畠田大詩

1988年京都市生まれ。東京にて写真雑誌編集、イベント企画運営に携わり、現在は北海道東…

畠田大詩

1988年京都市生まれ。東京にて写真雑誌編集、イベント企画運営に携わり、現在は北海道東川町在住。「写真の町」東川町の地域活性化企業人。東川町公式note中の人。ほぼ日の塾1期生。PLANETS SCHOOL。

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「いい写真」の在るところ

仕事柄、「カメラが欲しいんだけど、何を選べばいい?」とか、「写真の撮り方を教えて」といった声をかけられることが多い。僕は写真家ではないのだけれど、写真雑誌の編集をしたり、写真教室の運営、写真展の企画など、「写真」にまつわるありとあらゆる事業を展開している少し特殊な会社に、もうかれこれ10年ほど勤めている。 「写真を撮る」職業ではないので、細かな撮影技術を教えることはできない。ただ、露出やシャッタースピードの関係性や、構図が人に与える印象についてなどの基礎的な知識は、聞かれれ

    • 制御不能な僕たちの日常 | 金原ひとみ『アタラクシア』を読んで

      コロナ禍になってから、コントロールできないことが次々と目の前に現れ、戸惑うことが多くなった。仕事は止まり、旅には行けず、人には会えない。多くの人が同じように感じていることだろう。自分より悲痛な思いをしている人がたくさんいることもわかっている。だが、どんなにささやかでも制御不能なことが身に降りかかる不安な日々を長く過ごしていると、平穏な暮らしからは遠ざかっていると感じざるを得ない。 とはいえこの状況になる前から、制御不能なものは世の中にたくさんある。なかでも「恋愛」は、もっと

      • 余白の町で豊かさを考える

        2020年10月上旬。半年ぶりの東京。渋谷駅に降り立ち、目の前に流れていく景色にひどく混乱していた。マスクをしながら無表情で行き交う人々、そこかしこに貼られた広告からこちらに向けられるタレントたちの笑顔、どこからともなく聞こえる流行曲。光、色、音、匂い。街の情報の多さに目が回る。目から、耳から、鼻から入り込んでくる情報たちに、自分の「時間」をジリジリと奪われる感覚にとらわれていた。半年前まで、僕は本当にこの町に住んでいたのか? 9年間も暮らして「日常」だった風景が、たった半年

        • 撮れる人の偉大さ

          言うのと、やるのは、ほんとに全然違う。あたりまえのことを、あたりまえのように実感した日だった。 写真関連の媒体の編集という仕事柄、写真を撮る人に対して「こうしたらいい」「こうしたらもっと良くなる」みたいなアドバイスをすることもあるのだけど、写真家ではないので撮影を仕事にすることはない。でも今日は研修という名のもと、テーマを与えられて撮る側にまわったのですよ。 そしたら、ほんとに何も撮れない。テーマの難しさもあったけど、うーん、うーんと悩むばかりで、シャッターを全然押せない

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        • 溜め息と深呼吸。
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        記事

          死の意識への扉

          こわいこわい。年始から本当に世界は大変なことになっている。アメリカとイランのニュースをみて、自分でいくつか記事を探して今までの関係性とかも調べて、おお、世界はこんなひどいことになってんのか知らなかった、それにしてもトランプはめちゃくちゃだなやっぱり日本は平和だ。と思った時点で、本当に「こわい」とは思っていない自分に気付く。本当の本当にこわいとは思っていない。 「死」を意識することって本当になくて、国も年齢も環境も思想も、まだまだ「死」からは遠い距離にある。明日訪れるかもしれ

          死の意識への扉

          やる、やらない。

          朝起きて、二度寝して、昼寝して、夕寝して。 ひさしぶりにそんな過ごし方をした正月だった。心なしか鏡ごしに映った自分の肌艶がよい気がする。とにかく、後先のことなんか考えずに食べて寝て、気が向いたら本をぱらぱらと読んで、眠くなったらまた寝て、ぼうっと過ごす、幸せな休日。 たくさんは必要ないから、たまあに、そんな日を過ごせるととても嬉しい気分になるんだなと、あらためて思えた。睡眠って偉大。 仕事がはじまると、きっとまた「早く起きなきゃ」「朝スッキリ起きる方法ってないのか」と探

          やる、やらない。

          怒りを殺すな

          年明けからテレビを見ていると、「負」の要素に満ちたニュースが流れて、ふつふつと怒りと悲しみが沸き起こってくる。「いけない、気持ちを落ち着かせて」という自分が現れたあとに「いや、落ち着かせる必要なんてあるのか」という自分がやってくる。SNSの投稿をしないから「怒りの矛先」がないので、結局は気持ちを落ち着かせる方向に向かうのだけど、心には消化しきれないモヤモヤが残る。 去年、あるツイートを見かけたあたりから、「怒る」ということについてぐるぐる考えている。 これが最初に見たツイ

