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納得

2014年12月28日
納得とは何か。人生の成否は死ぬ間際に納得したかどうかで決まるという人もいるぐらいで、納得感を持って生きていくことと幸福感も近い。にも関わらずどうすれば自分は納得できるのかをわかることは難しい。

例えばどうしても歌手になりたかった人がいて、一人は懸命に努力して努力して、その先にやっと歌手になった。もう一人は歌手になりたいと思ったと同時に親戚の音楽関係者が働きかけてくれて歌手になった。一体どちらの方が歌手になれた喜びが大きいのか。目的を達成することが一番なのだけれど、そのプロセスも喜びに大きく影響する。

10年経ってまだ歌手になれていない30歳の若者は一体何歳まで歌手を目指せばいいのだろうか。いつ私達は夢を諦めればいいのか。答えはない。無いけれども仮に夢は叶わなかったとしても、若者は納得したいのではないか。自分はやるだけやったんだと、それでもだめだったんだと、納得したいのではないか。

ある障害者の方の車椅子を作った。半身不随で首から下の感覚はほとんどない。体に合わせたはずの肘掛の高さが気にくわないと言う。高すぎるというから、下げてみると今度は低すぎると言う。上げてみて座ってもらうと今度は高すぎると言う。高すぎる、低すぎる。何度もそれを繰り返してそうそうこの高さがいいと言ったのは、最初の高さと同じだった。そのプロセスは無駄だったとも言えるかもしれないが、本人が納得したという点で大きく違うだろう。納得のプロセスは外からは無駄に見えて、本人にとっては大事な儀式でもある。

全てが完璧に計算され自分にぴったりと合ったものが提供される時代では、納得感はどこにいくのだろうか。人間は迷い、間違え、そして根拠もなくこれがいいと決めつける。そしてその無駄こそが、自分で選んで自分の人生を生きているという実感を人間にもたらしているのではないか。

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