生きること=無

 自分が作りたい俳句はどういうものなのか、先日に書いたこととまた別の点を考えてみる。

 ☆発句であること

 ある場、ある状況、ある光景、ある交歓に自分が対したときにそれを本来の意味での二度とは「有り難い」ものと感じて忘れないようにするための「挨拶」として書く。季節の風物を見たときに作れば自然と有季になることが多いだろう。場所に対して作るときに有季にならないこともあり得る。句を読んでもらう特定の人とその句の内容やその句が生まれるに至った経緯や境遇を共有できることを目指す。その句を発句として歌仙を巻くことを潜在的に思いつつ作る。

☆音、調べがよい

 基本的に上五中七下五で、字余り字足らずを極力避ける。口にしたとき音が心地よい句。

☆自分の五感や脳が感じた物、事、認識を描く

 他ならぬ自分が実感した物、事、認識を描くが、句の中に自分の存在を出さない。かといって、完全な俯瞰や傍観の立場でも描かない。その場・状況・光景に立ち会った自分の中に起こった挨拶としての言葉を操作や虚飾なく使う。また句を作ることを目的とする前に、自分が日々を生きて、かつ生きるという意識が無になっている瞬間に言葉を立ち上げられるようにしたい。生きている自分を句にする、生きている自分が句を作るのでなく、自分が生きたあげく無になったときに見たり感じたり思ったことを句にする。言い換えれば外に出ているときおよび人と対しているときに無になるようになりたい。無になっていることが即ち他ならぬ自分が生きているような有り様。「自分」を意識してそれに向かい合うのは内省するときや散文を書くときのみとして。

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