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そんな時代もあったねと

ヘッダーのイラストを見て、何々?と興味を持ってくださった方。これは私の話ではないことをあらかじめお断りしておきます。

先月、年始に帰省していた時次男が、父の本棚に置いてあった写真立てを見て言った。
「誰これ?」
彼は、同じ時帰省していた私の弟(つまり次男のおじさん)だと思ったらしい。
それにしても髪型が違うし、何か全体的に古くて、いわゆるセピア色。それにサングラスなんかかけちゃっている。
「‥じーじ?」
正解!それは父の写真だった。
半世紀ほど前のだけど。

正確には46年前、か。
父はアメリカにいた。
自由の国アメリカに憧れ、英語を学び、ロサンゼルスに渡った。ロスではラーメン屋さんで働いていたらしい。
当時はそこそこの人気のあるラーメン屋で、有名人やミュージシャンも食べに来ていたのに、関心のなかった父はその人たちの名前を全く覚えていないそうだ。何とか聞き出すことができたのは、チックコリアと、布施明。
そして、母と出会った。



母は別にアメリカに移住したかった訳でも、留学していた訳でもない、ただの観光である。
本人曰く、英語はろくに話せなかった。勉強は得意なのに英語がからきしで、高三の時担任に呆れられたが「いいんですどうせ使わないから!」なんて豪語していたらしい。その10年後、母はアメリカで結婚して私を産むことになる。
人生って分からないわーと笑っていたが、我が親ながらその度胸にびっくりだ。同窓会に行ったら先生も笑ってたらしい。そりゃ笑うわ。よく思い切ったと思う。おじいちゃんおばあちゃんもよく許してくれたね。


流石に、出会ってからその場で即結婚‥とはならず、しばらく遠距離恋愛が続いたそうだ。なので、母が言うには、結構な量のラブレターが、どこかにしまってあるらしい。
らしい。少なくとも私は見たことがない。

それにしても‥いくら自分の友人が相手の友人と友人同士でも(分かんにくいな)、初めて行った海外旅行先で出会った人と恋に落ちて、その人と結婚する?!そんな話、身近に聞くことはなかなかない。


と思ったら、もう一組いた。

夫の両親である。


厳密に言うと、義母は元々日本に住んでいた訳ではなかった。義父が旅行先で、働いていた?もしくは紹介された義母を見そめて、ぜひとも‥と求婚したらしい。夫もそのことについてあまり聞いたことはないようだし、私も聞いたのは一度だけなので詳しくは分からないのだが(義父はシャイな人なので自分から教えることはおそらなくないだろう)、そこから結婚に至るまでに、たくさんの手紙をもらい、今でもどこかにしまってあるはずだ‥と義母が教えてくれたのは、私たちの結婚式の後だったか、長男が生まれた時だったか。

滅多に顔を合わせる機会のない両家の父母が集まっていた時、多少緊張気味だった雰囲気がその話で盛り上がり(?)、二人の母が「実はうちに」「あら、うちにも」とキャピキャピしていたことを思い出す。

そんなことある?


ちなみに、その息子と娘は職場結婚です。


4月には私たち夫婦の結婚記念日がある。挙式は夏休みの暑い最中に上げたが、入籍は年度替わりの春にした。
その1日前が、私の父母の結婚記念日だ。
今年で45年になる、はずだ。父が退職したので最近は24時間家に一緒にいて、母は何だかんだと愚痴を言ったりもしているが、元は45年前のそんなドラマティックな出会いから始まった二人である。私はつい自分の結婚記念日を忘れそうになるのだが、自分の親の結婚記念日は頭に浮かぶのでその次の日が自分たち、という覚え方をしている。


父母の結婚した日は、13日の金曜日、おまけに仏滅だ。
これからも長く、お幸せに。



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