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細胞偶 : 妄想ショートショート044

細胞偶(さいぼうぐ) 人間と機械の間(はざま)


「私たちはまだ人間なのだろうか?」
2080年、人間とサイボーグの区別はもはや視覚だけでは不可能になっていた。科学者マイは、この境界線を探求する日々を送っていた。彼女自身、事故で多くの部分を「細胞偶」によりサイボーグ化しており、外見上は全く変わらないが、体内にはデジタルで設計されたリズムが流れていた。

このリズムは、機械の精密さと生体の自然な動きを完璧に融合させていた。マイは自分の心拍や呼吸が、かつてのものとは微妙に異なるリズムを刻んでいることに気づく。これらは全てデジタルで設計されているにも関わらず、彼女の身体はそれを完全に受け入れ、新しい生命のリズムが「細胞偶」一つひとつの中で機能し調和していた。

「細胞偶」の概念は今から遡ること半世紀前、2030年代に最初にナノテクノロジーと生物工学の交差点で生まれた。初期の段階では、研究者たちは単に病気に強い細胞を作ることに焦点を当てていた。しかし、この技術はすぐに人間の身体を再生・強化する方向へと進化した。最初の大きなブレークスルーは、人間の細胞とシームレスに統合できる人工細胞の開発だった。

この時点で、「細胞偶」は単なる医療技術ではなくなり、人間の能力を拡張するための道具としての可能性を秘めていた。例えば、肉体労働者はより強靭な筋肉細胞を、深海の探検家は高圧環境に耐えられる皮膚細胞を得ることが可能になった。

マイの時代になると、「細胞偶」はさらに進化し、細胞一つ一つが独自の小さなコンピュータとして機能するようになっていた。これらの細胞は、身体の健康状態を常に監視し、必要に応じて自己修復や調整を行うことができた。さらに、これらの細胞は個々の生体リズムに合わせてプログラムされており、人工的な起源にもかかわらず、完全に自然な身体の一部として機能する。

マイは、この技術がいかに私たちの生活を変え、そして私たちの身体にどのように統合されていくかを考える。彼女は、「細胞偶」の進化がもたらす、身体的な変化だけでなく、倫理的、社会的な問題にも目を向ける。

マイの研究は「細胞偶」化された他の人々と対話することから始まる。彼女は彼らが依然として人間らしい感情や思考を保持していることに気づく。彼女自身の体内に流れるリズムは明らかに人工的であり、デジタルによって設計されているが、それは彼女の元の身体と完全に調和していた。彼女は、この技術が個々の生体リズムに合わせてプログラムされており、自然な身体の一部として機能していることを発見する。

マイと彼女が出会う人々は、人間性について異なる答えを持っており、彼女は最終的に、人間性とは肉体の構成ではなく、思考や感情、経験に根ざしているという結論にたどり着く。彼女は、自身の「細胞偶」化された身体を受け入れ、この新たな身体で生きることの意味を見出す。
しかし、人間と機械の融合がもたらす身体的、精神的な変化を深く探求する旅は始まったばかりである。

「私たちはまだ人間なのだろうか?」

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あとがきメモ


“Syn : 身体感覚の新たな地平” by Rhizomatiks × ELEVENPLAYを観てきました。

あの世とこの世と、その間(あわい)。
テクノロジーが進化した今、新しい能なのではないかと思いました。恐らくストーリーもあったのだと思いますが、その捉え方は体験する者、一人ひとりに委ねられる。
その表現は圧倒的に新しい。
パフォーマンスを演じる演者と観客の境も曖昧、ステージと客席という分け方も無い。
物質とデジタル、2Dと3D。時間の進む方向、空間を区切るもの。リアル世界にも平面的なものもあるし、非物質的で触れないものもある。
生成AI時代になると、データ記録は変化し得るデータ記憶となり、再生は生成になった。
大量に作られる人工物が、全て違った個性を持つ。

色々と感じることがあり刺激されました。
ショートショートのテーマもその流れで思いついたもの。

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