凍りついたメッセージ

掌編『凍りついたメッセージ』


凍りついたメッセージ

著者
小野 大介


 これより音声記録を開始する。

 私は第二次救助隊のメンバーである。

 我々は今、南極点付近に設置した基地にいる。

 基地との連絡が途絶えて、すでに半年が経過している。先行した第一次救助隊との連絡は一切取れていない。

 猛吹雪のせいで飛べず、今になってようやく来られた。

 皆、生きていると願いたい。

 食料の貯蓄は充分にあるだろうから、その点は心配していないが……一体、なにが起きたというのか。


 外に通じる扉が全開になっていた。猛吹雪のせいか、壊れてしまっている。

 そばには凍りついた死体が横たわっていた。服装から、第一次救助隊の一人だと思われる。まるで扉を開け放つようにして倒れていた。

 やはり、なにかトラブルが起きたようだ。

 錯乱でもしたのか?

 まさか、自殺か……?


 基地内は外気温とほぼ同じ状態で、ひどい有り様だ。あちらこちらに死体が横たわっている。無論、凍った死体だ。

 ざっと見た限り、基地に元々いたメンバーに、第一次救助隊のメンバー。ほぼ全員が死んでいる。死因は凍死かと思われたが、一部違う。銃で撃たれた痕がある。壁にも無数の穴が開いている。

 殺し合いでもしたらしいが、何故だ……?

 仲間が電力の復旧を試みている間に、より詳細な調査を行う。

 生存者がいてくれればいいが、希望は無さそうだ。


 新たな死体を発見した。女性だ。年齢は二十代の後半から、三十代の前半。他と同様に凍りついている。

 死因は……外から見るに、銃で撃たれた形跡は無し。外傷も無い。彼女も凍死だろう。

 まだ若いのに……。


 女性の死体のそばに伝票の束が落ちていた。その裏に、なにか書いてある。

 遺書だろうか……いや、違う。記録だ! ここでなにが起きたのかを記録してくれている!

 素晴らしい、助かるよ!

 これからすべてを読み上げる。

 一枚目。

 字はきれいだが、小さくて読みにくいな。

 びっしりと書かれている。

 几帳面な性格らしい。

 間違いがあるといけないから、写真に撮っておこう。

 では、始める。


 ここでなにが起きて、どうしてこんなことになってしまったのか、それを伝えるためにも、警告するためにも、書き残しておく。


 まず、伝票の裏でごめんなさい。他に書けるものが無くて。

 これを読んでいるあなたが、いつ、ここに来たのかはわからないから、私の感覚で時間を書くけど、一週間前のことよ。もうすぐ国に帰れると喜んだ矢先のことだった。

 私はコックとしてここに来た。前に働いていたところよりも給料が良かったし、雪なんて滅多に降らないところだったから、銀世界を見てみたかった。だからここに来たんだけど、いま思えば失敗だった。大失敗。

 ここでは、氷を調べている。大昔の氷を掘り出して、その中に含まれている空気を採取して、その当時の環境がどうだったかなど、色々なことを調べているみたい。

 何度か説明を受けたけど、私の頭では理解できない。

 皆、頭が良過ぎる。疎外感を抱くほどに。

 いつかは訪れる氷河期に備えるためらしい。これだけは理解した。

 でもまさか、その氷がこんな事態を引き起こす原因になるなんて、考えもしなかった。

 正確には、その氷に含まれていた空気中にいた、なにか。

 寄生虫か、細菌か、ウィルスか、正体はわからないけど、目には見えないなにかがいたの。それが皆を変えてしまった。

 警告しておくわ、大昔の氷でウィスキーを飲まないほうがいい。

 馬鹿だった。最悪。浮かれていて、つい許してしまった。お高い店でそういう氷を出していると知っていたから、なにも考えずに使ってしまった。

 半分以上の人間が飲んだ。私は飲まなかった。お酒は苦手だから、高くても飲まなかった。それは正解だったけど、いま思うと、飲んでいたほうが良かったかもしれない。そのほうが楽だった。

 最初は二日酔いだと思った。気分が悪い、頭が痛いと言っていたから。でも違って、急に嘔吐や下痢が始まった。そして次々に倒れていった。

 そのときは食中毒だと思い、責任を感じた。自分のせいだと思って、とても悩んだ。でも、それも違った。いっそ、そうであって欲しかった。

 皆は変わった。姿形はそのままだけど、中身が違う。人間じゃない気がする。まったく別のなにかに変わった気がする。

 違う、変わったんじゃなくて、変えられたんだ。内側から。

 ゾンビみたいに狂暴になったり、人を襲ったり、食べたりはしない。もっと頭が良い。前よりも頭が良いかも。だから色々な手を使ってきた。飲み水に混入されたり、罠を仕掛けられたり。あとは、甘い言葉とか、情に訴えるとか。

 すべては仲間を増やすため。

 まさかそんなことになっているとは思わないから、誰もが引っかかった。私も危なかったけど、ギリギリのところで助けられて、今はこうして食糧庫に閉じこもっている。一人きりで。

 寒い。いつまで持つかわからない。食料はあるし、安全な水もあるけど、飢えや喉の渇きの前に凍えてしまうかも。外に出られる格好ではあるけど、それでもきつい。

 死にたくない。

 寒い。


 一枚目はここで終わっている。

 次、二枚目を読む。


 明かりが消えた。停電したのかも。

 誰かが叫んでいる。銃声もする。戦っているのかも。

 怖い。

 死にたくない。


 音が止んだ。声も聞こえない。

 どうなったの?

