俳句を作るときに大事にしようとしていること

 自分が俳句という名で呼ばれ得る短い言葉の連なりを作るときに重視していること、こういう有り様が実現しているといいなと考えていることを書き留めておこうと思う。
 自分の過去に作った句の中で、それがいちおう実現しているほうだと自分が思えるものを挙げて書いていくことにする。
 夕菅にゆるい手綱の馬と行く
 
この句でいちばん表したかったことは、長い時間が経過することだ。俳句と呼ばれ得るものは一瞬の出来事や景をくっきりと写し取ることのほうが表現としての強度や精度の点で勝ると言われているが、自分は短い一句の中に長い時間がゆっくりと流れる、または広い空間がゆったりと含まれている、そういうことが短い一句でふくらみを伴って味わえることによろこびを感じる。
 柴犬のくつきりとゐる五月かな
 
この句では「ゐる五月」ということが書きたかった。
 おみかんとおの付いてより甘くなる
 この句では「おの付いてより」ということが書きたかった。この二句はいずれも、何かが起きたもしくは何かであるたった今から何か特別なことが起きる、特別なことのように感じ出すという心や認識の動き出し、ざわめき出すよろこびを書き留めておきたいという動機が土台にある。
 一着馬舌出して去る遅日かな
 この句では「去る」と書くことによって、去らせないようにしたいと思った。いや、去らせてはいるのだが、去ることで先述の「ゐる」にもゆっくりとした時間にも通じるようにしたかった。
 暖炉またこの人のこの黙り方
 この句では「また」「この」を書きたかった。そしてこの「また」「この」は特定の人物や様子ではない。この句を読んだ人が自分で思い浮かべる「この人」の「この黙り方」が読んだ人それぞれにあるはずで、その思い浮かべられた誰かやその黙り方は全て別人のもので特定の一人の像を結ぶことはないだろうが、ある切実さは一つの強いものを結ぶのではないかと思った。

 書き加えておくならば、句の音やリズムがたのしいこと、たのしいまでに至らずとも風通しがよいことは自分にとっては大前提で、そうでない句もしくはそういうことへの頓着がなく感じられてしまう句への興味はない。

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