【書評】赤井浩太:スタイルをめぐる闘争(津村喬『戦略とスタイル』)

※このテキストは、二〇一九年一月に前衛批評集団「大失敗」によって発売された批評系同人誌『大失敗』創刊号のおまけとして、二〇一九年五月に発売された『小失敗』のNote版から抜粋されたものです。

スタイルをめぐる闘争(津村喬『戦略とスタイル』、初出一九七一)

 現首相である安倍晋三がことあるごとに「日本のかたち」や「国の形」といった言葉を使うことはよく知られている。この「かたち」という語がきわめて政治的な意味合いを持つことは、たとえば国旗の「日の丸」をひとつの国民的シンボルとすることから明らかだ。こうしたシンボルの造形はあらゆるところに見出すことができる。さかのぼれば、日本の起源を開示する神話であるところの「古事記」には、イネ科の「蘆」が様々な場面で描かれているが、周知の通り「米」へのフェティッシュは天皇制イデオロギーに直結しているのである。あるいは、「ゲイシャ」「フジヤマ」「サクラ」といった日本の紋切り型として対外的に消費される/させる象徴的な形象もまたそうである。つまり、ナショナル・アイデンティティは「かたち」を付与されることによって成立していると言えるだろう。
 この形象化されたイデオロギーは、私たちの日常生活(存在の形式)や身体性(権力の鎧)に深く浸透しているものであるがゆえに、きわめて厄介な「モノ」(欲望の対象)として存在している。こうした問題に無自覚だったのが「世界革命」を標榜する日本の新左翼諸党派であった。絓秀実によれば、「六〇年安保は、その「国民的」な高揚の記憶によって、創生したばかりの新左翼の神話となっていた。しかし、この歴史観は、むしろ「新左翼ナショナリズム」を補強するものではないのか」という批判が一九六八年以後、行われるようになる。それが華青闘の告発であり、そして津村喬の主張であった。
 この問題をふくめ、ナショナリズムと高度消費社会の問題を様々な角度から批判=批評したのが津村喬『戦略とスタイル』(一九七一)である。主にアンリ・ルフェーヴルやベルトルト・ブレヒトといったヨーロッパ・マルクス主義、そして毛沢東、それから猪俣津南雄に代表される戦前のマルクス主義が津村の理論の背景となるが、ここで見落としてはならないことは、ロマン・ヤコブソン、ロラン・バルト、ジャック・デリダなどの言語や記号やエクリチュールをめぐる議論が、独特の仕方で参照されているということである。
 津村は前述の問題に対して、これらの理論を解釈し、読み替え、配列して、多層的な次元でもってみずからの言説を構成する。とりわけ「スタイル」=〈風(フォン)〉という中心概念は、日常的な消費生活から哲学的存在論にいたるまで、あらゆる次元で変革の起点とされる。この「スタイル」とは「人間の肉体的自然や無意識から生起する表現の固有の媒質」であるが、それを変革すること、すなわち官僚的な技術=管理体系や資本主義的なモードによって作り上げられる閉域的な〈俗なるもの〉に対して、整風運動をはじめることが説かれる。整風運動とは、「異質の風との出会いによりおのが固有の風を発見し反省すること」であり、「認識のスタイル(学風)」と「表達のスタイル(文風)」と「行動と組織のスタイル(党風)」の「三風」を自己組織化することである。
 津村は言う――「俗なるもの」を批判し、「スタイルの饗宴」を始めよ、と。この批判は約五十年の時間を超えて、現在の俗なる日本を直撃している。

赤井浩太

『小失敗』Note版

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