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珠算の思い出

最近、珠算界隈のガチの珠算・暗算好きの方とX上で交流することが多い。
皆様と比較すると私の腕前は大したことはないが、一人の田舎町の少年の体験談として読んでいただきたい。

私が珠算と出会ったのは、1989年2月のことだった。
(80年代とは自分で書いていても驚きますね。今は2023年なのだから。)
小学校で九九を覚えたら珠算を習おうという話に家族の間で、そうなっていたらしい。私は覚えていないのだが、成人して祖母に聞いたが、九九はクラスで二番目に暗唱を終えたようだった。本家の長男として期待値も高かったのだろう。当時の私はそこまでは気付いていなかったが、記憶力と計算力はずば抜けていたようだった。今、思えば、ASDのアスペルガータイプということだろうが、当時はそのような知識もなく、ただただ記憶と計算が凄い、というのが特に祖父母の感想だったようだ。
話を戻すが、珠算塾は酒屋が本業で離れの二階で教室を開いているEというところに通った。「大輔君、珠算は1級まで取れれば就職は問題ないよ。高みを目指して頑張ろう」とそう言われた記憶がある。1級を目指してみようという気になった。
私は算盤を弾くという行為が楽しくてグングン成長していった。
自宅ではほぼ練習はなし。週3日、1日2時間のトレーニングを続けた。
集中力はあるほうで2時間ひたすら集中していた。

小学校3年生の夏休み、私は競技会に誘われた。珠算を習い始めて半年で3級を取得していたので、小3の部に出てみてはどうか?と先生から声をかけられたのであった。私はぜひ行きたいと思い、県庁所在地の商工会議所の9階の会場に向かった。当時、私の地元には3階建てまでの建物しかなく、10階建ての商工会議所を見て度肝を抜かれてしまった。あれは大阪でも東京でも体感することがなかった。3階建てしか見たことがなく、10階建てというのはかなりのインパクトだった。今でこそ都民で高い建物には慣れているが、あの時は県庁所在地が大都会に見えた。
そして会場に入っていく。
同じ珠算塾からは私と一学年下の女子二名が参加した。
会場に着くと、県庁所在地の珠算塾の先生が挨拶をしていた。生徒も数十人単位で集まっている、さすが県庁所在地は人の数が多いな、と人口15000人の田舎町在住の自分には人口数十万人の県庁所在地は大都会に思えた。

そして、競技が始まった。
最初は珠算の競技、乗算、除算、見取り算、伝票算を取り扱った。
自分の力は出し切った。
だが、入賞はならず。次は読み上げ算。
あまり馴染みのないスタイル。
こちらも入賞はならなかった。
最後に読み上げ暗算である。
こちらは比較的得意だった。
一応3桁の読み上げまでは練習でできるようにしてきていた。
予選は2桁の読み上げ10問だった。
私は全問正解でクリアする。
決勝では一問間違うごとに敗退が決まっていき、最後3人に残ったが、そこで負けた。ただ、3位入賞が確定し、優勝はできなかったものの、片田舎の珠算塾の生徒が県大会3位入賞。自分の結果には満足した。
表彰式では、基本的にみな知り合いのようで県庁所在地の大手のいくつかの塾がほぼ表彰台を独占していた。そんな中で、「佐藤大輔君」と名前が呼ばれ、3位入賞。トロフィー🏆を渡され嬉しかった。
その時は優勝を逃したことよりも3位に入れたことが嬉しかったと記憶している。
翌日、毎朝日課にしている新聞を読んだところ、地元欄に「〇〇県珠算競技会3年生の部読み上げ暗算3位佐藤大輔」という記載があった。新聞に載るというのは初めての経験ですごくテンションが上がった。県庁所在地在住の大叔父からも電話が入っていたそうだった。当時はあまり意識していなかったが、田舎町の少年が県庁所在地の塾を押しのけて3位入賞は快挙だと思う。そういう目で周りも見てくれた。

