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中学時代の思い出④

一学期が終わり夏休みに入った。

夏休みで一番の思い出は能開の夏合宿である。
合宿参加者は学力が高まると聞き申し込んだ。
能開の和歌山校には適塾21というクラスがある。
そのクラスの生徒は日本中から優秀な生徒が集まる大山合宿らしい。
箕島校は全員三重での合宿になった。

合宿は厳しかったのを覚えている。5日間だったが毎日12時間ほど勉強をした。一番覚えているイベントはサドンデス演習。
問題で満点が取れるまで部屋から出られない。満点を取った生徒はガラス張りの部屋で豪華料理を食べられる。満点を取れなかった生徒は取るまでひたすら演習をするというものだった。
私は英語と数学でわからない問題があった。同じ中学のK君はさっさと完答して部屋から出て行った。英語の問題でヒントが与えられる。英語の問題はなんとかクリア。数学の問題だが、私が能開に入ったのは中三春から。この解法は教わっていなかった。最後までわからずタイムアップ。時間は夜の2時くらいになっていたと思う。問題を解けなかった生徒は通路に正座させられ、正答者からガラス越しに見られつつ講師の声を聞く。
「俺は悲しいよ。これだけ真剣にやってきたのに解けなかったなんて。死ぬ気でやらないと智辯には行けないぞ。ほら泣け。泣いて悔しがれ。」という激を入れられた。隣の後に智辯で同期になるF君は泣いていた。私は、(こんな下らない三文芝居を見せられるくらいなら単語の一つでも覚えさせてくれ)と思った。そして翌日はバーベキューをみんなで楽しんで解散。あまりにハードで汚い話だが、緊張感で合宿中は一度も便が出なかった。本当に厳しかった。講師も大変だろう。

そして、夏には第一回智辯模試があった。後から聞いた話だが、当時のA判定は45番ほどだったらしい。当時智辯和歌山の編入の定員は90名。能開は合格者の70名を輩出しているので70番に入れば合格圏というところだろう。200人ほどが受け、私は92番だった。普通に考えればそれなりの順位だったがE判定をつけられた。志望変更を検討せよ、との判定である。
私はショックは受けたものの、「入会してまだ半年も経っていない。ここから逆転するぞ!」と気合を入れた。

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