真似て一本作ってみるってこと。

音楽や料理だと、自分が好きな作品を真似てみるってすることが多いから、そうすると何がすごい作品だって分かるんだけど、なぜか言葉だけは全員使っているのに真似てみる人は少ないんですよね。編集者は作家から小説や漫画をもらうと、1行1行チェックしてみるんだけど、それをしてみると、作品の中に出てくる文章やセリフを「そこあるのが必然」というレベルまで落とせてすごく勉強になると思う。

井川:いい作品に仕上げるよう頑張るよ。ただまだ書き上げていない時にその都度一喜一憂しないようにしないとは思っている。一喜一憂すると書き終える前にへこたれちゃうからね。

佐渡島:書く上で大事なことですね。短編4本くらい書き上げて一冊の単行本にまとめたいですね。

私が井川さんの作品を読んで思うのが、毎回どのバージョンにも「あぁ、高校生とか大学生の頃の私が井川さんの小説に出会っていたら、救われた気持ちになっただろうなぁ…」ということです。井川さんの作品には、「無情な世の中だけれど、そこにある一筋の希望」みたいなものが感じられるところがあって、私はいつも「やっぱり好きだなぁ、井川さんの作品」と感じます。
過去の「ここ何会議」で佐渡島さんは、井川さんに小説を書いて欲しいと思った理由は「井川さんにはカフェマメヒコという成功体験があるから」と言っていました。カフェマメヒコは徹底して余計なものが省かれていて、置いているものもメニューもスタッフさんも、どれ一つ余分なものはない。徹底してこだわり抜かれていて、その「こだわり」が息苦しいものではなくお客さんにとって「ここでしか味わえない魅力」になっていると。

私は「ここ何会議」を通じてカフェマメヒコを知ったんですが、他のお店では味わえない空気感に満ちているお店です。珈琲が美味しいのはもちろんのこと、なんだか温かく心地いい。1年前まで知らなかったのに、どこか郷愁感があるというか。なんだろうか、この心地よさは?と考えてしまうようなお店なのです。それはただ「なんとなく」そうなのではなくて、井川さん、スタッフの皆さんが一丸となって作り出しているもので、他の店には代え難い何かがあるのです。

私の技術ではうまく言い表せないんだけれど、その何かがマメヒコにだけではなく、井川さんの小説にはあるから、「これからもどのバージョンも読みたいな、井川さんの小説が」と思って止まないのです。

この記事が参加している募集

イベントレポ

書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)