          怒りを殺すな

          冬が好きなのかもしれない

          身体中を凍えさせる冬が、あまり好きではない。涼しい秋が好きだし、暖かい春が好きだし、冬よりはまだ夏の方が好き。 と、思っていたのだけれど。 冬もあんがい、悪くないなと思うことが増えた。 あったかい布団に包まれて動かない休日の朝のが好きだし、晴れた日に肺に吸い込まれる冷たく透明な空気が好きだし、歩いていると少しずつ暖かくなる身体の感覚が好きだし、帰り道きりりとした夜の冷気がほほに触れる感じが好きだし、暖かい鍋を食べながらじわりとに足先があたたまっていくあの感触が好きだし、

          冬が好きなのかもしれない

          「この場所」であること

          2020年初めての展覧会鑑賞は、東京都現代美術館でした。 「ダムタイプ|アクション+リフレクション」 「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」 「MOTアニュアル2019 Echo after Echo:仮の声、新しい影」 「MOTコレクション 第3期 いまーかつて 複数のパースペクティブ」 展示自体の感想を、常設展以外をひと言づつ。 ダムタイプは、彼らの活動やその時代背景、要するに「文脈」といわれるものをある程度把握していないと、おもしろがりづらい展示だったなと思った。僕

          「この場所」であること

          張り切りすぎず。

          「気持ちを新たに」という言葉が嫌いだ。 毎年毎年、大晦日やら元旦やらなんやらに「今年こそは」って意気込んで何か始めるけれど、結局長続きしなくて1月も終わらないうちに習慣にならずに忘れ去られていく。そんなことを散々繰り返し続けてきた。本当にうんざりするくらいに。だから、「気持ちを新たに」という言葉を好きになれない。 そもそも時間って直線的なもだと思っている。人が数えやすいように区切ったり1から戻したりしているけど、本来はきっと、繰り返したり巡ったりしないものだ。もちろん、誕生

          張り切りすぎず。

          目眩と

           朝起きたらめまいがして、そのままお昼が過ぎるまでくらくらし続けていた。起きて数分、くらくらすることは今までもあったけれど、こんなずっと症状が続くのははじめてだ。  とにかく視覚的に世界がぐるりぐるりまわっている。気分がわるいわけではなかったから、わりと冷静に観察できていたのだけれど、足が地面についているのに宙に放り出されたような感覚で少し可笑しかった。  とはいえ会社でいつまでもまわりまわる世界と戯れるわけにもいかず病院へ行くことに。「めまいだから内科かな」と思ってたけど

          書くに足らない

          だいぶ久しぶりに書いてみる。せっかく書くならきちんと、と思ったけれど、それをするとまた、次に書くまでに間が空きそうな気がしてしまうので、気楽に書きはじめてみようと思います。 日々、書きたいと思うことは少なくなくて、のめり込んで読んだ本のこと、おもしろかったテレビ番組、毎日のように見ているアニメのこと、遠くまで足を運んだ展覧会のこと、色々あるとは思うのだけど、なぜだか「書くに足らない」気がしていて、どうしても書きはじめられない日々が続いている。 昔からそうだけど「何かひとつ

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          佐野さんち

          小学校くらいまで住んでいた町内に、「佐野さんち」があった。 放課後とか、休みの時とか、友達をよく誘って佐野さんちに行った。佐野さんちは交差点の角にあり、高くはない白い門があって、白い柵で囲まれていた。その柵からは、広い庭を覗くことができた。その庭では野菜を育ていた気がする。佐野さんはお婆さんで、僕よりも少し年齢がうえの息子だか孫だかがいた。名前も忘れてしまったその兄さんが持っていたストリートファイターⅡを友達とするのがとても楽しかった。小学校にその兄さんがいなかったことを考

          佐野さんち

          読書週間

          夏休みなので、久しぶりに読書に没頭している。ふだんも読んでいるには読んでいるけど、やっぱり行きの電車と、帰ってホッとしてからの数時間ではペースが遅いし(ただでさえ遅いのに)、なかなか本の世界に没入できない。長編小説ならなおさらだ。 久しぶりに村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでいて、なんとも言えない村上春樹の言葉の磁力みたいなのに圧倒されている。要するにおもしろいのです。 上巻が読み終わったところで新潮9月号の巻頭、千葉雅也の「デッドライン」

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          途方に暮れる

          最近、途方に暮れていることがある。 「触れたいコンテンツが多すぎる」ということ。 そんなことを今更、と言われるかもしれないけれど、今Webでもなんでもどうしようもなくコンテンツ多くて、本当に全然追いきれないなあと、しみじみ感じる。 ただでさえ、読みたい本がたくさんあるというのに、新刊本やら、Webマガジンやら、noteやら、あらゆるコンテンツが無数に生み出されている。 そのくせ、自分はコンテンツを作る仕事に関わっていて、何してんだろ?と思ってしまう。なんか、ちょっと、

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          言葉の貯め方

          年始から頭を悩ませている。いちおう、やりたいことを出して、その中で「書くこと」がたくさん出てきたのだけど、言葉をどうストックすればいいのか、いまだに自分にフィットする方法を見つけられてない。 言葉や情報を貯めておく方法は、メモやアプリ、手帳などで色々とやってきたのだけど、どうも続かないことが多かった。必要に迫られていなかったというのもあるかもしれないけれど。「ずっとこの方法でやってます」みたいな人の話を聞くとすごく羨ましいなあといつも思う。 とはいえ頭で考えても何も始まら

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