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飽きさせないこと 2015年02月04日

陸上競技は単調な練習の繰り返しで、例えば100mを10本、週に5、6日、20年間繰り返す、ということに耐えられないとトップ選手になれない。他のスポーツからすれば罰ゲームと言われるような、ひたすらに走ることを繰り返す競技だから、飽きる人は飽きる。

走っていて何が楽しいのと言われることは多い。ところが当の本人は真面目に一回も飽きたことがなかった。大げさに言えば25年の競技人生で一度も同じ一歩はなかったと言える。次の一歩は一体どんな一歩だろうかという面白さが終わることはなかった。外から見てどれも同じ一歩に見えていても、本人はそう感じていない。

例えば目の前に大量の石があって、それをひたすらに置く作業をする。数百回もやれば人は飽きる。顔をあげればまだ山ほど残っている石。いずれ人はその単調さに飽き、途方にくれる。見方を変えてみる。石をきれいにならべてみようか、しっかりはまるようにはめてみようか。数を数えてみようか。運ぶ時の姿勢を変えてみようか。より良い方法はないだろうか。単調な繰り返しを行う人もいれば、探求する作業に変えてしまう人もいる。

最初に飽きはじめるのは自分だ。飽きる人は人生にすら飽きる。単調な毎日、繰り返される日常、もう飽きたなんの変哲も無い、つまらない。何かを待つ人は飽きやすい。飽きる人間はいつも外を探している。受け身で生きている。

働きかけ、反応を生み出し、工夫する。楽しめる力とは、自ら変化を生み出すことができる力のことだ。こんな風にしたいというイメージがある人、こうなったらどうなんだろうという好奇心のある人、思いついたらやってみようという行動力のある人が、飽きない人だ。飽きない人は自分を観察していて、自分を知ろうとしている。つまりは人間を知ろうとしている。

孔子はこのように言った。

これを知るものはこれを好むものに如かず。これを好むものはこれを楽しむものに如かず。

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