比べてみた形跡

子供の頃、足が速かった僕はもしかして広島で一番僕が足が速いんじゃないかという考えにとりつかれた。こっそりと仲がいい友達にそう言っても信じてもらえなかったから、証明してやるという気持ちと、本当は何番目なんだろうというのが気になって陸上にはまっていった。

本当は自分はすごいはずだ、と、あんなとんでもないやつには勝てない、の間をずっと行ったり来たりして、25年の現役生活は終わった。それなりによくやったなという実感と、世の中上には上がいるんだと衝撃を受けたことが記憶に残っている。

競争して比べてみることで自分の姿を知った。もし、試合に出ていなければテレビを見ながらあれぐらいだったら俺にもできるよと思っていたかもしれない。その場合生涯にわたって等身大の自分を知ることはなかったと思う。見ると会うとでは違うし、本気を出し合って比べるとさらに違う。いざという時だけ化けるすごいやつもいる。

世の中にはマウントというものがある。マウントが成立するのは試合がないからだと思う。どちらがすごいか人前で全力で競い合って明らかにした経験があると、マウントの取りようがない。負けたことも勝ったことも人前にさらしているから恥ずかしくてそれができない。裏を返せば試合にさえでなければ人は負けることがない。本当に敗北を恐れている人は負けた人ではなく、試合に出なかった人だ。

気にならない人であればいいが、私のように誰が一番すごいか気になる人は、ちゃんと比べてみること、人前で比較される舞台に身を置いてみること、ある程度時間と労力を費やして、自分の力を知っておくことが大事だと思う。結局それが人生で無駄な心のざわつきを減らすコツになる。戦ったことがない人はいつまでも本当はやれたんじゃないかという、表面は優越で中身は後悔という感情に悩まされる。

2014年10月31日 blogより

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