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M.V.P.とは

M.V.P.という言葉を知っているロッテファンの方は少なくないはず。
では、どんなイメージを持たれているのでしょうか。

西岡批判・球団批判をした人達?
過激な横断幕を出す人達?
カッコいい応援歌を作った応援団?

とにかく、当時応援していた人ではなく、2010年以降にファンになった方は悪いイメージしかもっていないのではと思います。
ロッテファンにとってデリケートな部分で、今のファンの方には聞きづらいところなのかなと思ったり。
M.V.P.について西岡騒動しか知らないロッテファンの方にはこれを読んでいただけると印象が変わるかもしれません。

では、まずM.V.P.(Marines Victory Productions)とは、何者だったのか。

「M.V.P.は決して組織ではなく、誰でも心から応援するファンは全てM.V.P.です。応援団、ファン、ある意味選手をも含めM.V.P.となる訳です」

上記の定義で当初は活動をしていたのがM.V.P.です。
ですから、チームの勝利の為だけに心から応援する人は皆、M.V.P.を名乗って問題はないという定義でした。

M.V.P.と外野応援団は別であります。
よくYouTubeやtwitterで「M.V.P.時代の応援が~」と言われますが、応援歌をはじめとした応援をリードするのは千葉ロッテマリーンズ外野応援団です。
M.V.P.の人達はそのリードにそって応援していたわけで、特に中心部となる人達の応援や熱量が半端なかったのは事実です。今のロッテファンにとって、あの盛り上げ方は逆に近寄れないと思います、それほど彼らには"オーラ"がありました。

M.V.P.が活動をするにあたり、色々な方の協力も必要であり外野応援団だけでなく、球団、選手とも密接に関係を当時は築いていたと私はうかがっています。

中心部となり活動する人達は千葉マリンスタジアムの応援団横、今でいうゲート横に陣取り、人一倍、ジャンプや声を出し、頭上クラップをはじめとした応援でスタンドを引っ張っていました。
当時のゲート横は危険地帯と呼ばれており、常に熱く応援しフラッグやゲーフラ、バンデーラ等を多用し、モッシュやダイブも行われる為、女人禁制とまで言われていました。
※ただし、これは毎試合というわけでもなく、落とせない大事な試合の一致団結さと熱量はYouTube等でもご覧になれると思います。

とにかくチームの為に一人一人が行動し、また中心部に集まって動いている人達のデザインや応援のセンス、そして技術が半端なく、プロフェッショナルが集まっていたからこそ、カリスマ性も生まれたと思います。

私はM.V.P.の活動は前期・中期・後期に分けられると考えています。

前期(1995~1998)

M.V.P.のスタイルが発祥。ユニフォームを着て応援するスタイルを推奨し、メガホンの廃止等、現在のマリーンズ応援の礎を築いた。今までの文化を全く違うものにするには並大抵の努力ではなかったであろう。

中期(1999~2005)

山本功児監督が就任、「いつも来てくれているファンにはチーム状態を伝えておく義務がある」とたびたびファンと交流をしてくれた。2004年にはボビーバレンタイン監督が復帰。
ビジターゲームへ遠征するM.V.Pツアーや、皆でスポーツバーで試合を見るマリーンズナイトの開催が頻繁に行われ、SNSがない時代にも関わらずファン同士の交流も盛んになった。
ゲーフラやフラッグ応援も活発になった。プロ野球界でフラッグ応援といえば西武が発祥のように言われるが、西武が公式でフラッグ販売する以前から、ロッテではM.V.P.が中心となりフラッグ応援が導入されていた。
そして、ベンチ入りしている25人の選手に次ぐ選手として自らが背番号26をつけはじめた。背番号26は球団発祥のアイデアではなく、当時は酒井泰志という投手がつけていたがファンの背番号としてつけはじめたのがM.V.P.である。そしてビッグフラッグも誕生した。
2005年。優勝、日本一、アジア一へ。

後期(2006~2009)

「2005年の優勝によりファンの数だけは増えた」「球団が背番号26をファンの番号にしたはいいが、その価値を安売りしてしまった」と彼らは言い、新規ファンでも熱く応援しない者は「マリサポ」と揶揄し、選民主義が生まれてきた。
ただ、確かにライトスタンドで変な踊りをする者、酒を飲んでばかりで応援しない者、試合中グラウンドを見ていない人などが目立ちはじめ、常にチームの事を思い応援し続けている彼らにとって、そんな人達と同じではないと思うのも当然で、当時は理解ができた。またそれがM.V.P.のカリスマ性、ブランド価値を高める事にもなった。
勝つためなら何でもする(行動する)のがM.V.P.のポリシー。いわゆる、勝利至上主義である。それが後々、間違った方向に向かってしまう。
この当たりからmixiをはじめとしたSNS文化が広まり、M.V.P.でも独自のSNSが創設された。それが選民主義に拍車をかけたと私は思っている。
2009年、ボビー解任に加え、フロントのファンを軽視した発言が書かれた議事録騒動、彼らはフロントに対しボビー残留に向けてシーズン中盤まで署名活動をし、11万人の署名を集める。
球団主導ではなく、M.V.P.や賛同者だけで集めた11万人の署名。今のファンにそんな活動が出来るだろうか。それだけロッテファンのM.V.P.への支持が厚かった事、フロントへの不満がファンに蔓延していたという事は理解していただきたい。
しかし、その支持も今までの信頼も功績も全て台無しにしたのが2009年9月27日の彼らと外野応援団の行動である。

上記については、解散となる最後まで中心部にいた方が見たら「それは違う」と思われる事もあるでしょう。
この記事は私が事実を聞いた事、体感した事、調べた事も含め、客観的にみた個人的見解という事をご容赦ください。