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全力を出すこと

2015年01月21日
人間には限界がある。できることとできないことがあり、努力してもなんともならないことがある。ただそう言い切る前に、人によって努力の加減が違うことは認識する必要がある。

長い間競技をやってきて思うのは、全力を出すことができるようになるにはかなり訓練が必要だということだ。10代の頃の自分を振り返ると、7割の力のことを全力だと思っていた。その時の自分が嘘をついていたというわけではなく、7割しか出したことがないから本当にそれが限界だと思っていた。全力を出すということは根性ではなく技術の問題と言える。

全力とは何かという問いは深淵だ。何に向かっているかがわからないと全力もまたわからない。100mで10秒を切るという世界の場合は、10秒間でどれだけの力を出し切るかが問われている。100mの選手が100mを20本力尽きるまで走れるようになったところで、それは役に立たない。逆にたくさん走れるような力の出し方を覚えてしまうと本来必要な10秒で出し切ることの阻害要因になりかねない。

全力はなりふり構わない状態で出る。どう思われても構わない、どうなったって構わない。ある種の狂気の状態で全力は出る。本当の全力は、自分の身の安全すら二の次になる。一度でいいから人生でこの瞬間を経験している人がいう”努力でもなんともならないことがある”は信じられるが、一度も全力を出したことがない人は実際のところ”努力しきったことがないから、努力でなんともならないことがあるかどうかもわからない”というのが正確なところだろう。もちろん、誰しもがこれが本当の全力なのかどうかは知り得ないから、体感で何となく悟るということでしかないし、それすらも全力の手前である可能性を否定できないが。

一度でいいから本気で何かに力を出し切ることは限界がどこかを悟る上でも大事なことだと思う。スポーツはほとんどの人が勝者にはなれないが、この全力の出し方を覚えるという点でとても貴重な機会だと思う。全力の出し方は応用可能だ。これがわかると、取り組むべきかどうかの判断ができる。つまり自分の力を出し切った時の限界がわかるから、達成可能かどうかの判断がしやすくなる。

自分には未だ見知らぬ自分がいる。全力とはその自分に出会うために必要な儀式といえる。

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