 怖いよ。


 あれからなにも起きない。音も聞こえないし、声も聞こえないし、人の気配がしない。

 もう我慢できない。このままじゃ死んでしまう。頭がおかしくなる。

 外に出よう、怖いけど。


 やっぱり停電してる。

 外は、食糧庫よりも寒い。

 暖房が切れてる。

 扉も開いたままだ。

 ひどい有り様。

 死体。

 いくつも転がってる。

 皆、死んでる。

 誰も動かない。

 生きているのは私だけみたい。

 凍死?

 薄着のせい?


 配電室が封鎖されていた。

 部屋の外には、血まみれの死体がいくつも転がっていた。銃を持った人も倒れていた。

 皆、死んでいる。皆、凍りついている。

 死に物狂いで戦ったのかも。凍死を覚悟して戦ったんだ。おかげで私は助かった。でも、このままじゃ死ぬ。寒さで死んでしまう。なんとかしなければ。


 もう嫌だ。

 雪も氷も嫌い。

 大嫌い!


 三枚目に移る。

 私はまだ生きている。

 キッチンにいる。

 ここにはガスがある。

 だからまだ生きている。

 ガスが切れたら死ぬ。


 救助隊が来ない。

 早く来て。

 お願い。


 まだ来ない。

 連絡していないから?

 違う、連絡が取れなくなっているから、きっと来る。

 来るはず。


 一人は辛い。

 孤独は嫌いだ。

 辛い。


 頭がおかしくなりそう!

 なんで誰も来ない!

 誰か返事をしろ!

 吹雪の音がうるさい!


 来た!

 ついに来た!

 吹雪が止んだら来てくれた!

 飛行機の音だ!

 人の声がする!

 救助隊!

 神様!


 四枚目だ。


 そばに誰かがいるだけでこんなに安心できるなんて、初めて知った。

 一人のほうが気楽なんて馬鹿なことは、もう二度と考えない。

 人は、一人では生きられないんだ。

 手紙はこれで最後になるかも。

 いま読み返してみたけど、ひどい。

 途中から字も汚いし。

 寒さで手がかじかんでいたから、しょうがないけどさ。

 じゃあ、終わり。


 記録はここで終わっている。五枚目は無い。

 うーん……一体、なにがあったんだ?

 救助隊に助けられたんじゃないのか?

 どうして死んだ?

 どうしてこんな姿に……?

 この後に、なにが……。


 これ以上は手がかりが無い。

 ひとまず音声記録を終える。


 音声記録を再開する。

 本部の指示により、これから全員の死体を運び出す。

 解剖して、検査をして、死体の中になにが巣食っているのかを調べるためだろうな。

 充分に注意して運ばなければ。下手をすると二次感染もありうる。

 しかし、数が多いな。一度に多くは運べないから、これは骨が折れるぞ。ただでさえ重くなっているのに……。

 では、音声記録を終える。

 ハァー、酒が飲みたい。とにかく酔いたいよ。ウィスキーは当分、氷無しだがな……。


 音声記録を再開する。

 死体を中央基地に運び終えたところだ。その中には彼女も含まれるんだが、その手が、なにかを握り締めていることにいま気づいた。

 これは……伝票だろうか? 五枚目かもしれない。

 まだ凍っているから取り出せないな。融けるのを待とう。

 先生、どれくらいかかるかな?

 そうだなぁ、数時間はかかるんじゃないか。カッチカチだからなぁ。

 そうか、わかった。

 ではそれを待つとして、いったん音声記録を終える。


 音声記録を再開する。

 死体が融けるのを待ち、伝票を取り出した。

 伝票はまだ凍っているから、温める必要がある。ただ急に温度を上げるのはまずいだろう、書かれている文字がにじんで読めなくなってもいけないから、水やお湯も使えない。

 ここは……よし、手で温めよう。破れないように、そっと……ああ、冷たい……。


 ようやく融けた。やはりなにか書かれている。少しにじんでいるが、これなら辛うじてだが読める。

 えっと、これは……電気を、つけるな、まだ生きて、逃げて……?

 え……なんだこれ? どういう――ギャッ!

 なんだっ!? いま声が聞こえた! 悲鳴みたいな声だ! 先生か!? どうした!?

 先生が倒れてる! 血も出てる! なにがあった!?

 ああ、まずい、血が止まらない……! だが、どうして……!? これは、切られたのか!? 首が切られてる! 誰だ!? 誰かいるのか!?

 ……誰もいない! もう逃げたのか!? なんだってこんなことを……!?

 あれ……? 死体はどこだ? 彼女の死体が無い! 運び出された!? 狙いは死体か……!?


 ありがとう、温めてくれて。

 えっ!?

 おかげで生き返ったわ。

 死体がっ!? グアッ!

 な、なんだこいつ! なんて力だ……ガハァッ!

 うう……うわっ! やっ、やめろ! おまえが先生を……! ひぃっ、やめっ、やめてくれぇっ!

 グボゴッ!


 動かないで、じっとして。そう、落ち着いて、身を任せるの。苦しいのは今だけだから。すぐに変わるから。気持ち良くなる……。


 さぁ、一緒に世界を変えましょう。

 ああ、一緒に世界を変えよう。


 記録する必要はもう無い。

 終わりだ。


【完】


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