それから珠算が楽しみになった。
小学校4年生では読み上げ算で3位入賞を果たした。
級位もどんどん上がっていったが、2級あたりから成長速度が遅くなってしまった。小5では準1級までは取ったが、1級の壁にぶちあがり伸び悩み、表彰無しだった。小6になり、最後の夏の競技会になった。
基本的に読み上げ算と読み上げ暗算で毎年決勝までは残っていたので、上位進出者とは顔なじみになっていた。
当時は1級所持で読み上げ暗算は5桁までできた。
小6と中学生は同じ部で最高レベルの競技が期待される。
気合を入れて競技会に参加した。
読み上げ算では決勝で敗退した。私は1ずれる癖があり、それで敗退が決まった。最後の種目は一番得意な読み上げ暗算。5桁でも来い、と思い勝負に乗り出す。予選は2桁10口10問。全問正答する。決勝は5桁かな、と思っていると、私の記憶では3桁10口だったか。拍子抜けしていると、ミス。正答した女子の優勝が決まった。私はかなり気を落としたが、そのあとは取り切って準優勝を決めた。最後の夏、読み上げ暗算で準優勝、悔しくはあったがやりきったという思いもあった。読み上げは得意だな、とも思えた。
そして競技会の会場を後にする。

小6では地元の人口10万人程度の地方の競技会があった。
そちらは珠算のみである。
4位入賞だったのが、4位は複数人いた。入賞という形だろう。
こちらは多種多様な珠算塾の生徒が参加していた。
当時の珠算人口の多さを実感できた。
子供が一学年あたり100人以上はいたと記憶している。

小学校6年生で商工会1級と日珠連に準ずる地元塾で初段までは取れていた。
だが、引退前に珠算塾の先生から、「大輔君の実力なら弐段は取れる。検定試験を中学になっても受けてみないか」と言われた。

そして私は中1でも週に1回通うことにした。
6月の検定試験では弐段まで取ることができた。
そこで終わろうと思ったが、先生に、「最後に競技会に出て行かないか?」
と誘われた。読み上げ算3位、読み上げ暗算準優勝が最高成績だったが、全種目で入賞を狙える実力はある。と言われて努力した。

そして大会本番。なんと全種目で4位という結果に終わってしまう。
得意の読み上げ算、読み上げ暗算は決勝敗退。珠算も4位。
先生から、他の塾の先生方から「これだけ安定して4位を獲れる実力があるのに何も賞を出せないのは申し訳ない」と言われたそうだ。

これで自分の競技歴は終わったが、珠算は多くのものを与えてくれた気がする。まず、知能検査の計算分野がとても速くなった。小学生の頃、ブラックボックスという知能検査があった。1〇+25=43となっており、〇=8と答える形式のものだ。私は制限時間の半分で全問正答できた。
また、集中力が身に付いた。珠算では珠の一つの弾き間違いで0点である。1ずれていたから部分点ということはない。試験などで力を発揮した。
そして映像記憶の力が身に付いたことは大きい。完全な映像記憶ではないが、脳内に珠が浮かぶ状態が自然と出来るようになることで記憶力はかなりアップしたように思う。
また、珠算で自分の期待値が上がったが、それは嬉しさでもあった。
珠算塾の先生は母が言うには自慢が多い先生だったらしい。会えば、甥が京大に現役合格しただの、そういう話をされて面倒だったと。人のことは褒めずに悪口、自分の身内の自慢ばかり、と。そんな先生が、「大輔君には才能がある。一級上のN君は珠算は初段でも暗算の才能がない。暗算は才能がないとダメだ。大輔君はきっと勉強でも結果を出せるだろう。すごい暗算のセンスだった」とのこと。母は、これだけ人のことをこき下ろす先生がわが子を褒めたとあって多いに驚いたという。

最後に珠算は本当に能力を伸ばすと思う。珠算で段位まで行ければ、概ね、関関同立GMARCH地方国公立までは入れると感じている。高学歴層から見れば大したことはないと思うかもしれないが、一般の生徒も多くいるのが珠算塾である。才能を伸ばせるし、大学受験の結果にも繋がる。ぜひ取り組んでほしい。

ここまでです。長文をお読みいただき、ありがとうございました。

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