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ゴールドパーク串木野と「虫の知らせ」

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ガキの頃、家族で #ゴールドパーク串木野 に行くことになった。
ゴールドパーク串木野は、#串木野金山 跡にあったテーマパークでトロッコに乗ったり、砂金集めが出来たりと、他の近隣の遊園地などでは出来ない体験が出来る場所だった。
その頃、自分がどうしても行きたかった場所の1つだったから、行くと決まってから楽しみで楽しみで仕方なかった。
いよいよ当日、オンボロ軽に家族全員乗り込んで、#都城 から 一路 #串木野 を目指した。
都城から串木野までは、令和3年現在でも下道で2時間はかかるから、今ほど道路事情の良くない当時なら、もっとかかっていただろう。
その道中、いったいどの辺を走っていた時だったか、父か母がふと、
「親戚の〇〇ちゃんはどうしてるだろうか?」
と言い出し、どうしても気になったのだろう、途中の公衆電話でその◯◯さんに連絡を取ってみることになった。
そうしたら、その◯◯さんがまさに容態が急変したらしく、我々は急いで都城に引き返すことになった。
楽しみで楽しみで仕方なかったゴールドパーク行きがパァになってしまい、その親戚の◯◯さんには悪いが、とても悔しかった。
その後、家族で串木野に行くこともなく、いつの間にかゴールドパークも閉園してしまった。
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さて、「親戚の◯◯さん」と書いたが、これは実名を伏せているわけではなく、本当に親戚の誰だったかを覚えていないのだ。
まぁ、うちは親戚も多かったし、自分もガキだったから、その場で名前が出てもよっぽど親しい人じゃない限りピンと来なかったのだろう。
でも、慌てて引き返したのだから、遠い人でもなかったのかもしれない。
そしてまた気になるのが、よくあの時、親戚の〇〇さんのことがピンと来て、連絡をとって、情報を得ることが出来たものだ。
今から30年ほど前の話だから、携帯電話などもちろん無いから当然、公衆電話から固定電話への通話となる。
その固定電話はその親戚の◯◯さんの家にかけたのだろうが、容態が急変したのなら、家族も病院に向かっていて家には誰にもいなかっただろうし、こちらから電話をかけた瞬間は病院へ向かうまさにその直前だったのか、連絡係で誰か家に残っていたのか。
いずれにせよ、今みたいに携帯電話どうしで連絡がすぐつく時代ではないのに、いわゆる #虫の知らせ を元によく連絡がついたものだ。
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このことを妹に話したら、
「そんなことあったけ?」
と言われてしまった。
妹も確かにいたはずだか……
もう父も母も亡く、その親戚の〇〇さんが誰であるかの当てもないので、このことを確かめる人がいない。
兎にも角にも、ゴールドパーク串木野行きが無くなった悔しさと、「虫の知らせ」が来たその瞬間を目の当たりにしたこの出来事が、不意に思い出されるのである。

#宮崎県都城市
#鹿児島県いちき串木野市  

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