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「遊び」を楽しむ方法を学んでいく過程

末っ子が幼稚園に入園して2ヶ月が経とうとしている。先日、長男(同じ園の年長)の参観行事があり、園に行く機会があったので末っ子に気づかれないようにそっと末っ子の様子を観察してみた。すると、あっちへほいほい、こっちへほいほいといった感じで入園前から仲の良い女の子のお友達と一緒に二人で園庭のあちらこちらをふらふらしながら楽しんでいた様子だった。

長女の頃からお世話になっているこの幼稚園では、「自由遊び」が推奨されていて、水OK泥OK、園の端のほうにある裏山OKと、かなり自由度高く遊ばせてくれる。入園前は保育施設に通っていた末っ子だけれど、保育施設には園庭がなかったため、外に出られるのはお散歩の時間で、お散歩は公園にたどり着くまでや公園にたどり着いてからも時間的にも物理的にも幼稚園ほどの自由度はあまり無かったんだと思う。(その保育施設も、ものすごくいい先生方に恵まれて、利用出来たことをとても感謝している)私が公園に付き添って遊ぶ時も、親の都合で申し訳ないけれど、幼稚園で許されているほどの自由度は確保出来ていないように思う。

それが、幼稚園に入った途端に午前中2時間程「さぁ、この園内ではどのように遊んでもいいですよ」といきなり自由を与えられる。2時間を外もあり中もあり、制約事項なしでめいっぱい遊ぶのは簡単なようで簡単なことではないのだ。一人で遊んでもいいし、友達と遊んでもいい。砂場で泥んこになってもいいし、山を作っても穴を掘ってもいい。(学年が進むと驚くような立派な落とし穴を作ったりしている)虫を観察したり捕まえたりしてもいいしブランコをしてもいいし、滑り台をしてもいいし、道具なしでごっこ遊びをしてもいい。(長男は友達とよく「山観察」や「警察ごっこ」をしているよう)

「遊び」の選択肢が無数にある中、先生方は困った時には助けてくれるけれど、特に何を強要するわけではないので、自分で「何をするか」を決めて選び行動に移していく。これを体現するにはテクニックと経験がいるんだと思う。例えば私が本も携帯も無しで「さぁ、今から2時間ここで自由に過ごしてください」と言われたら、子ども以上に「えっ、何しよっかなぁ…」となると思う。(子どもに与えられている同じシチュエーション私が与えられたら、を想像してみると、多分数回滑り台を滑った後、砂場で大きめな山とその周りに掘を作って、納得いくまで作れたらあとは日向ぼっこでもするんだろうなぁと思うw)

乳幼児発達心理学の中での「遊び」の定義とは

遊びとは自発的になされる活動で、その活動をすることに楽しいという快の感情が伴うもの

子どもの遊びの特徴
1、自由で自発的になされる活動
2、おもしろさ、楽しさ、喜びを追求する活動
3、活動自体が目的である活動
4、遊び手が積極的にかかわる活動
5、現実世界から切り離された活動
6、活動を通して心身の発達がはかられる活動

だそうだ。「自由で自発的」に「おもしろさ・楽しさ・喜び」を追求し、「積極的」に没頭する。これは規律や社会を知ってしまった大人よりも子どものほうが得意な行為かもしれない。いつまでも遊び心のある大人でいたいと思いつつも、親は日常のオペレーションを締めなくてはいけないから、ついそちらに気を取られてしまいがちだ。


↑ここまでは2週間前に書いていたもの。これを書いていた途中で末っ子は家で怪我をして途中になってしまっていた…

怪我もよくなり、あれから2週間経った末子の園での様子をまた見る機会があったので追記。

「遊び」が大胆になってきている…(笑)。今までは友達と常に一緒に行動していたのが(入園直後には一人よりも「誰かと一緒」のほうが彼は安心度が大きかったのだろう)一人で遊べるようになっている。

さらにスモックも何も脱ぎ捨てて水遊びに夢中になっている様が伝わってきた。これはまさに「自由で自発的」に「おもしろさ・楽しさ・喜び」を追求し、「積極的」に没頭し、活動を通して心身の発達がはかられる活動をしていると言えるだろう。

別にそれが出来なくとも「まだ機じゃないんだなぁ」というだけでなんとも思わないんだけれど、それはもう活き活きと園生活を楽しむ我が子の逞しさは私に元気をくれ、「私も自分の人生を楽しみ、めいっぱい遊ぼう!」と燃えさせてくれる。

最後までお読み頂きありがとうございました(^^)

↓は「遊び」を楽しめなくても人は何かをクリエイト出来るというとても興味深く面白いnote。コルクラボのキャプテン佐渡島さんは「遊び」を追求している。このnoteは2年前に書かれているけど、これを書いた時から変化した思いはあるのか、今度機会があったら聞いて見たいと思う!


書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)